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今月から不定期の連載企画として、実績豊富な投資家の皆様によるリレーコラムを土曜日にお届けします。第1回のテーマは「今、私が初心者だったらこう動く!」

今回は、区分投資一筋23年、サラリーマンを続けながら着々と規模を拡大してきた投資家・芦沢晃さん。現金買いに絞った投資を続け、現在53棟53室を所有。無借金で家賃年収3300万円を実現した「区分の生き字引」の見解は?

この企画の狙いは、自己資金のない入門者に役立つ「目から鱗の裏技」が、コラムニストの方々から続々と出てくるのでは? というものなのだと思われます。

しかし、不動産投資の旨味は、自己ポジションでの裁量を最大限活用して有利に展開すること、つまり、株式投資とは違い「自分の置かれている環境と立場において、最も有利かつ最適な方法を選択し、自分なりの物件運営ができる」という点にあります。

そしてその根底にあるのは、「何を投資の目的とするのか?」つまるところ、「人生の目標は何か?」という問いに行き着くので、結局のところ百人百様なのだと思います。

「生きがい」をお金に換えていく

仮定条件は「自己資金ゼロ」! その代わり23年間蓄積した区分物件運営のノウハウと、35年間のサラリーマン経験、そして40年以上もの間培ってきた専門技術と人脈だけがあるとします。ちょうど先月、私は定年退職を迎え、サラリーマンの属性とそれを背景とした人的資本は全て失いました。

今の私でしたら、この状態では不動産は買いません。

現在の私は60歳を過ぎ、サラリーマンの人的資本の減価償却が終わった老人です。しかし、専門分野での人的資本には、本人がボケない限り死ぬまで定年はありません(先般亡くなられたホーキング博士は、体はご不自由でも専門知識で天寿を全うされました)。自分の好きな専門分野の人脈があるので、会社に属さずに専門技術を生かした仕事(私はこれを「個人技術士業」と呼んでいます)を楽しみつつ、その人的資本を現金に換えながら自己資金の核を作ります

私が自己資金を貯めていた時代に比べ、今は格段に論理的な手法で資金を増やすことができます。個人投資家でも、リーズナブルなコストで地球上の全資本主義に投資できる「上場投資信託」、また海外証券市場で市場成長以上のペースで着実に収益を上げ続ける「バリュー株個別銘柄投資」などです。

ですからまずは100万円を貯め、それに人的資本からのキャッシュフロー(CF)を毎月足しながら、複利運用して1000万円を目指します。毎月、生活に最低限必要な費用を円キャッシュで持ち、余剰資金は上述の海外資産に回し、配当も再投資して複利運用します。

得意な土俵でしか勝負しない

そうして1000万円に達したら、今までの区分物件(マニア)人脈ネットワークを活用し、資金の半分の500万円で買える上流非公開の中古区分物件を、23年間の経験データから分かっている「岩盤賃貸スポット」(賃貸需要が非常に高く、かつそれが未来に渡って予想できる、世間一般に「エリア」と呼ばれているよりもずっと狭い場所のことをこう呼んでいます)で探して投資します。

退去が出た際は過去に築き上げた管理システムを活用し、必要最小限の内装整備をプロに依頼します。あとは、時間が自由に使えるという個人技術士業のアドバンテージを生かし、セルフでの仕上げと差別化&付加価値付けをして、運営コストを抑えつつパフォーマンスをアップします。

一方、残った500万円の資金は、個人技術士業で得た収入と毎月の家賃CFを加えながら、証券市場での配当とともに複利運用します。

これらを繰り返しながら、自分が好きな専門分野の仕事で毎日を楽しみながら暮らして行くうちにあっという間に20年が経過し、80歳の寿命が来て、「幸せな人生だった」と家族に言い残せるでしょう。

その時は「ほとんど課税評価対象とならない(建物は減価償却し、土地は付いていない)毎月CFを生む区分物件」と「自動的に配当が入る証券」が残ることでしょう。

終活を考える

現時点で学生の息子の将来は、今のところ予測できません。不動産に興味が湧き、彼に才能があれば、物件を引き継いでも原価は無料、利回り無限大なのでうまく運営できるでしょう。

息子に大家業を継承する気がないなら、私の所有する区分物件はすべて売却してもよいと思っています。区分物件の現金投資家(マニア?)は景気や相場に関係なく必ず一定数いらっしゃるので、私が残した人脈に乗せて売りに出せば1日で買付が入り1週間で成約、1カ月以内には現金化できるでしょう。

