中国で生まれ、日本の大学院で博士号を取得した後、専業主婦として不動産投資を始め、35歳で不動産会社に就職した異色の経歴の持ち主。本格的に大家としての道を歩み始めたきっかけは、仕事のストレスで押し潰されそうな夫の姿を目の当たりにした時の無力感だった。

現金で中古区分マンションを地道に買い増す戦略を徹底し、昨年末に融資を受けて初の一棟物件に挑戦した金子渓さん(36)。中国人として、女性として、そして親として、異国の地で大家業にまい進する日々を追った。

日本に来た理由

1982年、中国・湖南省に生まれた。現地の大学で土木工学を専攻し、修士課程を修了した2007年に留学で来日。名古屋大大学院で橋梁の耐震性について研究した。

「日本行きを決めたのは、単純にジャニーズが好きだったからです(笑)。別に橋梁に興味があったわけじゃなくて、日本に来られれば何でもよかった。日本語は学生の時に名探偵コナンのアニメを見ながら独学で喋れるようになったんですが、ずっと一人称が『ボク』だったからビックリされた思い出があります」

日本語で知識ゼロから専門分野の学びを深めることには当然苦労したが、無事に3年間で博士号課程を修了。卒業する2日前、28歳の誕生日を前に入籍し、専業主婦としての生活を送りながら不動産投資の勉強に励んだ。

進む道を決めた母親の姿

就職ではなく不動産投資を選んだのには理由があった。「30歳までに子供を産みたかったから、就職してすぐ育児休業に入るのを避けたかったことが1つ。それと、わたしの母親が株やFX、先物など投資のベテランで、PCの前に張り付いている姿を見て育ったこと。そういった投資が不安定だと実感していたから、資金があるなら不動産投資がやりたかった。中国の不動産が簡単に手が出せるようなものではないと知っていて、日本の投資環境が世界一だと感じたことも理由です」

3カ月の猛勉強の末、宅建に合格し、本格的に物件購入の準備を始めた。

どんな物件からスタートするか考えていた30歳の時、ある不動産投資家のコラムに感銘を受け、主催するセミナーに参加した。「何百ページもの資料が出てきて、正直言って『何を喋ってるんだろう』と意味が分からなかったんですが、その人が言った『不動産投資では一つ一つの土台をしっかり作って登っていくのが確実・安全な道』という言葉が自分の投資スタイルを決定づけました」

ずっと坂道を登っていくと、失敗した瞬間、真っ逆さまに落下してしまう。まず小さな区分をキャッシュで買って平坦な道を作り、リスクをカバーできる状態を作ってから融資を使うという考え方だった。「当時、周囲では最初から融資を受けて一棟ものを買う人も多く、現金区分からスタートすることが正しいのか不安もあった。それでも、一歩間違えれば取り返しのつかない世界で、キャッシュもなくリスクをとることはしたくないと思いました」

自分なりの基準で

最初の物件を購入したのは2012年2月、第一子が誕生する直前だった。「現金区分投資で成功している投資家の方のサイトなどを参考に、『実質利回り12%以上』『家賃4万円以上』という基準でポータルサイトをチェックしていました。例えば2万円の家賃だと1回の修繕で半年分の家賃が飛んでしまうことになるので、ある程度家賃が取れる物件でないと厳しいと考えたからです」

購入したのは名古屋駅から徒歩7分、築38年のワンルームマンション。225万円で表面利回り20%、家賃4万円で修繕積立金などを引いた手残り2万8000円ほどという物件で、購入資金の一部は両親から援助を受けた。「実質利回りは12%で、今の時代ではなかなか出てこないような物件だったと思います」

オーナーチェンジで順調に家賃収入が入っていたが、問題もあった。「10年以上入居していた法人が退去し、部屋を見に行ったら壊れるものが全部壊れていて、お湯も出ない状態だったんです。給湯器は普通なら25万円かかるところオークションを使って8万円で落札するなど工夫してリフォームし、壁紙も一面だけターコイズブルーにしたら好評で、結果的に家賃を5万円に上げることができました」

