中卒大家さん最終_09282015

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お金がない、能力がない、勇気がない……。これらの理由から不動産投資の第一歩を踏み出せずにいる人は多いだろう。しかし一方で、金銭のハンデにめげず、不動産投資の知識を蓄え、未知の世界に挑む人も存在する。中卒大家こと、青木茂伸さん(33歳)はその一人だ。

僕の学歴は中卒。やんちゃな10代を過ごし、美容師になって不動産投資に行き着く前には、500万円の借金返済に追われる日々を過ごしていました

そこから一念発起し、アパート1棟と戸建てを取得。ネットビジネスも行い、現在は年収1000万円を手にしている。

「あきらめずに行動を起こせば道は開ける。僕が大家になれたのは、そう信じて突き進んできたからです」

とはいえ、その道のりは楽なものではなかったはず。「いろいろな出来事があった」と語る波乱の半生を振り返りつつ、不動産投資の軌跡や年収1000万円の詳細を見ていこう。

タバコ、酒、麻雀……小学生でヤンキーデビュー

青木さんは茨城県の片田舎、笠間という町で生まれ育った。男ばかりの3人兄弟の末っ子。長兄と次兄は年子で、青木さんとはそれぞれ6歳と5歳離れているそうだ。

「僕が小学校高学年のとき、高校生の長兄はバイクが好きで走り屋的なことをやっていました。仲間たちが自宅によく集まり、僕もその輪に参加。10歳で髪を染めてヤンキーデビューし、一緒にタバコを吸って酒を飲み、朝まで麻雀をして学校に行くなんて日もありました。典型的な不良連鎖のパターンです」

長兄と同様、次兄も問題を抱えていたという。ただしそれは、次兄が重度の知的障害者だったからである。

「今でも覚えているのは、僕の小学校の運動会に、母ちゃんが次兄を連れてきたときのことです。運動会の会場で興奮して奇声を上げたり、あちこちにウ○コをしたりしたので、学校中が大騒ぎに……。『お前のアニキはヘンだ』とからかわれたり、いじめられるようになり、その反発もあってヤンキー化していったんだと思います」

「中二病」で家出。ホームレス中学生に!?

中学生になっても素行の悪さは変わらず。地元の中学校に進学したものの、2年時からはほとんど学校に行かなくなったとか。原因はいわゆる「中二病」。

「両親や学校、社会に対して憤りを感じ、とにかくムシャクシャしていました」

鬱憤が爆発したのか、中学2年のときに家出を決行。着の身着のまま、財布も持たずに家を出たため、悲惨な事態を招く。

「最初は友達の家やたまり場を泊まり歩いていたんですが、次第に行く当てがなくなってしまい、段ボールを寝床にして公園で寝ていました。まさにホームレス状態(笑)お腹が空いてもお金がないから、ヨモギやタンポポなどの雑草を摘んで生のまま食べたり、自動販売機の下に落ちている小銭を拾ってコンビニでカップラーメンを買って食べたりしていましたね」

そんな生活を1カ月くらい続け、母親が迎えに来て家出は終了。「とにかく少しでも学校に行きなさい」と説得され、学校に行くようになったという。

「とはいえ、中学3年のときに学校に行った日数はトータル10日くらい。学校では先生に『お前は教室に入れないから』と言われ、相談室みたいなところで入れられていました。隔離ですよ(笑)」

中学卒業後は、先輩に誘われてなんとなくの流れで暴走族のメンバーに。

「働かずに遊びほうける毎日でした。いつも仲間と一緒に駅前にたむろして、イキがっているよそ者の指導にも励んでいましたね。郷土愛が強く、若さゆえ、間違った方向にいっていたのでしょう」

友達の死をきっかけに暴走族から足を洗い、美容師へ

10代半ばというのはアウトロー的な生き方に憧れるもの。青木さんもその病にかかっていたわけだが、突然の悲劇により、暴走族から足を洗うことになる。

「隣町の暴走族の友人がバイク事故で亡くなってしまったんです。運悪く、トラックにひかれて……。人の死を初めて身近で感じ、いつまでもバカはやっていられないなあと思い始めました」

この友人の死をきっかけに更生を誓い、同時に当時流行っていたドラマの影響を受けて美容師を目指すことを決意。見習いとして美容院で働きながら、通信制の専門学校で資格取得に向けて勉強をスタートさせた。

「給料は手取り10万円と安く、その頃一人暮らしを始めたので生活はカツカツでしたが、仕事には真面目に取り組みましたよ。それまでの僕は怒られるばかりで、人に感謝されることがなかったんです。でも美容師の見習いとして働くようになってからは、お客さんに『マッサージうまいね』とか『シャンプー気持ちよかったよ』と褒めてもらえる。それがうれしくて頑張れたんだと思います」

そして3年後の20歳のとき、美容師の国家試験に一発合格。晴れて美容師として歩み出したのである。