広地さん2月_shou1129-Fotolia

写真© shou1129-Fotolia

地方の進学校を出て、浪人して地方の国立大学に入り、就職して地方に赴任となるという、「ローカルサラリーマンの王道」みたいな人生でしたが、企業が大きかったおかげで年収は500万円と田舎ではいい給料をもらっていました。

転勤して、少々肩書も付き、後輩もでき、大切な企画もちょっぴり任されるようになりました。時に人間関係や仕事に悩みながらも、同じ職場の同僚と結婚もして、感覚でいえば70%順風のサラリーマンでした。そんな生活が9年続いた、ある年の4月。

会社都合で給料が10%削減されたのです。

たったそれだけのことです。

共働きで子どもも無かったので、生活にもさほど影響はありません。

しかし、私はここで、気づいてしまったのです。自分と大切な妻の人生は、本社の真ん中にいる、見たこともない偉いオジサンに左右されているということを。

自分は年収500万円もらっている正社員と喜んでいましたが、結局都合よく使われている、程度のいいドレイであることを実感したのでした。

会社の累積赤字は入社前からあり、少なくとも自分が責任取る筋合いのものではありません。でも、その組織にいる以上、私は組織の責任から逃げられないのです。

自分の人生に欠けている言葉、それは「自由」でした。


その頃、私は「自己啓発本」ブームでした。

信じたことは現実化する。
夢は必ず叶う。
人生は成功するようにできている。

こんな心沸き立つような言葉が、結婚したばかりのイケイケだった私には、ものすごく真実に見え、妻にも「思ったことは即実行だ!!」などと偉そうなことを言い続けていました。おれは、みんなを幸せにしたい! みんなの役に立つ仕事がしたい! と夢ノートに書くなど、「30代で中2病」そのものでした。

しかし、そんな熱病におかされた私の頭に、思いっきりバケツ氷を浴びせたのが、給与の10%カットだったのです。

自分の人生は、そんな大したことない。

まあドレイの主任くらいなもの。

そんな現実が受け入られなかった自分にひらめいたのが、私の父が大昔、1棟だけ持っていたアパートだったのです。

私の父も熱い男で、私によく「2浪までは許す!」と言ってくれていました。その息子である私は本当に2浪したうえ第1志望大学にも入れなかったのですが、父のそんな言葉がとてつもなくカッコよかったのです。

父は、俺の人生を、ほんのわずかだけど自由にしてくれた。俺に希望の大学受験という、夢を追わせてくれたのです。

その父が、私に2浪まで許せたのは、北海道室蘭市の学生街に1棟だけある、学生向けアパートの家賃収入のお陰でした。自分と大切な人の人生を、アパートで守る。父が見せてくれたアパート経営による経済的自立を思い出した私は、残業の妻が帰宅するのを待っている間、大手の不動産サイトをのぞいたのでした。

すると……

利回り21%超物件との運命の出会い

楽待などの不動産サイトが今のように豊富でなかった時代、とりあえず私は日本を代表する大手不動産会社のサイトを探してみたのです。

すると、トップページには「おすすめ物件!」として4つの物件が並んでいました。3億○千万円、2億△千万円、4億×千万円、1500万円……と、1つだけ桁外れに安い物件が、それも私の父がアパートを所有していた北海道室蘭市に、運命のように飛び込んできたのです。

3階建の鉄骨造18戸というなかなか大きめの物件です。国立大学まで徒歩10分圏内、斜め向かいにはコンビニまであります。利回りもなんと21%を超えていました。

心臓がバクバクいって、こういう時に限って帰宅が遅い妻の帰りをうろうろ落ち着かずに待ちわびました。本気で、こうしているうちに売れてしまったらどうしよう! と、まるで地球上に自分が買える物件はこれ一つなのか?? と突っ込みたくなるくらい、慌てていたのでした。