先日行われた「大家さんデビュープログラム」の最終審査。5人の投資家による面接を経て、見事選ばれたのはエントリーナンバー1番、元スキー日本代表の米谷優さん(30)だ。今後、米谷さんは物件を探し、購入し、入居付けまでを行って、大家としての本当のデビューを目指していく。
楽待新聞でもその過程を逐次お伝えしていく予定だが、そんな彼が一体どんな人物なのか、改めてご紹介しよう。
コロナで仕事が減り、不動産投資を決意
―見事選考を勝ち抜き、「大家さんデビュープログラム」でデビューすることになりました。最終選考から1カ月が経過しましたが、今のお気持ちや意気込みを聞かせてください
選ばれた時は本当に驚いて、頭が真っ白というか、ぼんやりしていたんですが、今はだんだん実感も出てきて、ちょっと落ち着いてきました。
今回のプログラムでは、基本の考え方について、広之内さんをはじめとする一流の方々から教えていただけるのは、なかなかない機会で本当にありがたいと思っています。
コラムを読んだりしているうちに少しずつ覚悟も決まってきて…。金額の重みはわかっていますし、どれだけサポートいただいているかも承知しているので、ドキドキしていますが、頑張ります。楽待スタッフの方の熱量もわかっているので、中途半端にはできないです。
―今回のコロナ危機で不動産投資を決意したそうですね
はい。以前海外の不動産投資家と出会ったときにそういう世界があるということを教えてもらって、興味は持っていました。
一方で、昨年12月から個人事業主として仕事を始めたんですが、今回コロナで当初予定していた仕事がなくなっていくのを目の当たりにして、不安だったんです。当初の売り上げ見込みからは、6割減となってしまって…。それで不動産投資を真剣に検討し始めました。
―不動産投資をすることを決めてから、何か行動したことはありますか
不動産に関する本を30冊くらい読んだり、すでに物件を持っている大家さんにコンタクトをとって、DIYの会に参加させてもらったりしています。現在は家賃という固定費を無くすため、妻の祖母が住んでいた空き家をDIYでリフォーム中です。
―DIY作業はいかがですか?
楽しいです。楽しすぎて、時間を忘れて続けてしまうのは良くないですね(笑)。仮に自分が買った物件でも、必要ならDIYもやろうと思いますが、そこは「楽しいから」ではなくてきちんと収益を考えて判断していきたいと思います。
それに、今は自分たちが住む自宅だからちょっとくらい失敗してもいいや、でやっているんです。これで本当に合っているのかな? と思う部分もたくさんあります。天井のクロス貼りとかはめちゃくちゃ失敗しましたね(笑)。
スキーで生きることに「迷い」も
―現役時代、プロスキーヤーとしての活動を教えてください
2018年までハーフパイプとスロープスタイルという種目の日本代表として、ワールドカップや世界選手権に出場していました。最高順位は、ワールドカップで9位入賞ですね。オリンピックを目指していたんですけど、それには最後届かなくて。そこで自分としては引退という道を選びました。
―そもそも、なぜスキーを始めたんでしょうか?
中学時代にあったスキー教室がきっかけですね。そこでスキーを教えてくれた方に、「君はこれからスキーをやった方がいいよ」と言われたんです。その後、担任の先生にまで「お前、学校に来なくてもいいから、スキーしたほうがいいぞ」と言われて。勉強もすごく頑張っていたんでちょっと戸惑ったんですけど、その言葉がうれしくて、本気になっちゃって。
コンビニでカップ麺を買い込んで、深夜バスで東京から1人でスキー場に行って、スキー場にある1泊1000円以下の仮眠室に泊まり込んで、トイレでカップ麺を作って練習して…という日々が始まりました。
―スキーで生きていくことに対する迷いはなかったんですか?
もちろんありましたよ。もともと、自分はそういうタイプじゃない。普通に大学に行って、就職して…という方が合っていると思うんです。でも、まあ、やりたいと思っちゃったんですよね。そう思ったら、突っ走っちゃう人間なんです。
最初はスキーのインストラクターになりたいと思っていたんですが、いろんな出会いがあって、ワールドカップに出たい、オリンピックに出たいと目標がどんどん上がってきたので、その時々の目標に向かって突っ走ってきました。
引退をした後、普通に就職をする選択もあったんですが、やっぱり自分が育ってきた業界に貢献したい、この業界で仕事をしたいと強く思ったので、今もスキー業界にたずさわっています。
―ハーフパイプやスロープスタイルは比較的新しい種目で、苦労したことも多かったそうですね
そうですね、オリンピック種目に採用されたばかりの2014年ごろは本当に厳しくて、選手もほとんどがアルバイトをしながら練習をしている状態でした。本当ならスキーだけに集中したい、しなくてはいけないんですが、お金がないとやっていけない。「こんな環境でオリンピックに挑戦するなんて無理だな」と思っていました。
―米谷さんもバイトをしながら練習を?
はい。いろいろやりましたよ。港で働いたこともあります。ニュージーランドから1箱40キロのチーズが大量に送られてくるので、絶望的な量のチーズをひたすら荷役台(パレット)に積むという作業をしました。「日本人こんなにチーズ食べないだろ」っていうくらいの量でした。フィジカルも鍛えながらお金を稼げるのでいいな、と思っていたんですけど、想像以上にチーズは重かったです…(笑)。
朝6時に仕事に行って、夜8時くらいに帰ってきて、11時か12時くらいまで練習して…という生活でした。辛かったけど、目標ややりたいことのために向かっていたので、楽しかった面もあります。同じことをもう一度やれ、と言われたら嫌ですけどね(笑)。
―そんな生活は、練習だけに集中したい選手にとっては確かに望ましい環境ではないですね
はい。それで、実業団を作ろうと考えました。つまり、スポンサーを付けようと思ったんです。周囲には「絶対無理だよ」と言われたんですけどね。新しいスポーツだし、「誰もスポンサーになんてならないよ」って。
でも、ほかの新しいスポーツでもだんだん認知されて、スポンサーが付いているところもあるわけだし、無理だって言うだけだったら、本当に無理なまま終わってしまう。それをなんとかしたくて、自分でスポンサー探しを始めました。
スポンサー探しに奔走、100社以上に断られ
―どんな風に行動を始めたんですか?
