
PHOTO: よっちゃん必撮仕事人 /PIXTA
サブカルチャーから政治まで幅広いテーマを扱う作家・評論家であり、テレビ番組などでコメンテーターとしても活躍する古谷経衡氏は、自身を「不動産オタク」という。
そんな古谷氏が、自身の半生、そして所有する不動産や不動産に対する考えについて綴る連載がスタートする。
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私は20代後半で作家デビューし、現在商業作家としては10年選手になる。現在までの単著は26冊。共著を入れると30冊余に到達する。芸能事務所に所属し、時々テレビやラジオにも出演したりする。
そんな私は普段、政治・社会分野の本を書いたりコラムを出したりしているが、不動産への思い入れはことさらである。私は宅建こそ取っていないが(―とは言え学生時代取る努力はした)、不動産オタクの性質を持っている。
私と不動産との邂逅は少年時代に遡る。1982年生まれの私の両親は典型的な団塊の世代(1950年前後出生)で、バブル絶頂期に札幌市内に分譲マンションを買った。買った時期が非常に悪く1989年(平成元年)で、3LDK約67平米を高値掴みした。しかもデベロッパーは2003年に民事再生法を申請することになる「セザール」だった。
物心ついた時から、私の家は何故こんなにも狭いのだろうか、という事を考えていた。私の家族は両親と私、7歳離れた妹の4人家族であった。国が定める誘導住居水準(都市型)からすると、4人家族で75平米の確保が常道になるが、私の実家はそれに満たなかった。家具が溢れ、10畳強程度の狭いリビングと、少し大きな冷蔵庫を置いただけで窒息しそうなキッチン。
そうした物理的制約の中で私の母は徐々に精神を苛まれ、新興宗教に入信した。もちろんそれは住空間がすべてを決したわけではないものの、私の実家にあってあらゆる「もめごと」の半数以上は住空間の狭さに起因していると思う。空間的なゆとりがあれば、母の神経衰弱はほとんど解消できたと思うからだ(詳細は拙著『毒親と絶縁する』集英社を参照のこと)。
ともかく私は細分化された寝室の中で住空間の不自由を満身に受けつつ多感な10代を過ごした。
お粗末な不動産教育
平成前期、北の大都市である札幌にもバブル期に計画されたマンション分譲ブームの余波が残っており、それは90年代中盤まで続いた。作家の宮部みゆきは1996年に北千住のタワマンを巡る悲喜こもごも(主に競売物件落札者と占有屋の関係)を描きそれを長編小説『理由』として発表したが、分譲マンションブームの絶頂はバブル崩壊に遅行すること約5~7年であることはよく知られている。
住宅は一生に一度の買い物のはずなのに、一般的な理解と知識の頒布はまったくともなっていない。
全国に実に790近くある四大(2022年現在)で「不動産学科」が存在するのは千葉県浦安市の明海大学だけである。文明的生活の基盤をなす「衣食住」のなかの「衣食」については、被服学科や食品学科等が多数あるのに、「住」をつかさどる不動産分野は、経済学・法学の中にやおら包摂されて、ついぞ横断的な学術研究がなされているとはいいがたい。
これが日本におけるはばからぬ不動産教育のお粗末な実態である。つまり日本は大工業国の中でアメリカを除き唯一、人口1億人を超える大国家でありながら、不動産分野についてはまったくその知見が共有されていない。逆にいえばこれは不動産の知識を先行的に得た者を著しく有利にし、その知識がないものは劣位に置かれるという実態を示す。
現代日本において、不動産知識の涵養(かんよう)は最も重要な人生ファクターのひとつだが、その認識が共有されていないので、知識のない客は徹底的にカモにされる。こういった慣習が現在でも脈々と生きている。
知識のないものは「カモ」にされる
話を私の少年時代に戻すが―。なぜ私の両親はこうも劣悪な住環境のマンションを買ったのか。子供だった私にはずっと違和感があった。
もちろんそれは彼らの年収や住宅ローン金利の趨勢によるものでもあるが、基本的には(前掲書にあるように最早絶縁しているものの)私の両親が不動産全般に対して無知な「カモ」同然だったことに由来すると思う。とりわけ私の父は教条的で封建的な思想を有する地方公務員で、世間一般に対する視野が狭かった。不動産の知識がなく、都市計画や建ぺい率と言った単語を知らないばかりか、区分所有の概念を正確に理解しているかどうかも怪しいものだった。
知識のない客は食い物にされる―。これが不動産業界の暗黙の共通認識だが、私の両親は典型的にこのカモで、徹頭徹尾無知がゆえに「ババ」を引いたのだと思う。私の不動産への執着は、こういった私の両親が歩んだ「不動産購入の失敗」を濃密に踏襲するものになった。デベロッパーや業者に騙されないだけの最低限の知識が重要である―。こうした考え方で、つまり私は実家の住空間のお粗末さを反面教師にして、不動産に関わるありとあらゆる事象を勉強するようになったのである。
