2021年4月に、長年勤めた会社を早期退職し、専業大家となった「FIRE大家 テリー隊長」さん。投資歴は20年で、出身地である東京23区を中心に不動産投資を行う。現在は1棟マンション4棟、アパート2棟、区分2戸などを所有している。
今回は、テリー隊長さんがこの20年間の不動産投資人生をどのように歩んできたのか、その軌跡を前後編で振り返る。なぜ不動産投資を始めたのか、なぜその物件を購入したのか、当時の市況はどのような状況だったのか。
さっそく、テリー隊長さんの「不動産投資年表」を見ていこう。
テリー隊長さんによれば、これまでの不動産投資人生は大きく5つの時期に分けられるという。
予期せぬ出来事から不動産投資を始めるに至った「黎明期」。本格的に不動産投資を始めた「飛躍期」。リーマンショックの影響から、不動産投資と距離を置くことになった「休止期」。新しい課題に向き合うこととなった「相続期」。そして、「人生の第3ステージに突入した」と語る「法人拡大期」。
テリー隊長さんの不動産投資年表を見ると、家賃収入は常に右肩上がりで売却していないことが分かる。これまでの投資人生を振り返り、テリー隊長さんの「こだわり」を探っていきたい。まずは、テリー隊長さんが不動産投資家としての歩みを始める「黎明期」から話を聞いていこう。
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突然の海外転勤がきっかけで
不動産投資家だった祖父と暮らしていたテリー隊長さんは、幼い頃から「将来はボクも大家になるだろう」と考えていたという。それから数十年後、予期せぬ出来事をきっかけに不動産投資の道を進むことになる。
―どのようなきっかけで「大家」になったのでしょうか。
2001年、自宅として新築した戸建を賃貸に出したことがきっかけです。新卒で東証一部上場企業に就職して働いていましたが、30代半ばに突然、駐在員として海外へ転勤することが決まりました。「青天の霹靂とはこのことか」と驚きました。
せっかく家族4人で楽しく住めるように、かなりこだわって建築した戸建でしたが、泣く泣く賃貸に出すことになりました。
―予期せぬ形で大家デビューすることになったのですね。
突然の出来事でしたが、実家が祖父から続く大家業を営む家系だったので、家を貸すこと自体には抵抗はなかったです。昔から付き合いのある地元の不動産会社に入居付けと物件管理を依頼することにしました。
しばらくして、ある全国チェーンの社長家族に家賃約30万円で住んでもらうことになり、その後15年近く住み続けてもらいました。
とはいえ、この経験から不動産投資に目覚めたわけではありません。当時は、家族のために真剣に建てたマイホームを誰かに貸さないといけないことが残念でならなかったです(笑)。
―いつから不動産投資を本格的に始めたのでしょうか。
転機は、2000年に発売された『金持ち父さん貧乏父さん』(筑摩書房)です。転勤後、アメリカの本屋でこの本をたまたま手にしたんです。
金融リテラシーを高める傍らで、副業などでお金を増やす方法を身につけ、サラリーマンとしての生活を脱するということに魅力を感じました。家業が賃貸業だったことで抵抗感がなかった不動産投資に挑戦し、自分の人生を大きく変えたいと思うようになりました。
勤務地近くのニューヨークのマンハッタンで、投資用に物件を購入できないか、積極的に動いていた時期もありました。しかし、就労ビザで滞在中の日本人労働者に融資をしてくれる金融機関なんて見つかるはずもありません。試行錯誤しましたが、結局購入できず、悶々とした日々を過ごしていました。
その後、2006年に帰国することが決まり、すぐさま日本国内の収益物件探しを始めました。海外駐在の間に、「絶対に不動産投資をする」という気持ちが芽生えていました。
億超えの物件を2棟購入
「誰でもフルローンで物件を購入できる金融機関がある」という噂を聞きつけたところから始まるテリー隊長さんの「飛躍期」。投資家として本格的に事業を始めるため、フルローンで購入できる物件探しに奔走する。
―帰国当時、日本の不動産投資市況はどのような状況でしたか。
不動産投資界隈では、「第1次サラリーマン大家ブーム」が到来していたと思います。いろいろなサラリーマン大家さんがブログを公開していて、初心者はまずそこから勉強を始めるというのが定石でした。
また、このブームが起こった背景には、メガバンクであるA銀行の存在があります。
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