
写真© naka-Fotolia
青山に赤坂、恵比寿、目黒、六本木。地名を聞いただけで「お洒落」「高級住宅街」といったイメージを持つ人も多いのではないだろうか。これらの土地には、多くの芸能人が住んでいると言われている。
魅力的なエリアであるのは確かだが、なぜ芸能人に人気なのか、実際に住むには良い街なのか、不動産投資先としての魅力はどうなのか。株式会社さくら事務所の不動産コンサルタント 田中歩氏に話を伺った。
東京は江戸の街並みを残して作られた街
前出のエリアはどのようにして栄えていったのか。その歴史から紐解いていきたい。
「ご存知のように、東京はかつて江戸と呼ばれ、約300年続いた江戸幕府の本拠地でした。全国から集まる武士たちが住む場所として、多くの武家屋敷が建てられていったのです。その多くは台地にありました」
江戸は土地の高低差が激しく、台地と低地(もしくは湿地)が混在する土地だった。現在でも街を歩いてみると、「◯◯坂」「◯◯山」という地名が多く存在し、坂の多さに驚くことがある。
当時のトップ階級とされた武家の屋敷は、安全性の観点から高台である台地に建てられた。一方、低地には庶民の街、いわゆる下町が形成され、高台の山手と低地の下町がセットで発展していった。田園調布などの新興住宅街とは違い、東京に今でも下町風情があるのはこのためである。
ポイントはここからだ。明治維新を迎え、江戸は東京と名前が変わり、宅地化が進められた。とはいえ、高低差が激しい土地を当時の技術で更地にすることはできず、必然的に江戸時代の街並みを残したまま街が作られていった。
江戸はもともと東側が栄えていたため、当時の高級住宅地は本郷だった。しかし、土地を所有していた封建諸侯と大資本家が土地を一般に開放したことや、路面電車が開通したことなどによって、宅地化が西側へ広がることになった。青山や麻布などの高級住宅街はこうして誕生したのだ。
高級住宅街は地位の高い場所にできる
地位(ちぐらい)という言葉をご存知だろうか。簡単に言うと、土地の人気や格のことである。東京の街は江戸の街並みを残して作られていったことから、古地図と照らし合わせてみるとよくわかる。前出の5エリアは古地図上でどう描かれているのか、簡単にまとめてみた。
○青山:
地名の由来は幕府の旗本である青山家の広大な屋敷があったことによる。
○赤坂:
紀州徳川家の屋敷の跡地は赤坂御用地になっている。また、紀尾井坂という地名からわかるように、尾張藩や彦根藩など、幕府において位の高い藩の屋敷があった。
○六本木:
長州藩屋敷の跡地はミッドタウンとなっている。周辺にも武家屋敷が点在。
○目黒:
江戸時代は将軍が鷹狩りに出向く場所という「郊外」の位置付けだったが、武家屋敷は存在していた。国立科学博物館附属自然教育園は高松藩の屋敷跡地である。
○恵比寿:
5つのエリアの中では例外的で、江戸時代は村だった。サッポロビール株式会社が工場を置いたのを機に発展。恵比寿駅はヱビスビールに由来しているのは有名な話である。
「東京の街を歩いてみると、武家屋敷があった場所と下町だった場所は雰囲気がまったく異なります。江戸時代に武家屋敷があった場所は、現在でも高級住宅街やオフィス街、各国大使館などの重要な場所であることが多いです。江戸時代に地位が高かった土地は、現在もなお地位が高いのです。
また、東京は江戸の街並みを残しているがゆえに、『ここはかつてお武家さんの屋敷があった』という言い伝えもセットになりやすいです。そのため、土地から良い印象を受けて、多くの芸能人が住むようになったのではないでしょうか」
プロフィール画像を登録