「今のわたしでは助けられない」

その後も子育てに奮闘しながら、夫婦でマイペースに不動産投資を楽しんでいた。しかし、2015年に状況を一変させる出来事が起こる。

「当時、主人は朝から晩まで仕事に明け暮れる毎日で、ストレスからアトピーがひどくなり、思考に霧がかかったような状態になる『ブレイン・フォグ』という症状に悩まされるようになったんです。ついに仕事も続けられない状態まで悪化し、休職せざるをえなくなってしまった。その時、主婦である自分が何も助けてあげられないという無力さを痛感した。この状況から一日でも早く脱出するため、主人が脱サラできるだけの収入源を自分が作る、と決意したんです」

地道に家賃収入を積み上げながら、実質利回り12%以上という基準を徹底し、現金で1年に1戸程度のペースで区分を5戸まで買い増し、2017年に年間CF300万円を達成した。「当時、主人は体の状態がギリギリだったんですが、最低限生活していけるだけの土台資金ができて、なんとか脱サラしてもらうという目標がクリアできた。その後、主人はずっとしたかったという大工の仕事を始めました」

最大の失敗

2018年、一棟物件にチャレンジする準備を整えるため、5年保有した1戸目と2戸目の区分の売却を決断した。「1戸目は倍以上値上がりして490万円で売ることができ、インカムゲインを含めてトータル400万円ほどの利益が出ました。2戸目も450万円で売却し、トータルの利益は350万円ほど。着実に自己資金が増えていき、一棟物件を買う道筋が見えてきたんです」

しかしその後、またも落とし穴が待っていた。

「区分の売却でロスしたCF分を補うため、共担物件としても担保価値が高いと思い、初めて戸建てを購入したんです。ポータルサイトで見つけた築45年の物件で、300万円で出ていたところ240万円で買いました。現況空室で、利回りは30%ほど。夫が大工の仕事をしていたので、自分たちでなんとかできるだろうと過信していたんです」

物件を実際に見に行ったのは決済の直前だった。「実際に見てみたら壁紙はフニャフニャ、浴室の床もはがれ、キッチンの油汚れも修復不可能なレベルで、とても人が住める状態ではなかった。業者から『半年前までおばあさんが住んでいた』と聞いて、じゃあそのまま住めるだろう、と自分の目で物件を確かめなかったことが最大の失敗です」

日本政策金融公庫からリフォーム資金として200万円を借り入れていたが、予算は完全に見込み違いだった。「水回りが全交換で、配管や電気配線にも問題があって、付き合いのある業者さんに相談したら『1000万円かかるよ』と言われて愕然としました」

3カ月ほどは出口が見えない闇の中だった。「このままでは売却でロスしたCFを補うどころか、せっかくの売却益も水の泡になる」。リフォームに60万円ほど突っ込んだところで、「これ以上手持ち資金を減らせない」と、戸建ての運営を断念。空室のままリフォームをストップし、古家付き土地して売りに出した。「区分の売却でなんとか1500万円以上の手持ち資金と共担物件3つを手にし、一棟物件に挑戦する土台が整ったことで、ようやく損切りをする決心がついたんです」

憧れだったロフトの光

それから一棟物件探しの日々。「戸建て用地としての出口を考え、敷地面積や接道状況などを重視して探していました。LINE@に登録していた不動産会社の中で、面白い物件を扱っている会社があったから、昨年9月に面談しに行って、その時に社長と話せたんです。自分の現在の状況や希望条件などを説明したところ、ある物件を紹介してくれて、見学に行った次の日に買い付けを入れました」

購入したのは千葉県の築30年、駅徒歩5分の木造アパートで、価格は5000万円、表面利回り12%。土地は100坪で、2Kロフト付きのメゾネットタイプだった。「1Rや1Kは競争相手が多すぎるので、そういう部屋に住んでいる人が手狭に感じてもう少し広いところに住みたいという需要を狙いました。光が差し込むロフトが自分の憧れだったこともあります」

