新宿区の訳ありビルをOL時代にコツコツ貯めた現金で購入。現在、総投資額は約5億円、満室時家賃年収は約5000万円にもなる女性投資家、ホワイトタイガーさんにインタビュー! その節約テクニックから、新宿区ビル再生にくわえて、土地から仕込んで新築した永田町ビルと都内一等地投資のノウハウまで、あますところなく語っていただいた。
ヤクザが占有していた訳あり全空ビルを現金で購入
都内在住のビルオーナー、ホワイトタイガーさんが所有する物件は3棟、その内、2棟は新宿区、1棟は千代田区とまさに都内一等地に絞った不動産投資を進めている。
初めて購入したビルを見つけたのは2005年12月。新宿区住吉町にある商業ビルで、街を歩いていたところ、たまたま「売りビル」の貼り紙を見つけたそうだ。当時、勤めていたのは不動産の業界団体で、不動産に対して知識はあるが、実務経験はゼロだった。
「自宅のすぐ近くにあります。見た目はごく普通のビルで、とくに魅力的ではありません。手が入っていないため荒れた雰囲気がありました。ただ、商店街の中にあり立地が最高に良いのです。すぐ『買おう』と決めました。
このビルは競売物件が任意売却になったという経緯があり、競売で直前の所有者が落札する前は、なんと13番抵当までついており、反社会勢力の占有者がいました。海千山千のブローカーも入り、リスクを恐れて誰もが手をださないような物件だったのです」
ホワイトタイガーさんは、そういった事情を一切知らず、とにかく「買う!」と決意した。築21年の5階建てのビルで、1~2階が内階段でつながった店舗、3階が事務所、4~5階が内階段でつながった住居となっている。
新宿の一等地でも利回り10%超
価格は1億2000万円のところ、キャッシュで購入するということで、1億1800万円まで値が下がった。うち1億1000万円は、ホワイトタイガーさんの貯金! 不足分は父の会社から援助を受けた。
「購入時は全空でしたが、『これは大化けする』と確信していました。購入後、2カ月かけて調査したところ、6000万円かければ再生できるということがわかりました」
幸いにも1階から2階の店舗を借りたいという、大手飲食チェーンの申込みが入り、2006年2月から4カ月ほどかけて工事を行った。6000万円のリフォーム費用は自身の退職金と父の退職金を投入、飲食チェーンの保証金も合わせて、どうにか現金をつくることができた。
「購入を決めたのは、父の具合が悪く、不動産事業を引き継ぐ準備をしていたタイミングです。修繕工事の最中に父が他界して、かなり慌ただしかったです。その間、15年勤めた業界団体も退職しました」
なお3階の事務所の客付には1年ほど難攻して、商業ビルの難しさを学んだ。また、4階から5階のレジデンスは、自宅にするため、1000万円超えの豪華内装リフォームを行ったものの、収益を上げるために自分では住まず、結局賃貸に出した。
「4階5階については、立地はいいですが30坪のペントハウスですから、戸建てと同じ仕様です。家賃も高くなるため、借主はなかなか見つかりませんでしたが、一度入ると退去がなくて、その点は助かっています」
時間はかかったものの見事に満室となり、利回りはなんと10.5%。立地とその資産性を考えると、かなりの高利回りを実現した。こうして無謀にも思えた投資は大成功を収め、ホワイトタイガーさんの賃貸事業の屋台骨を支えている。
「じつはこの物件、旧商工ファンドの譲渡担保がついていました。譲渡担保というのは、抵当権よりもずっと厳しい内容です。決済時に抹消してもらえましたが、その時は譲渡担保の怖さを知りませんでした。後から無知は怖いなと思いました」
譲渡担保は、法律上認められた制度ではないが、取引上の慣習として古くから行われている。借入金の担保に不動産の所有権を「債権者」に譲渡して、債務の弁済が完了した時点で不動産の所有権の登記を債務者に戻すが、債務者が債務を弁済できないときは、暫定的に債権者に移っていた所有権は、確定的に債権者に帰属することになる。
簡単にいえば、抵当権設定では、借入金が払えない場合、競売にかけて競売代金から弁済を受けることになるが、譲渡担保では、競売にかけたりする手続きもなく債権者に不動産が渡ってしまうのだ。つまり、譲渡担保は、債務者にとって非常に不利な内容となる。