最初はどうやったらお金を出してくれるかがわからないので、とにかく「自分はこういう人間です」という資料を作って、いろんな会社に電話したり送ったりして、説明していました。でも、やっぱりほとんど門前払いでしたね。途中では「自分がやっていることってそんなに価値がないことなのかな…」と悩んだりもしたんですけど、「そんなことないよな」って自分に言い聞かせていました。
―始めたときはおいくつですか?
21歳くらいですかね。そこから2年くらい、100社以上に連絡していました。そんな時に、ある1社の社長さんが「連絡ありがとう。でも、私はあなたのことを何も知らない。検索しても出てこない。ブログもやってないでしょう。まずは情報発信をしなさい」と返信をくれたんです。その言葉に納得して、ブログを開始して、まだ出始めくらいだったFacebookもアカウントを作りました。SNSはとにかく全部登録して、ウェブサイトも知人に協力してもらって作って、情報発信を始めました。
それで、その社長さんに「情報発信しました!」と報告したら、「本当にやったんだね、良いね」と言ってくれて。僕が「次は何をしたらいいんでしょうか」と聞いたら、「地元の人を味方につけなさい」とアドバイスをくれたんです。
―地元の人ですか?
はい。僕も何をしたらいいか迷ったんですけど、「地元か…。小学校かな?」とひらめきました。その時にはワールドカップに出ていたので、小学校の校長先生に電話して、「僕ワールドカップに出ているんですけど、表敬訪問します!」と「セルフ表敬訪問」を申し出て、表敬訪問しました。普通は頼まれてするものだから、なかなかないですよね(笑)。
でも、その時に講演をしてほしいと頼まれたので、全校児童の前で講演したんです。それが区役所の方の目に留まって、区役所に呼ばれて広報誌の取材を受けました。そんなことが続いて、中学校の先生が応援してくれるようになったりして、「社長さんが言っていたのはこういうことか」と理解しました。
―だんだん認知度が高まっていったんですね。その次はどうしたんですか?
また、社長さんに「次は何をしたらいいですかね?」と聞きました。そろそろ企業のために動いたほうがいいと思うんですけど、と。そうしたら社長さんが「一度うちに来なさい。スポーツを企業が支援するっていうのはどういうことか教えてあげるよ」と言ってくれて、その会社で契約の仕方やスポンサー探しについて教えてもらいました。
その話が終わってから練習に行き、「明日からさっき教わったようにスポンサー探しをしよう」と思っていたときに、練習終わりに社長さんからメールが来たんです。
「さっきはありがとう。これだけ私のアドバイスをちゃんと実行して、実現したのはあなただけでした。だから、私たちと一緒に世界を目指しませんか?」と。
それで契約になって、僕らの競技で初めて実業団化することができました。
―実業団化のための行動について、どんな風に思っていますか?
その後に生きた経験でもありますが、やっぱり僕だけでなく、選手にとってはこうした活動はないに越したことはないです。練習や大会に集中できなくなってしまうので。だから、実業団も一代で終わらせたくなかった。今は、僕の後輩である選手に引き継いで、僕がマネージャーとしてサポートしています。
大会前の怪我に悩み苦しんだ
―選手時代、辛かった経験は?
成績が出ないと辛いですよね。スポンサーにも申し訳ないと思っちゃうし。やることやっているはずなのに成績が出なくて、どうしたらいいかわからなくて…。辛いことの方が多かったですね。高い目標を持ってやっていたので。
そういう時期には、ちょっとスキーが嫌いにはなりました。でも、そこから吹っ切れると、ずっと楽しかった。きついけど楽しい。これもできた、あれもできたって。どんなに好きでも嫌な時はあると思います。
―怪我に苦しんだ時期もありますか?
最後の大会前に、ニュージーランドで怪我をしました。現地に行って、調子よく練習をしていたら3日目に怪我をしてしまって、大会控えているのに1カ月間滑れなくて。最後のオリンピック前のめちゃくちゃ大切なシーズンでの怪我だったので…。ここで辞めようかとも思ったんですよ。
当時、考えていたことをまとめていたノートには「俺は一体どうしたいのだろうか」って書いていますね。「世界に行くのが正しいと信じていた、だけど今正しいかと聞かれると自信を持って答えられない。正しいと信じたい」って。
でも、自分がやっていたことを間違っていないと言い張るために、ここでは終われないと思いました。成績は良くなかったけど、大会には出たんです。できることをとにかくやるしかないな、っていうので。
―スキーの楽しいところはどんなところですか?
言葉にならない感動があるところです。言葉に表そうとしても、できないんですよ。景色も、冷気も、疾走感も、感覚に直接刺さるものがあるんです。僕は20年以上スキーをやっていますが、全然飽きない。翌日スキーをするとなったら、前日はわくわくして眠れなくなっちゃうくらい楽しいものですね。
―米谷さんの後ろには、大家デビューを夢見る多くの方がいます。彼らの思いも背負って、これからは、その情熱を大家さんデビューに向けても発揮していただければと思います。これから、どうぞよろしくお願いします
ワクワクと不安といろんな気持ちですが、精いっぱい頑張ります。よろしくお願いします!
(楽待広報部)
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