熊本県菊池郡菊陽町に建設中の「TSMC」新工場。敷地面積は21万平方メートル超(2022年11月、編集部撮影)

2022年の基準地価(7月1日時点)で、工業地において全国1位の上昇率31.6%を記録した町がある。熊本県中部に位置する、菊池郡・菊陽町(きくようまち)だ。

菊陽町の人口は約4万3000人(2022年時点)。複数の工場が集積する工業団地を擁し、近年は熊本市のベッドタウンとして交通インフラや住環境の整備が進んでいることから、全国でもトップクラスの人口増加率を誇っている。

そして今、町にさらなる活況をもたらしているのが、世界最大の半導体メーカー「TSMC(台湾積体電路製造)」の新工場建設だ。ソニーグループやデンソーも参加しており、2024年の操業開始を見据えて現在、急ピッチで工事が進んでいる。投資総額は1兆円を超え、工場建設による熊本県への経済波及効果は、10年間で4兆円にのぼるという調査結果もある。

今後、関連産業を含め数千人規模の雇用が生まれると見込まれているこのプロジェクト。菊陽町周辺では賃貸需要も上昇している。新築用地はすでに争奪戦になっているというが、実際の不動産市況はどのような状況にあるのか。現地から記事と動画でレポートする。

新工場建設は日本の「国策」

編集部が現地を訪れたのは、2022年11月中旬。熊本空港から車で北へ15分ほど進むと、のどかな畑が広がる風景に突如、巨大なクレーンの群れが現れた。

熊本空港から車で15分、菊陽町原水付近の工場建設現場(編集部撮影)

工場建設地は熊本県中部の菊陽町原水付近。JR「肥後大津」駅と「原水」駅から3キロメートルほどの場所だ。取材当日は日曜日ということもあり作業員は少なかったものの、広大な敷地に重機が並ぶ様子は圧巻、「1兆円規模」の建設現場の迫力は十分に感じられた。

このTSMCの工場誘致は、日本の「国策」でもある。

一昨年来のコロナ下では、サプライチェーンの混乱により半導体が不足、家電製品や自動車の製造が停滞し、国内経済はダメージを負った。こうした経緯から、半導体の国内生産体勢の増強が望まれていた。

そして2022年6月、政府が工場の建設計画を正式に認定。これに伴い、国から最大4760億円の補助金を支給することも決定した。日本が海外企業に対して個別に行うものとしては、過去最大クラスの支援となる。

「地価2倍」でも勝算十分?

そうした中、菊陽町周辺では、建設現場の作業員や操業後に雇用される従業員向けの住宅確保が急務となっている。

熊本県全域で不動産の売買・賃貸仲介・開発事業などを行っている「コスギ不動産」は今年3月、菊陽町に隣接する大津町(おおづまち)に、約2000平米のマンション建設用地を確保した。TSMCの新工場まで車で10分程度の距離だ。10階建てで、単身者向けを中心に全90戸ほどのマンション建設を予定しているという。

同社で工場関連のプロジェクトを統括する益﨑清治氏は、「土地の値段は驚くほど上がっています。以前(TSMCの進出が決まる前)は坪十数万円程度でしたが、今はその倍ぐらいになっています」と話す。

コスギ不動産が取得したマンション建設予定地。大通り沿いで周辺には商業施設もあり、「立地は非常によい」と益﨑氏。もともとビジネスホテルが建っていたという

このマンションについて同社では、2023年秋頃の完成・入居開始を目指しているが、現在着工がやや遅れ気味だという。「九州中の重機がTSMC工場建設に集中していて、工事が始められない」(益﨑氏)ためだ。

周辺には他にも、新築と思われる中規模のマンションが点在するが、「菊陽町、大津町ともに、いまは本当に空室がほぼない状態です。需要に供給が追いついていません。これからさらに(TSMC関連の)人が増えてくると思うので、新築物件を作れればすぐに埋まると思います」と増﨑氏は言う。

新築アパートを建設した投資家

工場関係の需要を見込み、アパートを新築した投資家にも話を聞いた。

熊本県出身で、現在は京都府に住む投資家の「とくちゃん」さん。昨年、大津町内に約300平米の土地を270万円で購入、木造1棟アパートの新築契約を結んだ。土地は現金決済、建築費の4500万円は地銀から金利1.1%のフルローンを期間22年で引いた。表面利回りは8.4%だ。

