提供:東京スリバチ学会

東京には坂が多いと言われる。その多くが、坂と坂が向かい合い、谷のような形状になっていることを知っているだろうか。

例えば渋谷は、渋谷駅を底として、宮益坂、道玄坂が東西に伸びている。台東区の谷中は、不忍通りを挟んで団子坂と三崎坂が向かい合っている。こうした地形は、よく見ると台地が陥没したようになっており、ゴマなどをすりつぶす「すり鉢」を連想させる。

こうした窪地を「スリバチ地形」と名づけ、その特徴や街の成り立ちに与える影響を研究する人がいる。東京スリバチ学会会長、皆川典久さんだ。皆川さんは10年以上に渡り、スリバチ地形のフィールドワークを行ってきた。今回は、そんなスリバチ地形の特徴や見分け方、土地の将来性について語ってもらった。ぜひ物件購入時のエリア選びの参考にしてほしい。

東京に多い「スリバチ地形」とは?

東京には坂と坂が向かい合うスリバチ状の窪地がたくさんあります。皆さんも心当たりはありませんか? 東京の地形図を見ると、こうしたスリバチ状の窪地は、武蔵野台地、つまり東京都心部に特に多く存在します。

東京都心部の地形図(国土地理院5mメッシュ標高データ「東京都区部」をカシミール3Dで作成)(提供:東京スリバチ学会)

スリバチ状の窪地は、湧き水がつくった自然の地形です。周囲が崖のような急坂で囲まれているのが特徴です。窪地の底には、湧き水を源流とする川が流れていることもあります。

スリバチ状の窪地がたくさん見られるのが、東京が位置する武蔵野台地です。武蔵野台地は、火山灰が降り積もってできたと言われる「関東ローム層」という赤土で覆われています。この赤土は水を含むと崩れやすいので、急な坂、すなわちスリバチ地形ができやすいのです。

都心での具体例としては、港区の広尾にある有栖川宮記念公園や白金の自然教育園、六本木ヒルズの毛利庭園などが該当します。明治神宮内にある御苑もそうですし、おとめ山公園や須藤公園、戸越公園などもみな、スリバチ状の地形につくられた公園です。

有栖川宮記念公園。湧き水を溜めた池が豊かな景観を奏でる(提供:東京スリバチ学会)

公園ではありませんが、目白の椿山荘の庭園や、根津美術館の庭園なども同様です。いずれの池も元々は湧き水が溜まったもので、周囲の地面を浸食してスリバチ状になっています。

いずれの場所からも水が湧き出ていて、都心を流れる川の源流となっています。例えば井の頭池は神田川の水源ですし、善福寺池は善福寺川の源流です。三宝寺池は石神井川の水源のひとつとなっています。これらはまさに東京のオアシスのような存在なのです。

井の頭池。神田川の源流で、神田上水もこの水を利用していた(提供:東京スリバチ学会)

スリバチ地形は水害が起きやすい?

スリバチ地形は、直径100メートルほどのものから、1キロ程度の大きいものまでさまざまです。スリバチ地形は、もともと湧き水によって生まれた地形ですが、その原因となった湧き水を目視できる場所は減っています。都市化によって、地中に浸透する雨水が減ってしまったためと言われています。

ただ大雨の際は、降った雨がスリバチ地形の中心に向かって集まり、河川の氾濫や宅地の水没などの水害が引き起こされるリスクはあります。都市化の進行によって、森林など保水力のある自然が失われたため、雨水が一時的にスリバチに流入し、水害が起きやすくなったんです。

特に今よりも排水施設が乏しかった高度成長期以前には、スリバチ地形の谷底で水害が多発しました。

そうした過去の教訓を踏まえ、現在はスリバチ池周辺の自然を保全する取り組みや、アスファルトが雨水を吸収する「浸透性舗装」の採用などが行われています。さらには最新の土木技術を駆使し、降った雨を一時的に貯留する遊水施設や、自然河川の流量を補うバイパス放水路の整備などによって、高度成長期の時のような洪水被害は劇的に減少してきました。そのため、スリバチ地形のマイナス面である水害リスクは、ある程度は緩和されていると言えます。

スリバチ地形の土地利用の事例とは?

それでは、スリバチ地形のプラスの側面とはどんなものなのでしょうか。

スリバチ地形の特徴の1つは、豊かな緑地が確保されていることです。中心にある湧き水の源流部は自然環境が豊かで、まさに地域のオアシス的な存在となっています。代表例は、井の頭池などです。

また、スリバチ地形から流れ出た川の下流部では、桜並木が整備されるなど散歩を楽しめる場所が多いです。緑地が少ない地域にとっては、川沿いの緑地は公園の代替であり、住民にとっては潤いとレクリエーションの場所を提供しています。さらに、スリバチの谷間の斜面地などは、眺望を楽しめるため高級住宅地となっている場所も多々あります。

高度成長期以前を振り返れば、窪地や谷間は川の流れる肥沃な土地として、水田に利用されていた場所が多いです。農業生産性の高い土地として、古くから人が住み着いていたのは窪地や谷間周辺なのです。