各物件の管理システムは部屋ごとに最適化されており、私が直接関与せずとも回って行きます。

具体的には、遠方の物件は借り上げサブリースにしつつ、同じ管理会社に都心の代行管理を委託し、サブリースでの値下げ要求があった場合、代行管理手数料とのトレードオフ交渉を組み合わせます。近所で手のかからない入居者の物件は自主管理。しかし、退去して手間のかかる入居者が入ったら、その部屋(区分物件)は代行管理に切り替えるといった方法です。

したがって、そのシステムはオーナーチェンジ後も継承すれば、お住まいの賃借人様にご迷惑をおかけすることはありません。

同じ私自身でも、時代背景と人生の時期により、このテーマのストーリーは全く異ってきます。以下は、今だから振り返られる「後出しじゃんけんストーリー」(笑)です。

1983年にサラリーマンになった私は、専門分野での研究開発以外の技術には全く関心がありませんでした。その時点での前途ある(?)私の人的資本は2億円程度あったはずですから、このパフォーマンスを最大化するのが最も合理的な戦略です。

未来を知っているのだから、これからの35年間のサラリーマン人生は絵巻物のように分かっています。ですので、私の特技を必要としてくれた上司、同僚、部下には自分の身を粉にしても積極的に尽力、私の人的資本を提供します。

一方、私を踏み台に伸し上がった上司、私の足を引っ張って出世し、更に上から蹴落とした仲間には、静かに細心の注意で、関わらないように距離を置きます。皆、人間としては魅力ある方々なのです。ビジネスというゲーム&スポーツに勝つために、ルールの中でそのようにプレイしたまでのことなのでしょう。

サラリーマンゲームで敗戦したとても、戦国時代のように一族郎党、首を取られることはありません。辛い事があっても過労死しない限り生きていくことはできますから、これも属性、与信と保証された人的資本とのトレードオフバランスと考えて受け入れるのが賢明でしょう。

働く土俵をどう選ぶか

結局、私のような凡人が「サラリーマンの人的資本を、幸福感を満たしながら最大限に現金化する」方法は、自ら選択した「働く土俵」の拡張スピードと、円滑な人間関係の構築にかかっていると言えそうです。

例えば1983~2018年の35年間でしたら、同じ電気エンジニアとして働いたとしても、働く土俵が違えば結果も違っていたはずです。私が属した(1)ハイテク製品メーカーではなく、(2)放送事業者か(3)電力事業者でサラリーを貰っていれば、私という全く同じ人的資本でも生涯年収は今の2倍近い現金に換わっていたでしょう。

その理由は業態にあり、(1)は利益を研究開発費と設備投資に向けなければ激烈な競争に勝ち残れません。一方、(2)(3)で扱う商品は、深く堅固な堀に守られています。過当競争がないので、最小労力の繰り返しだけで業界を生き抜くことができ、また自社に商品価格決定権があるため、その利益を人件費や内部留保、株主への配当に回せるからです。

とはいえ、当時はこうしたより「お得な業態」への途中転職入社はとても不利な時代で、新卒就職時の環境が生涯年収を支配していました。

せめてもの対応として、自社内配置転換の際、定年までの期間中は最大の業績で発展する部門を選んで、転勤希望を出して行くしかありません(35年間の経験から未来が分かっているとの仮定です 笑)。

当時は若く社会経験もなかった私は、自分が希望する「職種」だけで勤め先を決め、「業態」による利益の仕組みの差に気付きませんでした(笑)

私の仲間の多くのエンジニアたちも、頭脳的にチャレンジブルな新規研究開発(頭脳労働時間の長い仕事)に生きがいを感じていたようです。頭脳と労力を使わなくても自動的に儲かる繰り返し商品を単純作業と感じて嫌う私たちのような人種は、高収益と縁遠くなる運命にあるのかもしれません(笑)

定年退職という不思議な制度

働く土俵を「定年退職」という制度の面からも考えてみると、60歳を境にして、人的資本が年齢だけを理由に強制的に激減させられるのは何とも不思議な社会システムです。

プロとしての価値を見下されたようで、男女差別以上の酷い年齢差別だなあ~、と寂しくなります。欧米には年齢による定年などありません。

民間企業では、多少は成果給も取り入れられていますが、年金制度と退職金制度システムがある限りは、正規雇用制傘下での島確保と椅子取りゲームが続くのでしょう。

社会ルールそのものを決めているのは、行政のキャリア官僚を頂点とする組織。彼らにとって、人的資本の金額を決定づけるのは、仕事の専門能力ではなくポスト(組織内での序列)だからです。

