36歳の専業大家フミさんは、宮城県にある実家で両親、中学2年生の長男、小学6年生の次男との5人暮らし。元妻とは28歳のときに離婚し、それ以来両親とともに2人の子どもを育てながら働いてきたシングルファーザーだ。
サラリーマンだった2011年に最初の物件を購入してから6年。現在、不動産投資による年収は約3700万円となった。わずか6年ほどでこれだけの年収になるとは、さぞかし豊富なノウハウを持っているのでは? と思いきや、話を聞いてみると、今の成功はフミさんのたゆまぬ努力の上にあることがわかってきた。
28歳でシングルファーザーとなり、将来への不安に襲われた
「高校卒業後、地元の工場に就職。若い頃は仕事に対する考え方も非常に甘く、子どもができたこともあって22歳で結婚しました。その後、職場環境に馴染めず退職し、某アパレル企業に転職。転職先ではアルバイトからのスタートだったので、経済的に苦しい状況が続きましたね」
1社目での苦い経験から、2社目では「同じ轍は踏むまい」と懸命に取り組み、社員となって順調に昇進していったフミさん。しかしその頃から夫婦関係が上手くいかなくなり、28歳で離婚。2人の子どもを抱えるシングルファーザーになった。
「もともと給料の安い会社で働いていたこともあり、離婚直後は貯金もなく、それどころか200万円ほどの借金も抱えていました。自分の収支バランスに危機感を感じ、まずは借金の早期返済を目標にしたんです。
給料の多くを借金の返済にあて、支出の削減などに全力を尽くしました。がんばった甲斐もあり、1年後には家計の黒字化に成功。昇進も順調にしていく中で、また新たな課題が見えてきました」
フミさんの前に立ちはだかった新たな課題、それは「このまま昇進しても、目標の年収には届かない」ということ。家計の黒字化に成功したフミさんは、今度は自分や子どもたちの将来を見据えて、貯蓄を増やさなければと意識し始めるようになった。
今は幸いなことに実家で暮らしているため、経済面でもある程度頼ることはできる。しかし、この先両親がいなくなったとき、今の自分の給料で子どもたちを育てられるのか? フミさんは資産を拡大する方法を模索し始めた。
「当時は仕事を辞めるつもりはなかったので、副業で何かできないかと考えていました。離婚前から取り組んでいたのは、株式投資やネットオークション、ネットワークビジネスなど。ただ、どれも上手くいきませんでした。
そんなとき、たまたま見かけた雑誌に不動産投資のことが載っていて、興味を持ち始めたんです」
10行に融資を断られる悪夢も……逆境を乗り越え、専業大家の道へ
不動産投資に興味を持ったフミさんは、2011年に初めて宮城県仙台市の物件を購入。築27年で家賃が3万円前後のその物件は、現在も毎月28%の利回りを出しているという。
「1棟目を購入する際には、不動産業者から地方銀行の紹介があり、融資は比較的スムーズに進行しました。自己資金200万円、購入金額1500万円、融資額は1800万円のオーバーローンです。ですが、築年数が古かったこともあり、物件は外壁などもボロボロの状態。結局、さらに自己資金を投入し、建物全体を修繕しました」
購入当初は50%程度だった入居率も、リノベーションの甲斐もあって現在は100%を維持しているそうだ。
続けて2棟目購入を決意したフミさんだが、ここでも新たな問題に直面する。1棟目に借り入れをした銀行の融資担当者が退職し、同じ銀行で融資を受けることが難しくなってしまった。
そのため、何のツテもない状態で新たな融資先を探すことになったが、「建物が耐用年数を過ぎている」「多額の自己資金が必要」などの理由で10行以上に断られてしまう。
「今になって思えば、担当者との交渉もしどろもどろだったので当然かもしれません」と振り返るフミさん。粘り強く交渉を繰り返し、なんとか別の地方銀行から融資を受け、2013年に2棟目を購入。
少しずつコツをつかんできたフミさんは、その後も順調に契約を進め、2015年に34歳で退職し、専業大家に。現在は仙台市・東松島市に8棟90戸を抱えるオーナーになった。
不動産オーナーに欠かせないのは、五感を使った「経験」
これまでさまざまな投資やサイドビジネスで失敗してきたフミさん。不動産投資も未経験からのスタートとなったが、唯一挫折することなく続けることができている。失敗を繰り返さないために、どんな工夫をしてきたのだろうか。
「最初の頃は大家さんの知り合いも全然いなかったので、とにかく暇があれば不動産に関連する書籍を持ち歩いて読んでいました。
リフォームについても、適正金額がわからないし、専門用語も多い。専業になったとき、改めて勉強したいと思って、作業中の現場に行って職人さんから直接話を聞くようになったんです。今どんな工事をしていて、そのためにはどんな作業が必要なのか。皆さん、素人の私にもわかるように丁寧に教えてくれました」
その経験が、専業大家を続けていく上で大いに役に立ったとフミさんは語る。
「やはり、現場に行ってこの目で見ないとわからないことはたくさんあります。高いリフォーム代を払って完成品だけ見るのは楽ですが、ボロボロの状態から、現場の人たちと苦労を分かち合うことで、その物件に愛着も沸いてくるんです。机の上での勉強も大事ですが、僕はオーナーを続けて行くうえで、経験も大切にしたいと思っています」
フミさんが初心者でありながら積極的に現場の声を聞きに行けた原動力は、「自分は財力も経験も知識もないのだから、行動するしかない」という意気込み。ゼロからのスタートでも、まずは行動することで徐々に道は拓けていくのだ。
専業大家になって良かったのは、子どもたちとの時間が増えたこと
現在は専業大家として新しい物件をチェックしたり、大家仲間と情報交換をしたりと意欲的に活動中。フミさんは「会社勤めをしていたころと比べれば、時間にも気持ちにも余裕ができた」と話し、毎日の生活の充実ぶりがうかがえる。
「サラリーマン時代は上司のパワハラや将来への不安もあり、家に帰って子どもたちに暗い顔を見せることが辛かったです。自分の力で仕事をして、自信あふれるいい顔で、家に帰りたい。その願いをようやく叶えることができるようになったように思います。
また、以前は土日が休めない仕事だったので、子どもたちと一緒に外出することもほぼありませんでした。会社を辞めて、今まで行けなかった学校行事にも参加できるようになりましたし、昨年は初めて一家揃ってお正月を過ごすことができたんです」
2人の息子の成長を近くで見守れることは、「専業大家になって良かったことの1つです」と語るフミさん。ゆくゆくは子どもたちにも、不動産投資で得た経験を伝えていきたいと話す。
「僕の投資ポリシーは『継続すること』。同時進行でいくつもビジネスをして成功している人もいますが、僕は不器用なので、いろいろ試した結果不動産投資という1つのことしかできなかった。でも、そのただ1つを継続することはできると自信を持っていますし、継続こそ成功への最大の近道だと思っています」
新しい何かを始めること以上に、続けることは難しい。継続は力なり、という有名な言葉があるが、それは真実なのだ。フミさんの、不動産投資という1つの物事を実直に続ける姿勢から学べることは多い。
宮城県在住。2人の子どもを育てるシングルファーザー。34歳でサラリーマンを引退し、現在専業大家として活動中。宮城県仙台市および東松島市内に計8棟90戸所有。ブログ「シングルファザーでも不動産経営 -元アパレル大家の不動産日記-」を運営。
プロフィール画像を登録