スリバチ地形の谷間に作られた水田(提供:東京スリバチ学会)

「谷間の住宅地」の見つけ方とは

スリバチ地形の谷間には豊かな自然環境が広がっており、昔から多くの人が暮らしてきました。その特性は現在にも引き継がれており、「谷間の住宅地」は人気のエリアである場合が多いです。

分かりやすいのは東京都台東区の「谷中」でしょうか。文字通り「谷の中の町」です。根津・千駄木と合わせて「谷根千」と呼ばれ、人気のスポットになっていますね。このように「谷」の付く地名に着目すると、その場所は実際谷間であることが多いです。渋谷や雑司ヶ谷、茗荷谷、富ヶ谷なども谷間の地形です。

スリバチ地形の谷間には、住宅地ではなく商店街となっている例も多くあります。駒込銀座や染井銀座、目黒銀座、戸越銀座などがそうです。銀座と名の付く商店街ができたのは、関東大震災の直後や戦後でした。商業地を整備するために、谷間を流れる川を地下に埋め(暗渠化)、周辺を耕地整理して生まれたのです。

染井銀座商店街。藍染川流域の谷間が耕地整理されてできた(提供:東京スリバチ学会)

他にも、スリバチ地形の谷間にあるがゆえに、古くから人が集まりやすいスポットは数多く存在します。しかし、ぱっと見ただけでスリバチ地形を見つけるのは難しいと思います。建物が土地を覆っていて、土地の起伏を感じづらいからです。そうした地形を見つけるには、やはり自分の足で歩いてみること。平坦な道から上り坂、下り坂に差し掛かれば、土地の高低差にも気がつきやすいはずです。

原宿に見る「谷間の商業地」の将来性

スリバチ地形の谷間には、人が集まる住宅地、商業地が多いというお話をしました。それは、江戸時代に行われた区画整備の影響が今も残っているからです。江戸時代、住む土地は身分によって決まっていました。高台には大名屋敷や寺社があり、低地には平民が住み、町や農地を作っていたのです。東京ではその区画が今も引き継がれています。

平民が住んでいたことから、谷間にある住宅地・商業地では、土地の区画が比較的小さくなっています。それゆえ高台に比べて建物が小さく、通りに面して連続して並ぶ、京都の町屋のような形式となっているところが多いです。

また、区画が小さいことから道路も狭くなっている場合も多く、車の進入を拒んでいるような場所さえあります。車が入れないということは、静かで落ち着きのある環境が保たれていて、街歩きを楽しみたい人たちには好まれます。最近「ウォーカブルシティ(歩きやすい街づくり)」が国内外で推進されていますが、それを先取りしているとも言えます。

谷間にある商業地の中で最も成功しているのは、原宿のキャットストリートだと思います。これは、区画の狭さや、車が入りにくいというデメリットを町の個性に転化し、「裏原宿」の文化を育む場所となりました。東京のなかでも最もメジャーな谷間の商店街なのですが、地形に着目する人はいませんよね(笑)。

原宿「キャットストリート」。東京のスリバチ地形にある商店街の中で、最もメジャーな商店街と言える(提供:東京スリバチ学会)

そんなふうに、谷間の町は住環境として、高台とは異なる価値を有していると言えます。東京の場合、先にあげた商業地はどこも個性的で、車社会となった現代でも寂れることなく、むしろ観光地として人を呼び込んでいます。さらには地域住民にとって、ウォーカブルで利便性の高い都市空間となっているはずです。

土地の記憶を残すことの重要性

谷間の住宅地や商業地は、区画も道路も狭いため、大規模な再開発がしづらい土地でもあります。大規模再開発で生まれ変わった場所は確かに便利ですが、土地の記憶を失ってしまう例が多い。人に思い出が必要なように、町にも記憶が必要だと思っています。

再開発のために土地を集約せず、個々の敷地単位で建物が入れ替わっていく場所は、その町がどのようにできてきたのか、その記憶をある程度は継承できると感じています。

最近は、商店街の古い建物をリノベーションして生かし、個性的な住まい方やショップを求める若い世代も増えています。大型商業施設とは違う趣のある街で、自分たちが思う「豊かさ」を実現する舞台として、谷間の土地が活用されているようにも思います。谷中をはじめ「銀座」の名の付く地元商店街を歩いてみると、それを実感できたりします。

谷中で見かけるリノベーションを施した個性的なショップ(提供:東京スリバチ学会)

東京の地形は、高低差が激しく、高台と湧き水や川によってできた谷間から成っていると言っても過言ではありません。それに呼応するかのように、高台の町と谷間の町が、それぞれの個性を育みながら隣り合っている、そんなユニークな特徴を東京は有しています。東京で暮らす人にとっては、高台も谷間もどちらも選択ができる自由さがある。そんな風に自分次第で豊かさを享受できることも、東京らしさのひとつかもしれません。

(皆川典久)