まち探訪家・鳴海侑さんが個人的に注目しているまちに、不動産投資家の代わりに足を運び、そのまちの開発状況や歴史についてレポートする本企画。今回は少し趣向を変えて、かつて分譲地として開発されたものの、住み手がいなくなってしまった「限界ニュータウン」に着目しました。

放置された分譲地のいまを探る

首都圏の空の玄関口のひとつ、成田国際空港。1970年ごろ、その成田市を取り巻くように多くの小規模分譲地が開発されました。ここで言う分譲地とは、開発業者によって数十戸程度の戸建て用地が区画された住宅地のことです。

こうした用地の開発の主体は小さな不動産会社が主だったために、当時のデータや記録はほとんど残っておらず、その実態は自治体も把握できていません。さらに現在、それらの分譲地の多くで空き地が目立ち、中には管理がほとんど行われていない分譲地もあるといいます。

このような小規模分譲地はいかにして生まれ、どのような問題を抱えているのでしょうか。今回は、ブログ「限界ニュータウン探訪記」を運営し、このエリアの分譲地に詳しい吉川祐介さんにご協力をいただき、実際に現地を案内していただきました。

坪単価は1万円

吉川さんがまず案内してくれたのは、千葉県A市の分譲地です。隣の自治体との境に近いA市。隣町から2車線の快走路を進み、脇道にそれて250メートルほど走ると、区画整理された分譲地が広がります。

森と畑に囲まれた中に現れた分譲地は駅から約3キロの位置にあり、道路は舗装されていません。1辺は150メートルほどの正方形に近い形で、東西に3本の街路が敷かれていました。

A市の分譲地。まばらに家が建っている様子がうかがえる(著者撮影)

分譲された土地の半数以上は空き地で、すでに建っている家には空き家になっている物件もあるようです。道路脇の排水溝は掃除されておらず、場所によっては完全に埋まっているものもありました。管理状態はあまりよいとはいえません。


A市の分譲地では側溝が土で埋まり、擁壁が草の力で崩れているところがあった(著者撮影)

吉川さんによると、この分譲地の販売当時の坪単価は10万円以上と推測されるものの、現在の坪単価はおおよそ1万円ほどで、投げ売りされているような状態。それでも売れずに残っている土地が多く見られます。

A市に隣接するB市の分譲地で偶然見つけた売地の看板。坪1万円以下であることが強調されている(著者撮影のものを一部加工)

売り出しても買い手がつかず、貸家に

続いてB町の分譲地へ向かいます。駅から約4キロ離れた成田空港の開港を見越し、当時アパートが多く作られた造成地です。こちらの分譲地は道路が舗装されており、建物も多く建てられていますが、空き家も目立ちます。

B町の分譲地の様子(著者撮影)

「このあたりの分譲地に家を建てて住んだ人は、土地代などの支払いがギリギリだった人が多くいたようです。彼らはバブル経済崩壊後に経済状況が大きく悪化し、家を手放したり、差し押さえられたりしました」(吉川さん)

しかし、バブル崩壊後に高値で売れる物件は少なく、売りに出しても買い手がつかないため、最終的に貸家になる物件も多いという。吉川さんによれば、このエリアの貸家は戸建ての1棟貸しで月5~6万円ほど。広さや築年数などが異なるため一概には言えないものの、市街地に比べて家賃が月額1~2万円ほど安いそうです。

分譲地の中を歩いていくと、傾斜地の一角に空き地が目立っていました。傾斜地の分譲地には擁壁がつけられていますが、分譲されたのが1970年代のため、現在の基準をクリアしていないものが多くあります。そのため、擁壁の規模によっては、土地を宅地として活用するためには改めて擁壁を修繕する必要がありますが、それには数百万円かかるとのこと。

この土地に資産価値があれば数百万円かけても擁壁修繕を行ってもよさそうですが、先述のとおり現在の坪単価は1万円。資産価値が9割減っている土地を活用するためにわざわざ数百万円もかけられないというのが本音ではないでしょうか。

こうした分譲地はなぜ生まれたのか

では、そもそもこのような分譲地が生まれたのはなぜなのでしょうか。吉川さんはその背景にはバブル経済崩壊前にあったいわゆる「土地神話」が関係しているといいます。

「このあたりの分譲地は取得したときの目的と今の使われ方に違いがあります。分譲された当初は土地の値上がり目的の投機商品でした。購入した人の多くは現地を見ず図面だけで判断して購入していて、いまでも自分の買った土地を1回も見たことがないという人もざらにいます。そういう意味では同じ千葉県でも時々話題になる『原野商法』に近いものがあるといえます」(吉川さん)

