PHOTO:まちゃー/PIXTA

香港と中国本土の犯罪人受け渡しに関する「逃亡犯条例改正案」を巡り、2019年3月から始まった香港民主化デモ。10カ月が過ぎようとする今も収束の見通しは立っていない。

そんな中、香港市民の間で機運が高まりつつあるのが、他国への移住だという。強まる中国支配と治安悪化に備え、加速する「脱香港」の動き。移住先の候補として「日本」を挙げる人もいるようだ。今回は、元新聞記者で、現在は外国人不動産アドバイザーとして活動する佐野真広氏に、現地での実体験を交えて香港の現状をリポートしてもらう。また、香港人による「日本の土地購入ブーム」の可能性についても考察してもらった。

香港国際空港で見た光景

「報道されている以上に事態は深刻です。一度、こちらにきてご自身の目で確かめてみてはどうですか」

香港に住む記者時代の同僚に誘われ、2019年の9月末、筆者は東京・羽田空港から香港に向かった。当時は香港市民の間で問題視されていた「逃亡犯条例」が正式撤廃されたものの、警察とデモ隊の衝突は激化の一途を辿っていた。

私の渡航を聞きつけた友人や知人は「今は渡航すべきじゃない」と自重を促したが、元新聞記者の血が騒いだのか、どうしても自分の目で現地を見ておきたいという思いが抑えきれなかった。それに近い将来、日本を訪れる香港人が増えるかもしれない。外国人向け不動産に関わる身としては、この現状を正確に把握しておきたかった。4時間半のフライト中はそんな興味と不安が複雑に入り乱れていた。

およそ2年ぶりに香港国際空港に降り立つと、そこには不思議な光景が広がっていた。空港施設は平常通りの営業であったが、税関を抜けた到着ロビーは閑散そのもの。アジア屈指の利用客数を誇っていた混雑空港の喧騒は面影を失っていた。

2019年9月の香港国際空港。到着ロビーはガラガラだ(著者撮影)

空港から一歩外へ出ると、職員の言った言葉が瞬時に理解できた。至るところに重厚なバリケードが張られ、地下鉄やバスへの乗り換え通路には数メートルごとに保安員が目を光らせていた。どこからともなく注がれる公安や警察による無言の視線。一瞬にして緊張感に包まれた。

空港の外にある、身分証明書の確認場所。警備員が目を光らせている(著者撮影)

シャトルバスで街に出ても異様な雰囲気は続いた。香港の代表的な観光スポット「ビクトリアハーバー」。世界中の観光客を魅了する摩天楼は健在だったが、視線の先から警察と思われる人影が消えることはなかった。訪れた日は平日だったため、デモや集会は一切ない。街はこれまで通りの活気に満ち溢れていた。それでも、何気ない日常生活の中に潜む監視の目は否応なしに感じ取れる。

安住の地を求める香港人

元同僚から紹介された、現地で不動産業を営む唐氏(仮名)と合流すると、香港の現状についてせきを切ったように話し始めた。

「週末に行われるデモや集会がなければ、街自体は平穏なんです。でも、7月末から8月上旬にかけて起こった大規模なデモ以来、警察の監視が厳しくなっています」

一見して警察とわかる人だけでなく、人込みに交じって密かに市民を監視する私服警官なども少なくないと言う。いつどこで誰に監視されているかわからないというわけだ。

「そんな恐怖と戦いながら我々は今後この地で生きていかなければならないことを考えると本当に辛い。寂しいですがこれが現実なのです」(唐氏)

不穏な街の雰囲気を嫌ってか、唐氏のもとには19年8月以降、外国に安住の地を求める市民からの相談が増え続けているという。移住先として人気なのは、言葉の壁がない台湾やシンガポール。そして、物価や家賃の安いマレーシアなどだ。

唐氏によると、1997年に香港がイギリスから中国に返還された時にも大勢の市民が移住したものの、当時は香港の母国だったイギリスやオーストラリア、カナダ、アメリカといった英語圏への移住が中心だった。しかし今は東南アジアの中国語圏に移り住みたい人が増えているという。

唐氏によると、「中国への返還当時に比べてアジア各国の経済が発展したことや、預金、滞在年数など一定条件を満たせば比較的容易に永住権、就労ビザが得られることが大きい」のだそうだ。 

特に台湾は最短5年で永住権が取得可能(諸条件あり)で、マレーシアも一定額の預金と収入証明などがあれば、比較的容易に長期滞在ビザや永住権を取得できる。両国共に香港に比べて物価水準が低いので、中流階級の人でも移住のハードルはそれほど高くないのだという。

2017年に香港政府が公表した統計調査によると、香港の労働者全体の平均月収はおよそ1万5000香港ドル(日本円で約21万円、1香港ドル=14円で計算)。一見すると低い水準に見えるが、全労働者数の20%程は月収3万香港ドル(約42万円)以上を稼ぐと言われる。

しかも、香港は東京都のおよそ半分程の国土(約1100平米)に750万人以上の市民が暮らす。必然的に生活圏が限られるため家賃は高く、香港島や九龍の中心部であれば1LDKレベルでも月2万香港ドル(約28万円)が相場だ。同地域に自宅マンションを購入するとなれば日本円で1億円は下らない。この住宅事情に治安悪化や中国支配の拡大が加われば、富裕層を始めとした人々が移住に関心を寄せるのも無理はない。

2019年10月13日付の日本経済新聞(電子版)は、2019年6月から8月にかけての台湾の香港人に対する居留許可数は1030人となり、前年同期比で47%増加したと報じた。いかに急速なペースで移住が進んでいるか。この数字からも見て取れるだろう。

移住先として日本を選ぶ人も

ここ最近の香港では「日本」にも関心が高まっている。永住権がなくても土地や別荘を購入することが可能だからだ。香港は国土が極めて狭いこともあり、人々の「土地への憧れ」は我々が思う以上に強い。

しかも共産主義国である中国が今後香港を統治することになれば、市民の土地購入は不可能となる。その前に日本の土地付き一戸建てやマンションを購入し、将来的な滞在を考えても不思議ではない。

実際、香港の一部富裕層は東京郊外の物件を購入し始めているようで、唐氏によれば「3LDKの一戸建て。価格帯は5000万円程度のものが人気です」と言う。日本は治安がよく、教育水準や医療機関の信頼度も高い。近い将来、若い世代を中心に移住先の選択肢の1つとして人気が高まる可能性は十分考えられる。

現時点で、日本は外国人に対し土地購入に関する制限を設けていない。資金さえあれば住居購入は容易だ。ただ、外国人には言葉の壁と永住権取得の問題が立ちはだかる。特に永住権に関しては、滞在年数や就労実績等を含めた厳格なルールが存在する。こうした背景もあり、香港人による日本での不動産売買は今のところそう多くはないのだろう。

ただ、少子高齢化社会が進み、外国人労働者が増え続ける日本の国内事情や、時間と共に中国支配が進む香港の現状を考慮すれば、香港人による日本の土地購入ブームがいつ起きてもおかしくはない。もし日本政府が移民政策を緩和したり、外国人への永住権取得を推奨するようなことになれば、この状況は一変するかもしれない。

香港の「一国二制度」は今から27年後の2047年に終わる。それまでに日本の法整備や受け入れ態勢はどのように変化していくのか。今から注視しても遅くはない。

(佐野真広)