東京の「住みたいまち」として根強い人気を誇る中央線沿線エリア。吉祥寺や中野などはその筆頭だが、そこから少し北にいくと、中央線沿線の雰囲気が感じられつつ家賃も安いという、ちょっとした穴場エリアがあるのだとか。今回はその中でも下町的な雰囲気が漂う独特なまち、中野区の「野方(のがた)」をピックアップして紹介する。

北と南で異なる趣

野方駅は、「高田馬場駅」から西武新宿線各駅停車で約10分、新宿・歌舞伎町にほど近い「西武新宿駅」から約15分という立地です。高田馬場にはJR山手線と東京メトロ東西線も通っていますので、これらに乗り換えれば野方から池袋まで約20分、渋谷まで約30分、大手町へも約30分。意外にも利便性の高い場所にあることが分かります。

野方駅の所在地。高円寺や荻窪といった中央線沿線駅のほか、新宿や池袋などにもアクセスしやすい

西武新宿線野方駅(著者撮影)

野方駅は橋上駅(きょうじょうえき=駅舎の機能が上階に集まったタイプの駅)になっていて、1つしかない改札口を出て右手が北口、左手が南口です。

乗降客数は1日あたり平均約2万5000人(2018年度)。同じ中野区の中野駅が約46万人(2018年度、乗り換え客も含む)であることから、利用者は決して多い方ではありませんが、駅前はこの数字以上に賑わっています。北口を出たところには、新青梅街道まで通じる「北原通り商店街」が続いています。スーパーマーケットや100円ショップなど生活に便利な店がたくさん並ぶ商店街です。

野方駅北口から北へ延びる北原通り商店街。野方の近隣駅にも同様の商店街があるため、野方ならではの景色とは言えない(著者撮影)

ただ、こうした商店街は野方の近隣駅(新井薬師駅、沼袋駅、都立家政駅、鷺ノ宮駅など)でも見られるものであり、このエリアの特徴ではあるものの、野方ならではというわけではありません。野方の特徴的なエリアは、実は駅の南側に広がっています。

個性的な個人商店が並ぶ駅の南側

では、南側に目を向けてみましょう。「野方駅前通り」をはじめ、まるで裏路地のような「ときわ通り」、個人商店の建ち並ぶ「野方本町通り」、「みつわ通り」が面的に商店街を形成しています。

野方駅周辺の商店街

南口も駅前だけを見るとチェーン店が多いような印象も受けますが、じっくり歩き回れば、八百屋や喫茶店、居酒屋、衣料品店など、日常で利用する個人商店が多く、また人通りも活気もあるエリアだと分かります。

「ときわ通り商店街」の様子。野方駅周辺は個人商店が多く、八百屋、飲食店、居酒屋、菓子店など様々な日常づかいのお店が立ち並ぶ(著者撮影)

「野方本町通り」に残る個性的な個人商店(著者撮影)

このように、チェーン店と個人商店がバランスよく残っているのが、野方駅南側エリアの特徴。この点が、日常生活の利便性を担保しつつも、下町風のまちの雰囲気を楽しめるという野方の魅力につながっているのではないでしょうか。

路線バスが充実

駅南側の商店街に広がりを生み出しているのが、駅から少し離れたバス乗り場です。駅前通りを抜け、左に折れた先にあるバス乗り場は「広場」というには少し狭いですが、豪快にバスが乗り入れてきます。ここから発着するバスは中野駅や新宿駅へ向かう系統で、中野駅までは約15分、新宿へは約30分。利用者も多く、野方駅からバス乗り場への人の流れを生み出しています。

野方駅の南側にある「野方駅」バス停。関東バスの中野駅や新宿駅に向かうバスが乗り入れる。写真奥の建物は再開発で生まれた建物「野方WIZ」(著者撮影)

バスと言えば、野方駅の真下を通る環状7号線には、高円寺行き、練馬行き、王子行き、赤羽行きのバスなどさまざまな場所へ向かうバスが走ります。中でも高円寺駅行きと練馬駅行きのバスは本数も多く、「野方駅北口」バス停から練馬駅まで約15分、高円寺駅までは約10分と便利。鉄道だけではなく、バスでも短時間でいろんな場所に行くことができるのも野方の特徴です。

野方駅の下には環状7号線が走る(著者撮影)

関東大震災後に人口が急増

現在の野方の姿はどのように形づくられたのでしょうか。

もともと野方という地名は広い地域を指す地名でした。江戸時代には、いまの野方エリアだけではなく中野駅周辺や、遠くは板橋方面までの広い場所を指し、「野方領」と呼ばれていました。

野方という呼称がどこから来たのかははっきりしません。ただし、1977年に発行された「なかの区報 第545号」には「田園の多い地方を里方と呼ぶのに対し、土地の生産力の乏しい地方を山方、野付あるいは野方と呼ぶことがありましたが、このような意ではないかと思われます」と書かれています。