融資に関しては、属性が低くてもフルローンが狙えるノンバンクを利用した。「わたしが専業主婦で、主人もサラリーマンの属性を捨てた状態だったので、普通の銀行では厳しい状況だった。だから、このノンバンクに強い業者を探したという面もあります」

購入時の入居は14室中7室。「家賃は周辺の1K・1Rぐらいの相場に抑え、満室時の月間家賃収入が50万円で、返済を差し引くと30万円ほどの手残りという想定。現在は14室中10室まで入居がつき、満室がみえてきました」

マインド改革のために

融資に対する恐怖感は根強かった。「去年は融資を受けて一棟ものにシフトするためのマインドを整える時期でした。一番のターニングポイントは、メルマガで同年代の主催者に興味を持った不動産投資のコミュニティに飛び込んでみたことです。融資に対する恐怖を消すにはマインドの改革が必要で、そのためには先を行っている先輩の話を聞くのが大事なプロセスだと思った。税金や管理について相談できる人脈ができたことも大きかったと思います」

そこで出会った仲間たちに救われた経験もある。「実はこのアパートを買う前の昨年7月、早く物件が欲しいという焦りから、利回り16%のソシアルビルを購入しようとしたんです。そしたら『難易度が高すぎる』と猛烈に止められた。エレベーターが交換時期に来ていて、購入後にそれだけで600万かかることが分かり、その間は店舗の営業もストップしてしまう高リスクの物件だった。一番不安な時期だったので、相談できる相手がいなかったらと考えると恐ろしいです」

35歳で初の就職

昨年はもう1つ大きな決断をした。初めての就職先として、地元の不動産会社に入社したことだ。「35歳で社会に出たことがないと、2人の娘に何も伝えられないと思ったことが一番の理由です」。いくつかの会社に履歴書を持ち込んだが、外国籍で職歴なしの主婦ということで不採用が続いた。「わたしは事務じゃなくて、どうしてもフルコミ(完全歩合給)の営業がやりたかった。そうじゃなければ普通のサラリーマン以上に稼ぐことは難しいと思ったからです」

そんな中、採用通知の出た仲介会社で10月から営業の仕事を始めたが、最初は苦労の連続だった。「わたしは一言喋ると外国人だとバレてしまうし、言葉が伝わりにくくて、何度も『聞き取れないよ』と言われ、『電話恐怖症』になってしまったんです。これを克服するには結果を出すしかない、と思って必死でした」

同僚はこの道20年以上の大ベテランばかりで、新人は1人だけ。「とにかく先輩の仕事を見て学び、1カ月目で最初の専任媒介が取れました。それが自信になって2カ月目で買い付けが2件入って…。自分で言うのもなんですが、3カ月で5件の買い付けというのはその会社の新人としてはありえないスピードだと聞きました。5年間の経験が顧客の安心につながっていると思うし、一生懸命伝えれば外国人という点が逆に『頑張ってるね』とプラスに作用することもあるんです」

伝えたいこと

夫は昨年4月に大工の仕事を一時休業し、「育児交代」となった。「今は向こうが主夫という感じで、育児がひと段落したら再度仕事を再開する予定です。わたしは娘2人に、女性の生き方、夫婦の姿はいろいろあるということを伝えたい。博士号課程まで勉強を頑張ったことは無駄じゃなくて、学びに対するキャパシティが広がった。最初は日本語を読むことすら辛かったのが、仕事として顧客に言葉を伝えられるまでになったからです。子どもたちに見せたいのは、学び続ける姿、行動し続ける姿。親の常識が子どもの常識を広げると思っています」

不動産投資を検討している女性たちに伝えたいのは「経験者に会いに行くことの重要性」。「1人で最初の一歩を踏み出すのは難しいですが、わたしもいろんな投資家の人と会ってから行動が大きく変わりました。今まで本の中でしかイメージできなかったことが、先を行く投資家の人生を目の当たりにして、実現可能な未来だと分かると動けるようになる。時には勇気を持って前に進むことも必要なはず。わたしも大きな決断をするたびにマインドが強くなっていきました」

(楽待新聞編集部・金澤徹)

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