「空き家再生人」としてお馴染み、広之内友輝さんといえば、明るいキャラクターと弾ける笑顔が印象的だろう。その人柄で不動産投資のチームを作りながら、国内外で26棟、10億800万円にも及ぶ投資を実践してきた。曰く、「ガラボロ物件(ガラガラでボロボロの物件)」が中心なこともあり、16.2%という高利回りを実現、1億円を超える年間家賃収入から、5000万円ものCFを手にしている。

しかし、「自分には価値がない、そう感じたことが原点かもしれません」。成功と笑顔の裏には、壮絶な過去があった。

高校の頃から不動産に支えられて

「私、二浪したんですよ。なのに行きたい大学にも行けなかった」

通っていたのは北海道の進学校。浪人するための予備校費用、そして遠方の予備校に通うための入寮費用など、何百万というお金を全て親に払わせた。運悪く、2歳下の妹の自立と重なり、家具・家電代も一気に掛かることになる。

「冷蔵庫2台、洗濯機2台、電子レンジ2台とかで、荷造りの時に6畳の部屋が1部屋埋まるほどでした。ただでさえお金を掛けさせたのに、こんな家電まで用意してもらわなきゃいけないなんて…。すごく申し訳なくて情けなかった」

そんな中、サラリーマンである父が、当時アパートを1棟所有していたこともあり、食いつなぐことができた。「私が無茶できたのもアパート収入のお陰だなって、その時から興味がありました。『家具・家電が全部付いてるアパートがあれば、私でも入ったのに』なんて、アイディアを膨らませるほどです」

結局、希望する大学には行けず、滑り止めの国立大学へ進学。周りの期待に応えられなかったことを後悔しながらも、卒業後に年収500万円のサラリーマンとなる。なんとか軌道修正を果たしたが、また外れることになったのはある「転換期」がきっかけだった。

事業の失敗で7000万円の借金を抱える

給料10%削減─。10年間コツコツ勤めた会社からの突然の宣告だった。「会社の経営難が原因でした。自分の人生は、見たこともない本社のおじさんに決められている。人に支配されている生活が嫌だと、初めて実感した瞬間でした」

こうしてサラリーマンを辞め、不動産投資を…と思いきや、手を出したのは宿泊業だった。「単純に、人を幸せにする仕事がしたい」。そんな想いで踏み切ったが、ここからさらに泥沼にはまっていく。

1件目は知人から勧められた岐阜県の施設。宿泊業の事業譲渡を受け、社長として携わった。築古だが趣のある25部屋の施設で、月130万円の家賃を払いながら運営した。「忘れもしない2007年4月13日。運営初日に施設に行くと、社員が1人いました。今日ご予約は? と聞くと『ゼロです』と。明日は? 『明日もゼロです。明後日もゼロで…明々後日に一人泊まりがあります』。もう真っ青になりました」

「こんなことも確かめずに始めてしまった」─。しかし後悔先に立たず。追い打ちをかけるように事件は起こる。

「風呂場の天井から水漏れがすると。たわんでいたから上に行ってみると、屋根に1mくらいの穴が開いていました。その下(風呂場の上)は屋根裏で、そこには雨を受けられるように、衣装ケースとブルーシートが置いてあったんです。こんな状態で放置されていたなんて…愕然としましたね」

施設を借りて事業を行うための保証金1300万円の他、屋根等の修繕費で3000万円、赤字で支払えない家賃が毎月数百万ずつ嵩み、倒産寸前に追い込まれた。

そうして背水の陣で挑んだのが、2件目となる北海道の施設の買収だった。「1億5600万円でその施設を購入しようと、銀行の支店から内諾ももらっていたんですが…本部で下りなかったんです。その時の違約金が20%の3120万円でした」

信じがたい話だが、こうして計7000万円超の借金を抱えることになった。

「退職金から何から全部つぎ込みました。カードローンの枠も全部使い切って。私の親から借金して、それをつぎ込んでもまだ足りなくて。妻の親からも借金をして。もう全てから逃げたかった。この失敗を償うには、生命保険しかないとまで考えていました。でも、この借金を知った妻が流産のピンチに陥った時、私の恩人がこう言ったんです。

『いいか、死にたければ死ね! その代わりお前は三代苦しめるぞ! 親も、子供も、孫すら、お前が自殺したら苦しめられるんだ! あの子は自殺者出した子の家だって言われ続ける。それでもいいと思ってるんなら、死ね!』

涙も出ず、呆然としましたね。あぁ、生きていても死んでいても迷惑を掛けるんだと気付かされて。それで前を向くことにしました」

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