「ジェットコースターみたいな人生ですよ」

良いことも悪いことも絶え間なく訪れる自らの人生を、明るい笑顔でそう話すのは楽待コラムニストの「サウスポー31」こと永射累理子(ながい・るりこ)さん。9棟1区分32室を所有する大家でありながら、行政書士として業務を行いつつ、さらに、自身が経営するスナックのママとしても働く、「三足のわらじ」を履く女性投資家だ。

過去には離婚やがん闘病、2度目に結婚した夫との死別も経験。借金を返すために1日も休まずに働き続けるなど、決して順風満帆の人生ではなかったと言う。

「不動産以外の仕事は辞めたいけど…」

永射さんが不動産投資を始めたのは、2010年のこと。大学時代に、友人の親がアパート経営をしていることを知って以来、「アパート経営はいいな」と思っていたと言う。

「友人は母子家庭だったんです。当時は、母子家庭というと貧しいというイメージもあった時代ですが、裕福で。なぜかというと、都心部にアパートを持っていたからでした」

だが、金融機関からの融資が下りなかったため、いったんは断念。大学卒業後はOLとして勤めた後、お茶やコーヒーの販売店や居酒屋、スナック、そしてブティックなど、さまざまな店舗を経営してきた。

現在は不動産賃貸業が「本業」と言うものの、昼は行政書士として内容証明や離婚協議書の作成など多岐にわたる依頼に対応しつつ、夜は自身が経営するスナックのママにも変身する多忙ぶりだ。

法務事務所で、行政書士としての仕事もこなす

経営するスナック「サウスポー」の看板

「行政書士として対応をしながら、物件の草取りをしに行ったり、スナックのおつまみを自分で作ったりもしているから。本当は不動産以外の仕事は辞めたいんだけど、どんどん増えていってる。遺言執行者になっているから行政書士も辞めるに辞められないし、スナックは『ママ、辞めないでよ』って言われちゃうと離れられなくて」

9棟1区分32室所有、家賃収入は1800万円

現在は、自宅から車で15分以内のエリアを中心に物件を所有。今年に入って購入した物件を含めて、アパートや戸建て、シェアハウスなど9棟1区分32室を運営している。そのうち、空室はたった1室だ。

今年に入って購入したアパート

不動産投資の世界に飛び込んで、最初に購入したのは競売にかけられたり、任意売却で販売されたりしていた区分マンション3戸。だが、激戦区にあったため入れ替わりが激しく、そのたびに原状回復に追われて「激戦区のワンルームは二度と買うまい」と思ったと言う。

最近は、「一見問題がありそうでも、実はよく考えれば問題がない物件を安く仕入れています」と話す。例えば、今年購入したアパートは「市街化調整区域」に分類される。市街化調整区域の物件は一般的には再建築ができない場合が多いが、この物件の場合は、同用途・同規模であれば再建築が可能な物件だった。

これまでの総投資額は1億2000万円ほど。年間家賃収入はおよそ1800万円で、返済額は月約80万円。融資期間はすべて15年以下で引いている。こうした返済や経費を引くと、税引き前で約600万円が手元に残る。

ピンク色の外観のシェアハウス

「できるだけかかる費用を抑えたい」と、大半の物件が自主管理。「ペンキ塗りが大好き」とも言い、室内の木部が剥げていれば自分で補修し、洗面台の棚の扉がサビていればDIYで飾り付ける。内見者へのアピールポイントとして、照明にもこだわっている。

サビていた箇所は、自分で飾り付けた

空室になっている部屋の照明。ネットなどで安く購入し、内見者にアピール

中でもお気に入りは、もともとは自身の自宅だった物件。その後に通常の賃貸物件として貸していたが、入居者の退去を機に約700万円をかけてシェアハウスにコンバージョンした。目立つピンク色の外観が特徴的で、現在は日本語学校が一括で法人契約。

「COLOR HOUSE」と名前が付けられた通り、室内のそれぞれのドアも別々の色が塗られており、明るくカラフルなシェアハウスだ。庭のベンチや木製フェンスも自身で塗装している。

