法隆寺_ogurisu-Fotolia

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不動産投資において大きな指標となる建物の寿命。少しでも伸ばすための秘訣とはどのようなものか? 今回は現存する日本最古の建築物について調べつつ、建物を守り抜く方法を考えたい。

焼失を乗り越え、1300年

現存最古の建築物といえば、607年に聖徳太子が創建したという法隆寺だ。1993年、日本で初めてユネスコの世界遺産に登録された国の宝であり、飛鳥時代の建築様式を今に伝える重要な文化財である。

では、創建から現在まで一度も建替えがなかったかと言えば、実はそうではない。670年、落雷による火災で全焼したとの記載が日本書紀にあり、実際に焼け跡も発見されている。

また奈良国立文化財研究所の科学的な調査によると、使用されている木材の伐採時期は650年代から690年代のものが多いそうだ。

最も古い五重塔の心柱が594年に伐採されたものであるため、再建については諸説あるが、建築物として1300年以上の歴史を誇るのは証明されている。現存する木造建築物のなかでは、日本最古どころか世界最古だ。

火災に弱い木造建築を現在まで守り抜いたのには、並々ならぬ努力があったことが予想される。

例えば、1949年に金堂で火災が発生し、貴重な壁画が焼損した際には、それを契機に文化財保護法という新しい法律が制定された。半世紀以上たった今でも、火災が発生した1月26日は文化財防火デーとなっており、法隆寺をはじめ各地の社寺で消火訓練が実施されている。

備えあれば憂いなし。建築物を守るためには日頃の心がけが大切なのである。


現代でも明らかにされない耐震構造

そして驚きなのが建築自体の耐震性の高さだ。特に五重塔は法隆寺だけでなく、日本各地のさまざまな場所で建てられてきたが、地震の揺れだけが原因で倒壊した記録は一切ないと言われている。

内閣府の情報によると、世界全体におけるマグニチュード6以上の地震のうち、日本で発生するのは実に20.8%。その過酷な条件に適した建築方法が1300年以上前に確立され、今なお耐震性の高さを実証し続けているわけだ。

耐震性の理由が、未だ100%明らかにされていないのも面白い。中央部の独立した柱が何らかの形で揺れを抑える説、各層が蛇のようにクネクネと揺れてバランスを取る説など諸説ある。

2006年には法隆寺の五重塔と同じ、飛鳥様式で製作された5分の1サイズ、重さ約2トンの模型を震度5強で揺らす実験が行われたが、謎は解明されなかった。

それでもなお、現代建築に間接的な影響は与えている。建物の各所が柔軟に動く構造は、1968年に日本初の超高層建築「霞ヶ関ビル」に応用されたのを皮切りとして、現在では世界中の超高層建築に取り入れられるようになった。

「東京スカイツリー」誕生の際には、質量付加機構という最新技術を用いた設計と、五重塔の類似点が話題となったのも記憶に新しい。

重要なのは日々のメンテナンス

そんな法隆寺を守り抜いた職人達のことも忘れてはいけない。寺の西側には宮大工が代々住んでいた地区があり、世代を超えて技術を受け継ぎながら修繕や点検を行ってきた。

代表的なものに、1934年から第二次世界大戦を挟み、1985年まで続いた昭和の大修理がある。すべての木材をいったんバラして、傷んだものを差し替え、再度組み立て直したのだ。

当時の棟梁によれば「金堂や五重塔の木材はかなり傷んでいるように見え、ほとんど新しいものに変えなければならない」というのが大方の予想だったという。しかし古びた柱を解体し、カンナをかけると「生のヒノキの香り」が漂うほど状態が良かったそうだ。

実際に木材を差し替えたのは、軒などの雨風に直接さらされる部分がほとんど。五重塔の場合、全体の3割程度で済み「予算上も助かったのではないか」という。定期的に点検や修繕がされているからこそ、内部の木材までダメージが届かなかったわけだ。

法隆寺と同様に一般のアパートや戸建も、日々のメンテナンスを怠らなければ、予想よりも遥かに長持ちするのは間違いない。やがて訪れる大規模修繕のタイミングでも、予算を削減することにつながるだろう。

こうしたことを心の底から実感できるのも、法隆寺を大切に守り抜いてきた日本人だからこそ。温故知新という言葉があるように、長い間保存されてきたものは、新しい発見や学びの源泉なのだ。