サラリーマンエンジニアを続けながら、区分マンションの現金買いに絞って堅実に規模を拡大し、現在は都内や京浜地区の中古ワンルームを中心に51棟・51室を所有する芦沢晃さん。投資歴22年で総投資額約3億円、無借金で家賃年収3200万円を実現した「区分のプロ」に、中古物件市場価格の源流である「聖なる泉」への近づき方、そして購入に値する「未来が輝く物件」の見極めについて聞いた。

突如リストラ…それでも

「芦沢君、もう会社来なくていいよ」

2004年、46歳の時、21年勤めた会社から突然の指名解雇を通告された。20年以上残っている住宅ローン、アルツハイマーとなった親の介護、まだ小さな子供の教育費…。さまざまな将来の不安が頭をよぎった。

しかし、その数カ月後、一家そろって「早期退職記念旅行」と称してハワイへ。心地よい海風を浴びながら、昼間は人気のビーチでシュノーケリングを楽しみ、夜は趣味のアマチュア無線で世界中の仲間と交信する悠々自適の日々を送った。

リストラという憂き目に遭いながら、のんびりとリゾート気分を満喫することができた理由。それは当時、すでにサラリーマンの給与を上回る家賃収入があったからだ。以降、専門技術を生かして再就職した会社で好きな仕事を楽しみながら、少額の中古マンションを少しずつ買い足して家賃収入を積み上げ、家族全員で安定した生活を送っている。

「私が会社からの給与だけで生活するサラリーマンだったら、あの時、精神的に参ってしまったかもしれない。当然、のんびりハワイ旅行なんて絶対できなかった。マンション投資をしていたことが、私と家族の窮地を救ってくれたんです」

大家業の凄みを知った幼少期

不動産投資との出会いは幼年時代まで遡る。「小さい頃、親が小さな個人商店に住み込みのような形で働いていて、そこの社長が社宅として戸建てを用意してくれたんです。その後、周りに社宅が増築されていって、田んぼを埋め立てた同じ敷地内に戸建て5戸とアパート1棟5室ができた。今考えれば完全に社長の節税対策なんですが…」

社長は社員のほか、一般の賃借人もかわるがわる入居させていた。「私の母親は、社長から『あの部屋、人入ったから家賃集めてきなさい』などと言われて、回収業務をしていたんです。当時は家から一歩出ると毎日大工さんが作業をしていて、どんどん家が建って、すぐに人が住んで、お金が入ってくる。子どもながらに『大家さんって凄いなぁ』と思いながら育ったんです」

小学校時代は街の電気屋で壊れた家電品をもらってきては分解し、自ら回路を考えてオーディオアンプやラジオを作る「マニア少年」だった。大学で電気工学を専攻し、1983年に大手電気メーカーに入社。6年間は家賃1500円の独身寮で暮らし、毎晩、深夜2時3時まで仕事に明け暮れた。土日もほぼなく、朝昼晩は工場内の社員食堂で1食300円ほどの食事。毎月の残業は200時間を超えていた。

念願だったマイホーム

激務に耐えかねて退職者が続出する中でも辞めなかったのは、仕事が心底楽しかったからだ。「顧客のニーズを聞いて業界初の一品をゼロから手探りで作る毎日で、世界最先端の通信システムの開発・研究に没頭できた。大家さんがゼロから物件を建てるようなものです。大好きなことの延長線上に仕事があったから、どんなに寝られなくても、嫌になる事は絶対なかったです」

「自分の年収も知らずに働いた」という6年間。当時は社内預金で非課税・元本保証6%複利で増えていく時代で、利子一括払い型利付金融債「ワイド」(9%・5年固定金利)なども購入。年齢制限で独身寮を追い出される30歳を迎えたころ、貯蓄額は3000万円に達し、昔からの夢だったマイホームの購入を決断した。

入社したバブル前、戸建ては1000万円あれば買える時代だったが、その後、地価は急激に上昇し、購入を決めたバブルのピーク時は6000万円出しても手が届かない。「もっと早く借金して買っておけば…」と後悔しつつも、東京郊外に2800万円で2DKの中古マンションを購入。現金買いもできたが、「少し怖くなり、半分に分けて取っておこう」と、自己資金1500万円、残りを住宅ローンで借り入れた。「今思えば、あの時1500万円を手元に残しておいたのが命綱になりました」

バブル崩壊で価値急落

95年末、結婚を機にこのマンションが手狭に感じたことから売却することにしたが、6年間で価値は4分の1まで暴落。1000万円以下まで下がって担保割れを起こし、売っても借金が返せず引っ越しもできない状況に呆然とした。

途方に暮れていた時、書店で邱永漢氏の書籍と出合った。マンションは自分で住む以外に、他人に貸して家賃収入を得る方法が有効だと気付いた。「もちろん今では当たり前なんですが、当時はそんな本も少ない時代だった。幼い頃の記憶がよみがえり、家賃を得られればローンを返せる、と思って自宅を貸し出したのが大家業の始まり。投資目的ではなく『生存』のための必死の決断だったんです」

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