「1棟目の物件は、資料上は『マイナス』が多かった。だからこそ、そこにチャンスを見出したんです」

こう語るのは、不動産投資歴20年超、一級建築士など31の資格も所有する猪俣淳さん。大学卒業と同時に不動産業界に飛び込み、業界歴は実に40年。約20年前に不動産賃貸業を始め、現在の総投資額は2億3000万円、家賃年収約2500万円、税引き後CFは約1300万円だという。

売却を織り交ぜながら、「コア物件×インカムゲイン重視物件×キャピタルゲイン重視物件」の3種類を組み合わせたポートフォリオを作る、という投資手法をとる猪俣さん。そんな猪俣さんになぜ不動産投資を始めたのか、どのように規模を拡大してきたのか、その半生を聞いた。

裕福ではなかった幼少期、小学生で「商売」

小学生の頃から「自分で商売をして稼いでいた」という猪俣さん。実家の近くの砂浜に打ち上げられたビンを拾い集め、それを酒店に1本5円程度で買い取ってもらう。それを元手にアイスを1箱買い、海水浴場でそのアイスを売っていた。今度はそれで得たお金で本を買い、読み終えたら教室の後ろの棚に並べて1冊30円で貸す。そんな風にお金を稼ぐ日々だった。「早く自立したい」という思いが根底にあったという。「実家の経済状況は、そこまで楽ではなかったんです」と振り返る。

7人兄弟として生まれ、自分の部屋を持つどころか、8畳の部屋で雑魚寝。りんご箱などを組み合わせて勉強机を自作していた。

幼少期の猪俣さん

「小学校の時に文集で『将来の夢』というテーマがあったんですが、『ビフテキ食べたい』と書いたことがありました。牛肉なんて、年に1回、クリスマスの時に父親が買ってきたものに、味噌をつけて焼いて食べるくらいでしたからね」

「早く家を出て稼ぎたい」「自分の家を持ちたい」―。そんな風に考え続け、大学卒業後は横浜にある地域密着型の不動産会社に入社した。不動産会社で働けば、早く家を買えるのではないかと考えたという。会社では、実需向け物件の売買仲介に携わった。

朝から翌日の明け方まで、休みもなく働くような生活だったが、「悪い不動産会社のような、ダーティーな仕事を求められるような会社ではなかった」ことに加え、平均以上の収入が固定給で安定して得られることで満足をしていた。何より、「人の人生に影響を与え、感謝されることもある」という不動産業が楽しかったという。

「入社してすぐの時に、貸家に住んでいた家族に、分譲の中古マンションを買ってもらったことがありました。若いご夫婦と幼稚園くらいの男の子、赤ちゃんの4人家族。その家に満足してくれたんだと思いますが、その男の子が大きくなった時に、結婚式にも呼ばれたんです。それが誇らしかったです。ちゃんと仕事をしてよかったと思いました」

子供のために不動産投資の世界へ

激務ながらも、やりがいを持っていた不動産の仕事。この仕事を通して出会ったお客さんが、不動産投資を本格的に考え始めるきっかけの1つでもあった。

「工場で働いていた方だったんですが、小さな貸家を買ったりして、不動産収入を得ている人でした。先輩にも後輩にもおごったりしていた、なんて話を聞いて、やっぱり収益物件はすごい、やってみたいな、と思いましたね」

このお客さんと同じような年代で、体を壊して仕事を失い、家賃を払えずに住んでいたアパートを出ていかざるを得なくなった人なども見ていた猪俣さんは、「自分も、不動産収入というセーフティネットを持っておかなきゃいけないな」と思ったという。

大学卒業後、不動産の世界に飛び込んだ

また、自分に子供が生まれたことも、不動産投資に乗り出すきっかけになった。

「36歳の時に双子が生まれたんです。この子達がもしこの先、浪人したり、大学院に行ったりすれば、定年後に学費がかかるのか…と不安を覚えました」

猪俣さん自身が学生の頃は、奨学金制度を利用し、高校も大学も自分で学費を出していた。学費を捻出するためにアルバイトも複数掛け持ちしていたため、講義中に寝てしまうことも多かったという。

「今にして思えば、せっかく勉強だけをできる4年間があったのに、それをしなかったというのはすごい機会損失だったな、と反省しているんです。だから僕は、子供には学費の心配をさせたくなかったし、奨学金返済のために職業の選択肢を狭めるようなこともさせたくなかった」

こうして本格的に物件を探し始めた猪俣さん。ある日、地元の不動産会社が送ってきた物件資料に目が留まった。それが、猪俣さんの1棟目となる物件、「八景台荘」だった。

「マイナス」に見出したチャンス

「八景台荘」は、横浜市金沢区にある物件だ。猪俣さんが購入した2001年当時で築30年以上経った木造アパートで、売り出し価格は3200万円。8世帯あり、家賃は1世帯約4万3000円ほどだった。利回りにすると、約13%だ。

「金沢区は工業団地があるほか、大学も近く、賃貸需要が十分に見込めるエリアでした。当時でも、相場の利回りは10%を切るくらいだったように思います。なので、八景台荘は比較的高利回りだったと言えます」

もちろん、ほとんどの場合、高利回りのウラには理由がある。八景台荘にも、いくつか気になる点があった。1つ目が1970年築と古いこと。2つ目に、物件が急な勾配を上り切った先に立地しているということ。そして3つ目に、物件資料の備考欄に「土地使用承諾あり」と書かれていることだった。このほかにもさまざまな条件が重なって、買い手が見つかりづらい物件だったのが、高利回りの理由だ。

だが、自分のもとに「いい物件」の情報が回ってきづらいことは理解していたという。「そもそも、基本的に良さそうな物件はお客さんに優先して回すので、自分に回ってくるのは誰も買わない物件になりますよね。これは収益物件の売買に携わっている人間のデメリットだと思います(笑)」

八景台荘も、そんな物件のうちの1つだ。だが猪俣さんは、「八景台荘は、みんながマイナスと思っている部分が『プラス』に見えた。そこにチャンスがあると思ったんです」と振り返る。

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