社会システムの要であった「住」
私は普通科高校から関西の日本史学科を有するマンモス私大に進んだので社会科学的な不動産の勉強を専門にしたわけではない。しかし歴史学の中で、土地所有権こそが究極の私有財産であり、それを護持し、発展させるための抗争の経緯こそが、日本における中世史・近世史の要諦なのだと思い知った。
もちろん日本に限らずだが、あらゆる文明史にあって「衣食住」のとりわけ「住」にまつわる関係性こそが文明社会の根幹にあり、それこそが社会システムの中で常に問題となり、良くも悪くも社会構造の要諦だったという点である。土地所有権(私有地)と権力の関係は文明の歴史そのものと言ってよい。
律令国家を経由して概ね平安時代後期に封建制に移行した日本は、私的所有地である荘園の支配権をめぐって常に訴訟が相次ぎ、それだけで解決がなされないとなると大勢力・私人間の抗争が頻発して武力が行使されることになり、その武力の行使主体こそが「武士(侍)」という武装階級を確立させた。
彼らの勢力伸長はときおり大規模な内戦に直結した。その究極形態が源平合戦であり応仁の乱であった。つまり「サムライ」とは中世社会にあって私有地を武力で護衛する職業人であり、ここに「武士道」などと言う大義が付与されるのは朱子学が普及した江戸時代になっての話である。「サムライ」の原義は私有地の護衛者に過ぎない。
近代以降、私有地は大資本によりますます蚕食され、資本家が零細農民に借地として土地を貸し与えることによって小作農が成立し、彼らは高額の小作料により構造的に被搾取の側に組み込まれたちまち資本主義の暗部が露呈した。
このような流れの中で生産手段の共有化を目指す運動、つまりマルクスを筆頭とする共産主義の発想が出てきた。近代日本における労働運動や社会運動の多くは、土地所有権について劣位に立たされた小作農の貧困救済をその理論的支柱にする。
拡大解釈すれば、戦前日本は私有地を持たないか、持ったとしても零細にすぎなかった多くの小作農の貧困とそれが故の低生産性が社会不安を増大させ、結果として低生産性が残置されたがゆえに集産化・工業化の足かせとなって経済が発展しなかった。そういったとりわけ農村部の貧困が「皇道派」のクーデターを正当化した。つまり1936年の2.26事件である。
皇道派は2.26により事実上粛清されたが、今度は陸軍内で東條英機らの「統制派」が寡占することになり、より一層の軍ファシズム体制の確立と大陸侵略を推し進め、やがては太平洋戦争が勃発する。
たかが土地の権利ではないか―と思うかもしれないが、土地所有権と土地本位の上に生産される生産財の不均衡、ないし不平等は近代日本にあって世界戦争の遠因になったともいえる。
築かれた「唯住論」
土地所有権、つまり不動産を巡る闘争は文明史の中で不変である。「衣食住」と簡単にいう。たしかに「衣食」は平易に満たされるが、私人同士の利害が絡む「住」については一筋縄ではいかない。私は大学時代、歴史を徹底的に学んだからこそ、不動産がいかに人間の文明と人間の営み=生活に決定的な影響を与えるのかを知った。
近代以降、私有財産とりわけ土地所有の在り方には一定のルールが設けられ徐々に改善されてきたが、本質は現在に至るまで変わっていない。「土地の権利をどう確立し、それをどう活用するか」。不動産への俯瞰的理解はこれに尽きる。この延長線上に現在の借地借家法がある。
私は20代後半になって、とにかく床面積の広い物件を選んで賃貸契約した。前掲の少年時代、極めて窮屈な空間と映った実家の前掲失敗を繰り返さないことを念頭に置いたからである。結婚後は、4人家族で75平米は絶対条件とした。住空間の貧弱さは精神の貧困に直結する。マルクスの唯物論でなく、「唯住論」というべき理屈が私の中でできあがっていた。
もちろん、「狭いながらも楽しい我が家」という言葉がある。住宅の劣悪性=家族の幸福では必ずしもない。ないが、人生の大部分を過ごす住空間の貧困は、ライフスタイルとそこから生まれる精神の豊かさの尺度に直結しているという信念は、現在もまったく揺るがない。
不動産の豊かさは比例してそこに住む人間の精神を豊かにする。逆に不動産の劣悪さはそこに住む人間の精神を蝕む。つまり不動産を下部構造とすると、人間の精神、価値観や道徳観はその上部構造であり、下部構造たる不動産の優劣が上部構造=人間精神を「規定する」のだ。まさしく「唯住論」である。
住空間が人間の精神や価値観をいかに拘束するのかという実証的な学術研究は、日本においてもっとあっても良いと思う。かなりの部分の家庭内暴力や不和・不協和音、子供の自立問題は、不動産における間取りや面積の構造とリンクしていると思うのだが、もちろんそれは更なる事象の研究を待たなければならないし、私にとって極めて興味深い今後の研究対象である。
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