「不動産投資で、ひどい経験をした。だからこそ、コラムで書くしかないと思った」ー。自らを「実践大家コラムの失敗担当」と話す「じゅんじゅん」さん。父が賃貸経営を行っていたことをきっかけに不動産投資に興味を持ち、2014年に不動産投資家デビュー。2018年8月から実践大家コラムを書き始め、2年足らずで150コラムを執筆。築古マンションや商業ビルの日々の運営について、会社経営の傍ら、更新を続けている。

「不動産投資家」よりも「大家」というべきその姿勢や、人柄の温かさからファンの多いじゅんじゅんさん。しかし、その過去には、人間不信に陥ってしまうほどの経験や、経営者としての苦悩があったという。経営者であり、大家であるじゅんじゅんさんが、コラムを通して伝えたいこととは。

「まさか自分が社長になるとは」

―コラムのプロフィールにも書かれていますが、じゅんじゅんさんと言えば、「清掃会社の2代目社長」というイメージです。昔から経営者になるという意識があったのでしょうか?

いいえ、若いころは父の会社にも清掃業界にも興味はありませんでした。むしろITやデザインに興味があって、23歳の時、友人とITの会社を立ち上げたこともあります。でも、経営のことが分かっていたかといえば全然で、経理関係のことが分からないので、お金の管理を友達に任せていたんです。そうしたら、会社がうまくいかなくなったとき、友達はお金を持って逃げてしまいました。

―いきなりすごいお話ですね。

持ち逃げだけならまだいいのですが、入金が済んでいない取引先があったことも判明したんです。私の把握していなかった負債が150万円ほどありました。当時の私には、150万円はかなりの大金ですよ。負債を減らすために働かなければならないのに、この件で人間不信になった私は、家に引きこもるようになってしまいました。その時、相談した父親に「うちの会社で働いたらどうだ?」と提案されて、事務として父の会社で働き始めました。

当初は、正社員ではなく、フルタイムのアルバイトとして働いていました。月給は10万円で固定です。それでも、特に人材不足でもなく、会社として余裕がない時期だったので、今思えば親に迷惑をかけたな…と思います。

ただ、それだけでは負債の支払いで生活がカツカツになってしまうので、会社が終わったら自宅で内職もしていました。古本のせどりとか、不用品の売却とか…。それでも月10万円程度にしかならず、しばらく遊ぶ暇がない日々を過ごしていました。すべての支払いを終えたとき、もう27歳になっていましたね。

内職では、手作り石鹸の販売を行ったこともあるという

―経営者として入社したわけではなかったのですね。

そうなんです。経営に参加する気もなく、最初はぼーっと働いていました。心の底には「IT関係が得意だったのに」「この職種に興味ないのに」なんて思いも少しありましたね。でもその時気付いたのが、「家賃収入って凄い」ということなんです。

―お父様の清掃会社が副業として「賃貸経営」をやっていたのですよね。

はい。もともとは、テナントとして借りていたビルだったんですが、以前の大家さんが亡くなったことをきっかけに競売にかけられたんです。それを父の会社が1億8000万円で取得して、そのビルのオーナーになりました。清掃会社が副業として賃貸経営を始めたのはそれからです。ビルは自分たちのテナントを含めて18戸、それをすべて自主管理していたため、父の会社には入居者がよく出入りしていました。その光景を見て「ああ、大家さんなんだな、うちの会社は」と意識し始めました。24歳頃のことだったと思います。

―ちなみに、家賃収入は当時どれくらいだったのでしょう?

当時は今よりも少なく、ビル全体で月130万円ほどでした。でも、この家賃収入の存在ってすごくありがたくて、例えば本業でハウスクリーニングを頑張って行っても、1件あたり2万~3万円ぐらいの売り上げにしかならないんですよ。単価が低い業界なんです。でも、家賃は自分が動かなくても、月130万円ほど入ってくる。これに気付いたとき、ゆくゆくは賃貸経営の道に進みたいと思いました。

―でも、不動産投資を始めたのは35歳の頃ですよね。すぐに始めなかったのはなぜでしょう?

