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衆院選も終わりましたね。私は期日前投票をして、このコラムは香港で書いています。先日、私の15棟目(トータルで16棟購入、1棟売却済)にあたるRC一棟ものを決済しました。フルローンです。融資期間は耐用年数残いっぱいの20年で金利1.5%。今回、諸費用は自己資金となりました。ここ数年、諸費用も自己資金なしでイケたのですが、今回は違いました。手金なしで買えるのに慣れてしまうと、少しでも自己資金が出るとなんか痛いですね。

でも、本当は、そろそろ自己資金を多めに入れないとなあ、などと思っているのです。ローン比率が高いのも、いろいろと問題とリスクがありますので。

さて、投資を始めて15年目でちょうど15棟なので、区切りとしてこの15年間で私の投資哲学というか、投資指針がどう変わってきたか述べてみます。どのような投資をしてきたのかの来歴と、それぞれの時期でどのような指針を身につけてきたのか、書いてみましょう。

黎明期(2002~2003):リスクを避けてワンルーム現金買い、投資を練習

初めて不動産投資に乗り出したのが2002年でした。当時はあまり本もなく、どのように投資していくべきかわからなかったので、とりあえず練習も兼ねてワンルームを現金買いしました。文京区、川崎市、横浜市とある不動産仲介業を兼ねる開発業者から連続で買い、お金の回り方、業者との付き合いを学びました。

当時の指針は、現金買いです。不動産投資にどのようなリスクがあるのかわからない中、現金買いであれば最悪投じた現金を失うだけなので、現金買いを指針にしたのです。不動産のことを知らないのにいきなりローンを組んで失敗したら経済的に破たんすると考えました。

当時から、私にとっての不動産投資は「守り」の投資です。以前書きましたが、自分だけの収入に頼っていて、自分が倒れると給料がなくなり家族が路頭に迷う恐怖を感じたので、不動産投資で自分が倒れても収入ができるようにと考えたわけです。

当時私はコンサルティングファームにいて大金を稼いでしました。でも、私が倒れたり、解雇されたりすれば消える収入です。この収入を不動産に変えたわけです。

「お金は不動産に変えておけ」というのは祖母からの教えです。大正生まれで、関東大震災、昭和恐慌、戦争・空襲、預金封鎖と何度もひどい目にあった祖母は、苦労して稼いだお金を不動産に変えることで財を残しました。商売をしていたので、良い時ばかりではないことも知っていましたし、現金で持っているといつか消えてしまうというのを経験し、私に教えとして残していったのでしょう。

ですから、消えてしまう前にお金を不動産にしました。矛盾するようですが、現金買いなら不動産が破たんしても失うのは投じた現金だけだというのも安心材料でした。また稼げばいいし、借金で生活苦にはならないからです。

さて、不動産のお金の回り方、業者との付き合い方、税金その他のこともわかったので、ローンを組んで一棟買いに進むことにしました。練習は終わりです。

・自分が働く以外の収入の流れを作る

・お金は不動産に変える

・不動産は「守り」の資産である

立上期(2003~2008):ローンで中古木造・鉄骨一棟もの購入、プチバブル

不動産は「守り」の資産とはいうものの、お金の回り方も分かったので、拡大していくことにしました。ローンを組んでも回せるだろうとの感触をつかんだのです。

ただ、空室が怖いし、できるだけ経費をおさえたいので自分の土地勘がある地域で買っていくことにしました。東京と水戸・茨城です。東京は学生時代から住んだ東京の西北側で、価格を重視すると池袋をターミナルとする沿線に買っていきました。

ローンはオリックス銀行(当時はオリックス信託銀行)、常陽銀行、政策金融公庫が貸してくれました。少ない時には頭金を物件価格の10%、多い時には50%を入れて、耐用年数残以上のローン期間をとってくれました。フルローンという考えは持っていませんでしたので、金融機関の言われたとおりにしてきました。

5年間に8棟くらい買いました。2006年ごろプチバブルと言われる買いにくい時期もありましたが、淡々と買い続けるスタンスを継続しました。子どもとも、よく見に行ったり、物件を掃除しに行ったりした時代です。

・木造・鉄骨の中古を買い続ける

・土地勘がある地域しか買わない。ロケーションを重視

・信頼した不動産業者からしか買わない。信頼したら連続して買う

・金融機関は投資のパートナー、大事にする

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