分譲地が売り出された際のチラシ。使われている文言から宅地というよりも土地そのものの値上がりを期待した商品販売であることがうかがえる(吉川祐介さん所有のものを著者が撮影、一部加工)

こうした経緯から、分譲当初はほとんどの土地に家が建てられることはありませんでした。しかし、その後バブル経済の時に地価が大きく上がることで、東京都心部や千葉市に近いエリアの住宅を資金的な都合から購入できない人々の受け皿として、住宅がようやく建てられるようになりました。ただ、先ほど紹介したように経済的な都合から家を手放す人が多くおり、現在のような状態になっていきます。

そしてどうしても避けられないのはメンテナンスの問題です。実際にB町の分譲地の次に訪れたC町の分譲地には特に管理状態の悪い一角がありました。

C町の分譲地でも奥まったエリア所有者が放置したのか、分譲しても売れなかったのかは不明だが、放置状態になっており、擁壁と道路がなければ分譲地とはわからない(著者撮影)

一見すると藪なのですが、奥に進むコンクリート敷きの道が続いており、草木の根元には擁壁も顔を覗かせています。そしてよくみると、擁壁の上は平らになるようにならされており、かろうじてここが分譲地であることがわかります。

こうした土地では草木が擁壁を崩しているケースもあり、宅地などなんらかの用途で使用できるようにするためには多額の資金がかかります。今後相続された際には厄介な土地になることはほぼ疑いようもありません。

他にも別の分譲地では給水塔がさび付いて放置されているところや街灯の柱がさびて折れているところも多くみられました。管理状態が悪化すれば土地のさらなる値下がりは免れません。

給水塔は本来共用部で管理がされるべき設備だが、分譲地の中には写真の通り放棄されているものもある(著者撮影)

しかし、こうしたメンテナンスの問題は解決することがほぼ不可能だといいます。

「土地の持ち主自身が自分の土地の状況を全く把握していません。また、分譲地の住民で合意をとるためのシステムが多くの場所で作られていないので、共有部が荒れていても、修繕の合意をとるのはほぼ不可能です」(吉川さん)

コロナ禍でも需要は増えず

見れば見るほど問題だらけの分譲地。しかし、ユニークな利活用もされています。

「独身で一軒家を買っている人が知り合いに何人かいて、そういう人では5部屋あるうちの3部屋をアーケードゲームの筐体を並べたゲームコーナーにしたり、シアタールームとかトレーニングルームを作ったりと趣味の部屋を作るという使い方をしているひともいます」(吉川さん)

吉川さん自身も「転職できる程度には仕事が選べる環境ですし、自分が都内で暮らしていた頃に比べて音とかに気を遣わなくてすみます。例えばチェーンソーを使ったまき割りなど完全に田舎でやるようなこともできます。なので、よくいう都会と田舎のいいところ取りはできると思います」と分譲地での生活のメリットを語ってくれました。

近年はトレーラーハウスやタイニーハウスなど、小さな分譲地向けの新たな活用方法も出てきており、以前より注目度は上がっているそうです。

一方、コロナ禍で郊外物件の人気が高まっている、などの報道は最近よく目にしますが、そういったものとは縁がないと吉川さんはいいます。

昨年、大手不動産サイトで八街市がコロナ禍での問い合わせ増加率ランキングでトップになったことを挙げ、「自分は単に収入が落ちて安いところを探しているだけなのではないのかと思います。テレワークがはじまったから八街が人気になりましたといわれても、現実感がない。家賃が払えなくなったから八街に引っ越すかという考え方の方がよっぽどありうると思います」と吉川さんは冷静に見ていました。

居住者の視点から見れば面白い活用の仕方もあるようですが、売ることができず、貸家ではないと未利用のままになってしまう土地や住宅では不動産投資の対象として考えるのは難しいでしょう。

しかし、今回のエリアレポートが不動産投資に関係ないかというとそんなことはないと筆者は考えています。紹介した分譲は過去の土地神話時代に生まれたものです。購入した当初は数十年後に価値が暴落し、売るに売れない場所になっているとは思わなかったでしょう。むしろ安全な投資とすら思っていたかもしれません。

いま人気の土地や場所でも今後何があるかわかりません。近年も大災害やコロナ禍、人口減少社会の到来でますます社会の行く末は見えにくくなったように思います。そんないまだからこそ、分譲地のたどった道や現在の利活用方法を見ることに今後の不動産投資や活用のヒントがあるような気がしてなりません。

取材協力:吉川祐介さん

(鳴海侑)