家賃収入を吹き飛ばしてしまうほど、本業が大赤字だったんです。家賃収入を含めても、月の利益は10万~50万円ほど。本業の借入金が預金から落ちると、売り上げが入っていても毎月500万円ほど現金が減っていました。すると現金が足りなくなるから、返済するために更に借り入れをしていくのです。最終的に父は新規の借り入れができないところまで追い込まれ、金融機関から「後継者がいないなら今すぐ会社を畳め」と言われ続けていました。

―後継者候補としてはプレッシャーですね。

30歳のとき、「社長にならんか」と父に言われましたが、今の自分が引き継いでも、若くして自己破産する未来しか見えませんでした。そこで夜間大学に通って、2年ほど経営のことを勉強しました。勉強を重ねて経営の知識を付けていき、大学で知り合った人たちとの交流を経て、次第に「なんとかなるのでは」という気持ちも湧いてきました。結局、35歳のときに会社を継ぐことにしたんです。

それに、父の会社は創業56年で、古くから働いている社員さんがたくさんいました。やれるところまでやらないと、その方たちに申し訳が立たない。だから、借金を返せるうちは頑張ろうと思ったことも大きかったかもしれません。

―社長になったとき、会社はどんな状況でしたか?

借入総額3億6800万円、これは清掃会社の年間売上の約3倍の数字で、債務超過の状態です。金融機関に相談に行っても、「もう(会社を)潰したほうがいい」と言われることがやっぱり多くて、ある信用金庫の支店長には「お前に決算書が読めて、賢ければ、こんな会社継ぐなんて言わないはず。可哀そうだね、頭が悪くて」と言われ、会社の決算書を机の上に投げられたこともありました。挙句、「このビルを潰す(更地にする)ためのお金なら貸してやるわ」と。

―そこから、どのような行動をとられたのでしょうか?

言われたときは、悔しくて、腹が立ちました。でも、自分に勉強不足の点もあると再認識できたので、経営の勉強により力を入れるようになりましたよ。最終的には、三井住友銀行さんと話したとき、「もう返済はいいから倒産させなさい」とアドバイスされて、「借りたお金は返さないといけないので、返せる間は返させてください」とお願いしたところ、借金の返済に協力すると言ってくれて。複数ある借り入れをまとめて、借金を圧縮する方法を指導してもらいました。メガバンクの動きに倣って、他の金融機関も協力してくれましたね。いまは借金がどんどん減っているのですが、銀行にとっては成績ダウンになってしまうので、「いつか三井住友銀行さんで物件を買います!」と宣言しています(笑)。 

―会社の経営と、賃貸経営に違いはありますか?

やっぱり、人を使う苦労ですね。清掃業界は高齢者が多くて、しばらく会社で一番年下だったんです。私の性格上、年上の従業員に「これをやってください」と指示が出しにくくて…。自分で仕事を抱え込みすぎてしまって、鬱になってしまうこともありました。それに比べると、不動産は好きだし、「楽」なのかもしれませんね。

じゅんじゅんさんの愛犬「夢叶」ちゃん。毎日一緒に出勤をしている

会社を救った「オンボロビル」の奇跡

―会社の経営で、特に大変だったことはなんでしょうか。

父が亡くなった2016年ごろ、売り上げの30%を占める主要な取引先に契約を切られたことがありました。当時はまだ借金で足が出ている状況だったので、売り上げ30%減なんて耐えられないダメージです。雇用を維持することもできないので、取引先が新たに契約する清掃会社に直訴し、断腸の思いで従業員20人を引き取ってもらいました。それによって人件費は削減できましたが、売り上げのダメージが大きすぎる。そんなとき、所有しているビルの家賃収入に目を付けました。ビルの1階に親戚のテナント(元祖父の店)が入っていて、相場より40万円ほど安い、20万円で貸していたんです。

そのテナントが「もう(商売を)辞めたい」と言っていたことを思い出して、うちの会社の事情を話しに行くと、ちょうどいい機会だから退去するということになりました。それで「閉店します」と貼り紙をお店に貼ったら、入居希望者が殺到したんです。

―それほど立地のよい物件だったんですね。

最寄り駅から歩いて30歩くらいで、商業が盛んなエリアに近しい場所にあるんです。ずっと空かなかった店舗がいきなり閉店したものだから、賃貸募集を始める前から、「ここを借りたい」と事務所に飛び込んでくる人がいたり、知り合いを伝って連絡がきたり、とにかく問合せが殺到しました。しまいには「ここを借りられるならいくらでも出す」と言う人まで現れたので、不動産会社と相談し、家賃オークションをして、借り手を決めることにしました。 

―最終的に、家賃はいくらになったのでしょう?

家賃85万円、礼金450万円(60カ月分割払い)という条件で、不動産会社に貸すことになりました。今もその会社が借りてくれています。それまで20万円で貸していたので、大幅な賃料アップです。しかも、原状回復もゴミの廃棄も借り手が引き受けてくれて、持ち出しはゼロ。毎月の売り上げと利益が固定で86万円アップという衝撃をどう捉えていいか分からず、しばらく気が抜けてしまいました。

でも、それまで「借金を返さなければ」ということだけがやりがいだったのが、これをきっかけに「自分がやりたいことに取り組もう」と思えるようになれたと思います。