PHOTO:K@zuTa/PIXTA

まち探訪家・鳴海侑さんが個人的に注目しているまちに、不動産投資家の代わりに足を運び、そのまちの開発状況や歴史についてレポートする本企画。今回は約730万人(2019年9月時点)と全国4位の人口を誇る埼玉県から、さいたま市内の駅をいくつかピックアップしてもらった。

「大宮より北か、南か」で大きく変わる

近年、埼玉県への注目度が高まっているようです。

昨年2月に公開された映画『翔んで埼玉』は、ブルーリボン賞(作品賞)を受賞するなど大ヒットを記録、民間が行っている住みたいまちに関するアンケートでは、埼玉県のまちが上位にランクインすることも珍しくなくなりました。そんな埼玉県の中でも特に注目度が高いまちが「浦和」や「大宮」です。中でも今回は、鉄道が集中し、大型商業施設や繫華街がある大宮近辺でおすすめのエリアを探してみました。

埼玉県最大のターミナル駅「大宮駅」(西口)。新幹線のほか8つの在来線が乗り入れている(著者撮影)

さて、大宮周辺の居住エリアについて考えるとき、まず抑えておきたいのは、大宮以南(東京寄り)と大宮以北では鉄道の利便性が大きく異なるということです。

大宮には在来線だけでもJR宇都宮線(東北本線)、JR高崎線、JR埼京線、JR川越線、JR湘南新宿ライン、JR京浜東北線、東武アーバンパークライン、ニューシャトルの8路線が乗り入れています。

同じ路線でも、大宮以南(東京寄り)の駅ではおおむね10分以内に電車が来るのに対し、大宮以北の駅では昼間に15分から20分電車が来ないことがあり、終電もかなり早い時間になってしまいます。普段、大宮周辺にしか出かけず、東京都心方向へ行く回数が少ない人にとっては困らない環境かもしれませんが、住むならば東京方面へのアクセスがよい大宮以南の方がよいと言えるでしょう。

というわけで今回は、大宮周辺かつ大宮以南のまちである「与野」エリア、特にJR埼京線の「与野本町駅」と「北与野駅」、JR京浜東北線の「与野駅」と「さいたま新都心駅」周辺エリアにターゲットを絞ってまちの様子を見てみます。

「さいたま市中央区」ってどんなところ?

今回紹介するエリアは、いずれもほぼさいたま市中央区内に収まっています。中央区は、さいたま市が誕生する前の「与野市」に当たるエリアです。

2001年に誕生したさいたま市は当初、大宮市と浦和市と与野市の3市が合併して誕生しました(後に岩槻市も合併)。2003年には政令指定都市に移行するとともに、旧与野市域を「中央区」とし、装いを新たにしました。

与野がどんなまちなのか、あまり認知されていないかもしれません。知っていたとしても、「浦和と大宮に挟まれたまち」といったイメージが強いでしょうか。しかし、現在でこそ合併して同じさいたま市になっていますが、与野は大宮や浦和とは違うルーツを持っています。

なぜ「与野」は大宮、浦和から取り残されたのか

与野のまちは、古くはJR埼京線の西側にある台地の上に開けていました。ここはかつての鎌倉街道の支線(羽根倉道)に沿ってできていった市場をベースとしています。一方、浦和や大宮は鴻沼川(鴻沼排水路)を挟んで東の台地上を通る中山道沿いに発達した宿場まちがベースとなっています。このように現在はおなじ「さいたま市」となっている3市でも、与野だけ地理的にもまちのルーツ的にも他の2市とは少し異なった経緯を持っているのです。ちなみに、明治時代初期までは大宮、浦和、与野のまちの規模はほぼ同じでした。

中央区(旧与野市)の中央部を流れる鴻沼川(著者撮影)

しかし、1883年に上野から熊谷の間に鉄道が開業すると、まちの発展に大きく差が出ます。まず大宮には鉄道の工場が置かれ、大きく発展しました。また浦和には県庁がおかれ、埼玉県の行政拠点として発達していきます。一方で鴻沼川を挟んで西にある与野の市街地は鉄道のルートから大きく外れてしまいます。そのため、まちとして発展に大きく遅れをとり、大宮と浦和に挟まれた2つのまちの後背地かつ小さなまちとして取り残される結果となったのです。第二次世界大戦後の人口増加も一度1970年代後半に一度頭打ちとなってしまいます。

この状況を変えたのが1985年に開業したJR埼京線でした。新線開業で住宅開発が進展、人口はさいたま市合併直前で8万人になりました。さらにさいたま市に合併されてからも人口は増え続け、旧与野市にあたる現在のさいたま市中央区の人口は約10万人となっています。また今後も人口の増加が期待できるまちです。