PHOTO: iStock.com/Juergen Sack

まち探訪家・鳴海侑さんが個人的に注目しているまちに、不動産投資家の代わりに足を運び、そのまちの開発状況や歴史についてレポートする本企画。今回は、再開発が進むウォーターフロント「みなとみらい」周辺をピックアップしてご紹介します。

「みなとみらい」は横浜新都心の象徴

オフィスやマンション開発が盛んで、不動産関係の話題にも上がりやすい東京湾岸エリア。一方、同じように開発が進むものの、不思議と注目度がそこまで高くない場所があります。それが横浜市の「みなとみらい21」(通称:みなとみらい)エリアです。

みなとみらいは横浜都心部の機能集中と強化を目指して開発された新都心で、近年オフィスの集積が進んでいることや隣接する地区に横浜市役所が移転したことでまちの機能を高めており、いま伸び盛りの地域です。そこで開発の経緯や現在の様子を通じてこのまちの全体像と可能性に迫っていきましょう。

みなとみらいは横浜駅の東口から桜木町駅の東側にかけて広がり、「そごう横浜店」に代表される「横浜駅東口地区」、文字通りみなとみらいの中央に位置する「中央地区」、赤レンガ倉庫が有名で、港湾施設が集まっていた「新港地区」の3つの地区に分かれています。

横浜はみなとみらいの開発が始まるまで、関内・伊勢佐木町地区と横浜駅周辺地区の2地域に都心部が分かれていました。そこで、2つを一体化し、多彩な機能を集積して都心部を強化すること、東京に集中している首都機能を分担することなどを目指して、新都心づくりのプロジェクトが計画されました。そして公募により名称が「みなとみらい21」となりました。ただ、現在では「みなとみらい」と呼ぶのが一般的になっています。

開業当初は空室が目立った「横浜ランドマークタワー」

みなとみらいにはもともと、三菱重工業横浜造船所など港湾関係の施設がありました。そして1965年に当時の横浜市長が高度経済成長による急激な人口の増加に対応するべく、 横浜市の環境整備と機能強化を目的とした「6大事業」を打ち出します。みなとみらいの開発計画は、そのうちの1つ「都心部強化事業」として始まりました。計画の発表から18年後、造船所の移転などを経て1983年に着工されています。

事業は順調に進み、1989年には横浜博覧会開催や横浜美術館がオープン、1991年にも「パシフィコ横浜(横浜国際平和会議場)」が竣工。いよいよオフィス機能を充実させて都市として発展する段階に入った、その時でした。バブルが崩壊し、1993年に開業した日本で最も高いビル「横浜ランドマークタワー」は空きテナントが目立つようになりました。ここからしばらくはオフィス開発のペースが落ちてしまいます。

桜木町駅に近い新港地区では、1999年に遊園地「よこはまコスモワールド」と大型商業施設「横浜ワールドポーターズ」が、2002年には赤レンガ倉庫がオープンし、「横浜ランドマークタワー」と合わせて多くの観光客を招くことに成功しました。その後も「カップヌードルミュージアム」(2011年)、「横浜ハンマーヘッド」(2019年)と次々に観光施設が開業しています。

明治・大正期に建てられ、横浜市が国から取得して改修を行った赤レンガ倉庫。現在はみなとみらいエリアの人気観光地として知られる(著者撮影)

取り残されていた中央地区

新港地区の開発が進んだ一方、中央地区はバブル景気崩壊の影響を受け、本格的な開発が遅れていました。こうした土地を有効に利用するため「暫定土地利用」という制度が誕生しています。この制度は開発に着手される前の土地を一時的に貸し出すものです。中央地区ではこういった未開発の土地が2000年代に入ってからも目立っていました。

そんな中、2004年に横浜駅と元町・中華街駅とを結ぶ「みなとみらい線」が開通し、中央地区内に初めて駅が誕生します。みなとみらい線開業で東京からみなとみらいへのアクセスが大幅に改善したことで、横浜市は積極的な企業誘致をはじめます。代表的なものとしては、「企業立地促進条例」を制定し、企業がみなとみらいに本社、研究所を建設・移転する際の費用を一部助成する制度を設けました。

努力の結果が実り、商業施設に比べて少なかったオフィス利用も進み始めます。2009年には日産自動車グローバル本社が、翌年には富士ゼロックスの研究開発拠点である富士ゼロックスR&Dスクエアが開業。時期を同じくして暫定土地利用の期限も次々と終了したため、跡地には新しくオフィスを中心とした複合ビルが建つなど、一気に本格的な新都心らしいまちの姿になっていきました。

みなとみらいのオフィスビル群を南側から望む(著者撮影)

南北を縦断する大通り

みなとみらい21地区を見る上で、隣接する住宅地である「ポートサイド地区」や馬車道駅周辺エリアも欠かせません。3つのエリアの交通の中核は横浜市道「栄本町線」です。この道は北の「ポートサイド地区」から南の馬車道方面までみなとみらいを縦断するように走り、「みなとみらい大通り」とも呼ばれています。大通りと言われるだけあって片側2~3車線の道幅を持つ道路です。

馬車道方面へみなとみらい大通りを南下すると道路は国道133号線や市道「新港79号線」と名前を変えながら関内エリアに入ります。関内エリアでは沿道に神奈川県庁や日本大通りがあり、横浜の観光地を楽しむことができます。そしてそのまま中華街の北側を通ると、西洋館が集まることで有名な山手の丘の下に至ります。このように、横浜の新旧市街地と人気スポットが続けざまに見られる栄本町線から山手の丘の下に至るルートはメインストリートといえます。

さて、栄本町線の北端のポートサイド地区へ目を移します。ここには元々工場や倉庫の跡地など大規模な遊休地があり、再開発で道路や住宅を中心に整備されました。このあたりは横浜駅から近い上に、「アート&デザインの街づくり」をテーマに街づくり協定に従って開発されたことから、タワーマンションを中心とした良質な住宅環境が整備されています。

横浜駅からポートサイド地区への入口に位置する商業施設「横浜ベイクオーター」と高層マンション。この辺りは元々倉庫の遊休地であり、再開発を経て高層マンションを中心に整備された(著者撮影)