サラリーマン生活35年間を振り返った愚痴のように聞こえてしまったかもしれませんが、資産ゼロからのスタートでは、やはり自らの人的資本がベースとなります。

そして、先進国中では極めて特殊といえる、日本の雇用システム下でのサラリーマンゲームを通じ、人的資本をより多く資産に変えてゆくには、そのルールの特異性を生かすしかないわけです(今後は徐々に変わっては来ると思いますが)。
私ども経済的自由人たる投資家は、不毛の権力闘争に巻き込まれず、自分の道を好きに歩けるよう、経済的基盤を自己責任で確保しておく道が最も賢明だと思っています。

コラムのお題に話を戻します。このように、自らの人的資本を現金化しつつ資産を増やしていくとなると、1980年代の日本は金融規制で鎖国状態なので、国内投資に限定されることになります。

当時の投資先と言えば、社内預金(固定金利6%)、郵貯定額貯金(10年6%固定複利、非課税)、ビッグ、ワイド(5年9%固定複利)、郵便普通養老保険(15年確定利回)など。個人海外投資はできない時代でしたが、平成バブルに向け日本株は急騰中でしたので成長株にも投資します。

一方で、不動産にも投資します。当時、長期低金利融資はマイホーム向けのみだったので(住宅金融公庫、年金住宅融資、住宅財形いずれも30年返済固定3~5%。一方、当時の市銀マイホームローンは変動6~8%、一般個人への投資用ローンはそれ以上の高金利でした)マイホームを購入します。転勤時に社宅に移り、そのマイホームを賃貸に出します。

その間、1990年にバブルはピークを迎えるので、株を全部売却して現金化します。

一方、賃借人が退去するタイミングで一時、住所を社宅から自宅へ戻したら、自宅として売却し「自宅売却時のキャピタル益非課税特令」を使い現金化します。

それとバブル崩壊後、1992年に金融規制緩和で個人の海外投資が解禁されるので、株を現金化した資金で、外貨MMF(キャピタル益非課税)と、上海と深センのB株(外国人投資家が売買できる株式)に投資します。米ドル金利は6%、B株指数は30からスタートして1000以上まで株式分割を繰り返しつつ急騰しましたので、2000年に全て売却して日本円キャッシュに変え、底値の国内不動産を現金購入してゆきます。

それら不動産からのインカム資金を使い、1998年から始まった手数料格安のネット証券を活用し、次々と商品化されるリーズナブルなコスト(信託報酬手数料ミニマム)の米国NYSEのETF、バリュー株へ配当を得つつ、長期ナンピン投資を平行してゆきます。特に、ITバブル崩壊時とリーマンショック時は全力で指数投信を仕込んでおきます。

それでは未来をどうするか?

とまあ、こんな都合の良い後付けストーリーの投資はあり得ず、読者はあきれ返ったことと思います(笑)

歴史に「if」はタブーと言うとおり、現実世界では神様でもない限り、こんな歌舞伎役者の早変わりのような投資はとても無理というものです。その証拠が今の私の姿です。

同じ私でも、未来の情報が分かればこれだけ行動が違いますが、同じ私なるが故、投資の土俵もこの域から出ません。

平成の脳外科医が江戸時代にタイムスリップするフィクション物語「仁」では、当時としては神がかり的な医療技術を持ち、歴史の未来が全て分っている主人公、南方仁でも、自分の思い通りにはなりませんでした。

しかし、身元不明で与信ゼロの南方仁は、唯一の人的資本たる医療技術を人に与え、助けることで、次第に周囲の信用を勝ち得てゆき、恋人であり同志でもある橘咲さんや、仁友堂の仲間達と精一杯生きました。

その結果、勝海舟や坂本竜馬といった歴史的キーマンに友人として知恵を貸し、蘭方医の権威者、緒方洪庵を助けて江戸の街全体を救い、皇女和宮様をも奥医師として助けます。

神ならぬ私たち投資家は、未来を分かっていませんので、どうやら自分に最適なベストを生き抜くしかなさそうです。

(芦沢晃)