元自宅は現在シェアハウスとして運営。「勇気が要った」というピンク色の外観

各部屋のドアには、それぞれ別の色が塗られている

26歳からずっと「お金との戦い」

自身のコラムニスト名をつける際、「波乱万丈大家」にしようと思ったという永射さん。そのくらい、さまざまな経験を積んできた。26歳で自営業を始めてからは「お金との戦い」。飲料販売店とスナックの経営を両立しながら、スナックでは7年間1度も休まず働いた。金融機関から借りた、スナック経営の事業資金と自宅のローンの返済のために、消費者金融からお金を借りたことも。

不動産投資を始めた後も、銀行からの融資が下りず、ノンバンクやカードローンでお金を借りて物件の購入費や諸費用に充てた経験もある。だが、返済は一度も遅れたことはない。金融機関への返済が一度でも滞れば、次の融資のハードルがより高くなるからだ。

「最近は、『趣味は借金、特技は返済』と言っています」と笑う。

がん闘病の苦しさ

大学卒業後、さまざまな店を経営しながらも法律の勉強を続けていた。法務事務所を開設しようと申請を出した直後、乳がんに罹患していることが発覚した。2011年のことだ。

「片側がステージ1、もう片側がステージ2。ステージ2はリンパまで転移していました。抗がん剤治療は、本当に苦しかった。もう死ぬんだと思った」

吐き気も高熱も続く、辛い闘病生活。抗がん剤と同じ、赤い色のゼリーを見ただけでも吐き気がするようになった。治療の影響で、髪の毛も眉もまつげも抜けた。咳が出れば肺に転移したのでは、と怯え、足が痛めば骨に転移したのでは、と怖くなる毎日だった。

7月初旬、福岡県内の自宅で取材に応じてくれた

日常生活を問題なく送れるようになった現在でも、薬は飲み続けている。

最愛の夫の死

1度結婚したが、子を連れて離婚。その後、2度目の結婚をした。相手は、元プロ野球選手の永射保さん。野球選手をすでに引退した保さんが店長をしていた居酒屋に、永射さんが客として訪れたことで出会い、長きにわたって交際を続けた。

2017年に入籍するも、わずか4日後、保さんは63歳の若さで亡くなる。肝臓がんだった。悲しみの淵で、通夜・葬儀の準備に追われた。

当日は、野球関係者をはじめ多くの参列者が来場し、また、各球団の監督や球団社長、現役・OBを問わずプロ野球選手らから多くの花が送られた。送られた花は会場だけでなく、廊下も埋め尽くしたと言う。「夫は、誰にでも気さくな人でした」と永射さんは振り返る。

永射さん(左)と、夫で、元プロ野球選手の故・永射保さん(右)

仏壇に向かって手を合わせる永射さん

保さんと一緒に、居酒屋も経営した。「夫に、『台湾でコーチをしないか』という話もありました。でも、1年で辞めることになるかもしれない。そうしたら今後の仕事に悩むことになる。それで、夫から『このまま日本で一緒に店をやろう』と言われて一緒にやりました」と思い出を語る。

保さんは、ピンク・レディーの大ヒット曲『サウスポー』のモデルになったとされる元西武ライオンズの名投手だった。現役時代の写真は、現在永射さんが経営するスナック「サウスポー」にも飾られている。

スナックには、夫の現役時代の写真が飾られている

「波乱万丈大家」のコラムニスト名にしようと思っていた永射さん。しかし、最終的には「サウスポー31」と名付けた。それは、「やはり夫を忘れてほしくなかった」から。サウスポーは保さんの代名詞。そして、31は保さんの背番号だ。

周囲からは、「これ以上物件を買ってどうするの?」と言われることもある。しかし、「ずっとやりたかった不動産。それをようやくやれるようになったのが8年前。まだ8年だから、まだまだ買っていきたい」と意気込む。「今までは利回り重視だったけど、ちょっと贅沢できるようになってきたから、憧れのエリアに、利回りを無視した物件も買ってみたい」と今後の目標を話す。

波乱万丈の人生も笑顔で語り、常に明るく、人をもてなし楽しませる。壮絶な人生を経ての強さ、そしてその人柄は、多くの人に勇気を与えるのではないだろうか。

(楽待新聞編集部)