OLをしながらコツコツ貯めた貯金は1億1000万円
いきなりビルを購入して、その後、マンションを継いだホワイトタイガーさんの会社員歴は23年。最初は、コンサルティング会社に入社して、30歳で不動産の業界団体に転職。渉外畑のため、コミュケーションをとったり、交渉するのは得意だったそう。それにしても一体どうやって1億1000万円もの金額を貯めたのだろうか。ホワイトタイガーさんの貯金テクニックを伺った。
「定期預金と金融商品のみで、株はしません。20代の頃、給料の手取りは14万円でしたが、バブル時代ということもあり、旧日本興業銀行のワリコーやワイドといった金融債の利率が6%~7%もありました。一時払い養老保険も10年で利回り8%だったり、今では考えられないほどの利率でした。たぶん、利息だけで1000万円以上あります」
貯め方はシンプルで、とにかく使わないこと。自宅暮らしということもあり、生活費もほとんどかからない。
「洋服は2パターンから3パターンに絞って順番に着回します。会社へは毎日おにぎりつくって持って行きました。20代はバブル時代で本当に華やかでした。職場が六本木に近いこともあり、派手に遊ぶ同僚を後目にコツコツ貯蓄に励みました。給料から毎月一定額を定期貯金して、ボーナスもまるまる貯金しました。そして口座に100万円程度がまとまるたびに、金利のいい金融商品を購入します」
また、今でこそ、副業を行うサラリーマンも多いが、ホワイトタイガーさんはOLから団体職員時代にかけて、常に何らかの副業をしていたそう。24歳から着物の着付け学校に通い、その着付けのスキルを活かして、人に教えたり結婚式場でのバイトも行っていた。
「転職前は給料が安かったのですが、バブルだけあってウエディング業界も潤っていて、着付けの副業で、給料と同等額は稼いでいました。不動産の業界団体へ転職したら、忙しくなって副業はできませんでしたが、その代わり給料あがりました。慣れた頃には、前職のコンサル会社の通信教育部門から、問題集、宅建の問題集をつくるアルバイトなど、ちょこちょこ副業を続けていました」
そうして、年間500万円もの貯金を続け、退職する直前には貯金額が1億1000万円に達していた。
亡き父から継いだのは「負の遺産」。赤字マンションと広大なリゾート地
なぜ、そこまでして貯金をしていたのか、その理由は、今は亡き父の「負の遺産」にある。
「ルーツをたどれば、新潟県の高田の庄屋とのことです。曽祖父が放蕩をして一家離散したこともあり、父は日本全国あちこちで暮らしていたようです。そのせいか、公務員という安定した仕事についていたにもかかわらず、副業で不動産投資を行っていました。父はある省庁で用地買収をしていたため、不動産の知識が豊富だったのです」
ホワイトタイガーさんが亡き父から継いだ新宿区市谷台のマンションは、38年前の建築当時、自己資金1000万円で1億2000万円だった建物だが、資金繰りのため一部を区分マンションとして売っている。
「父は資産家ではなく公務員ですから、自己資金が潤沢にありません。当時は、今では考えられないくらい預金金利も高いですが、その代わり、融資の金利も高いのです。新築時に資金を捻出するため、区分登記して12戸中、4戸を販売していました。それが、当時の銀行のやり方でした。
私がマンションを継いでもう9年目になりますが、売却した区分をコツコツと買い戻しています。これまで3戸を買いましたので、あと1戸を購入すれば1棟が私の所有となります」
20代の頃はそこまでの状況を把握していなかったものの、父のしていることをリスクに感じ、その恐怖心からお金を貯めていた。同じ理由から、20代のときに独学で宅建(宅地建物取引士)の資格も取得した。
「父はバブル期にリゾート物件も購入していました。伊豆や山梨や宮城に広大な土地があり、すべては塩漬けされて、まさに負の遺産です。これを2010年から2012年にかけて処分しました。簿価の10分の1以下で投げ売りしました。そのおかげで、決算書から不良資産を切り離すことができました」
こうして、不良資産はすべて処分し、価値のある新宿区市谷台マンションはメンテナンスをほどこし、現在は満室稼働している。
プロフィール画像を登録