この「野方」という呼称が現在に至るまで定着したのは、明治時代に編成された「野方村」があったためでしょう。野方村は現在の江古田、鷺ノ宮、沼袋などをまとめた行政エリアでしたが、このエリアには既存のどの村の名前でもない「野方」が採用されました(それまで、現在の野方駅周辺は「上沼袋村」、あるいは「下沼袋村」でした)。そして現在の野方駅のすぐ南に、野方村の村役場が置かれたため、野方の地名がいまの野方駅あたりに定着することになったのだと思われます。

その後、1923年に関東大震災が発生。被害の大きかった都心から野方エリアに被災者が流入した後、宅地化が加速して人口が増加していきます。さらに1927年には野方を通る西武鉄道村山線(現在の西武新宿線)が開業し、人口の伸びを後押ししました。昭和に入ってから中野町(現在の中野区南部)の人口の伸びが止まったのに対し、野方町(1924年に町制の施行により野方町となった)ではさらに人口増加が続きました。

一方、こうした人口増加と急速な宅地化は、農業の衰退にもつながりました。住宅が建つことで日陰になる土地ができたり、風通しが悪くなって病害虫の被害がひどくなったりしたのです。もともとは瓜やたくあんなどの漬物が生産されていたと言われていますが、農業だけでは生計が立てられなくなり、兼業農家となる者が増えました。1915年には6割いた農業従事者が、1930年には5%にまで減少しています。そして第三次産業の従事者が住民の中心になっていきました。

震災に伴う人口増加、そしてその後の鉄道路線開業、駅設置、これに合わせてまちが発達していき、今の商店街群や住宅街の原型ができあがりました。中でも野方駅周辺の商店街は、近くに町役場があったこともあり発達していきます。そして昭和初期までに現在の野方のまちの姿はほぼできあがったといってもよいでしょう。

野方は第二次世界大戦で大きな被害を受けることがなく、人口増加は続きました。1960年ごろからは住宅地を中心に地価も高騰、小規模な木賃アパートが多く建てられました。現在も小規模なアパートはあちらこちらにみられます。

防災面には不安も

関東大震災の後、郊外住宅地として人口が増加し始め、同時期に開業した鉄道が後押ししたことで急速に発展した野方エリア。

一方で、野方駅周辺は防災面では大きなリスクを抱えています。急速な住宅地化のため、計画的なまちづくりが行われたわけではなく、道路は入り組み、災害時の救助活動や避難に必要な広場空間もないのです。

野方駅南側の住宅街。密集している印象を受ける。アパートが多く、古いアパートも見られる(著者撮影)

特に野方駅南側や西側の一部にその傾向が顕著です。一方で、駅北側は道幅などにゆとりのあるエリアもあります。火災などによる延焼のリスクを考慮するなら、北側の物件を選んだ方がよいかもしれません。

野方駅北側、丸山1丁目の住宅街。駅南側の住宅地と比べると広々としている(著者撮影)

今後、この防災面の強化のためにまちの改造が検討されるかもしれませんが、現在のところは具体的な計画はありません。2018年に作成された「野方駅周辺地区まちづくり構想」にも、大規模な再開発の計画はありません。

まちに関係する計画としては、他に西武新宿線の野方~井荻間で連続立体交差化計画があり、西武鉄道では早期事業化をめざすとしていますが、こちらも具体的な計画が出てくるまではまだ時間を要しそうです。

今後は下町的雰囲気を残しながら防災性を高めるか、あるいは大規模再開発に舵を切るかの選択となるでしょう。

野方の魅力は日常の買い物で使うような下町的な商店街が個人商店・チェーン店共にバランス良くあり、現在も賑わいを見せているという点、そして野方駅からJR中央線高円寺駅までは徒歩で30分弱と、比較的近距離にも関わらず家賃が安いという点です。

少し話が逸れますが、野方と高円寺の間あたりに住んでいる筆者の友人は、最寄り駅は野方駅であるにも関わらず、住まいを尋ねられたら「高円寺に住んでいる」と答えているそうです(自転車で高円寺まですぐなので、嘘ではないというのが彼の言い分です)。

高円寺駅前の不動産屋で賃貸物件を探してみると、比較的家賃の安い野方駅付近の物件がけっこう見つかります。手頃な家賃で(高円寺のような)中央線沿線の雰囲気が感じられるエリアとして、不動産屋さんも紹介がしやすいのかもしれません。

防災面では課題もありますが、都心各駅へのアクセスがよく、下町の趣もある野方エリア。物件の場所を考慮すれば避けられるものでもあり、十分魅力の方が大きなエリアであると言えるでしょう。中央線沿線は好きだけれど、正直高くて手が届かない…という入居者にとっては有力な選択肢となるまちではないでしょうか。

(鳴海行人)