物件を購入した経緯について、とくちゃんさんは次のように話す。

「もともとこのエリアは『セミコンテクノパーク』と呼ばれていて、複数の工場が集積する地帯です。単身者向けの1K、1DKの住宅が常に不足している、という話も不動産会社から聞いていて、アパートの新築を検討していました。そうした中、2021年5月ごろに『熊本にTSMCが来るかも』という報道がされるようになったんです。以前から購入を検討してはいましたが、TSMCの件は購入の後押しになりましたね」

とくちゃんさんが新築した1棟アパート。全6戸のメゾネットタイプで、各戸用にEV(電気自動車)の専用充電設備も完備している

部屋数は6部屋、1階が1DKで2階がワンルームという間取りだ。家賃は共益費込みで5万8000円。募集開始と同時に複数の申し込みが入り、すぐに満室となった。6室中5室がTSMC関連の入居者だという。

「工場、特に半導体関連は波があるので、需要と供給のバランスが崩れた時にどうなるか? という不安はありました。ただ、今回は国策で誘致をしているので、そう簡単に撤退とはならないだろう、と。また、周辺には20~30社ぐらいの企業や工場があります。1社に依存するのは怖いですが、今回は問題ないと考えました」(とくちゃんさん)

さらにとくちゃんさんは今後の需要増を見込み、2棟目の新築アパートを計画、既に土地を取得済みだという。

「今度はより大規模な、12戸のアパートを建てたいと思っています。ただ、今は建築費が上がっているので、どのぐらいの利回りが取れるかは不透明です。報道によると、TSMCの大卒初任給が28万円だそうです。手取りが24万とすると、その3割の月8万円ぐらいの家賃がいただけたらいいなと思っています。内装や設備を工夫して家賃アップを図り、1棟目と同じ8.4%の表面利回りを目指したいです」と意気込んだ。

礼金3カ月でも満室、周辺の賃貸需要は

実際、工場周辺の賃貸需要はどの程度過熱しているのだろうか。

大津町、菊陽町エリアで売買・賃貸仲介を行っている「あゆみ不動産」の担当者は、「賃貸の閑散期と言われる6月や8月でも、繁忙期の3月と同じぐらいの問い合わせが来ている状態です。特に半導体関連の法人契約の申し込みが多く、空室が埋まってしまって、一般の方のご案内ができていないような状況が続いています。空き物件については、礼金を3カ月に設定しても、すぐに満室になるほどです」と説明する。

前出の「とくちゃん」さんの物件を管理しているあゆみ不動産 リーシング担当の青木瑠菜氏

また同社の松永智之社長によれば、投資用物件の問い合わせも増加しているという。

「東京から東北まで、全国の投資家の方から問い合わせをいただいていますが、物件も新築用地も争奪戦になっていて、なかなかご案内ができない状態です」

あゆみ不動産 松永智之社長

さらに「これまで賃貸需要がほとんどなかった土地にもアパートが次々と建築されているような状況」だといい、物件価格も高騰している。

「以前はこのエリアの1棟アパートであれば表面利回り10%前後のものが多かったのですが、いまは表面利回り7%前後ぐらいの物件がメインになっています。地元の金融機関は融資に積極的なのですが、県外の不動産会社も参入してきているので、アパートやマンション用地は枯渇しているのが現状です」(松永氏)

開発に「市街化調整区域」の壁

工場周辺で住宅用地が不足する背景には、菊陽町の土地の約85%が「市街化調整区域」に指定されている、という事情もある。

市街化調整区域では開発が厳しく制限されており、原則として住宅の新築ができない。また菊陽町全体の約4割が農地であり、工場周辺は農業振興地域が多くを占めている。農地保全の観点からも、開発が制限されている状況だ。

菊陽町の用途地域は、約85%が市街化調整区域。TSMC工場建設地は地図右上の赤丸部分(出典:菊陽町都市計画マスタープラン

前出のコスギ不動産・益﨑氏は「(TSMC本社のある)台湾からも住宅用地確保の要請がありますが、市街化調整区域、農業振興地域での開発はどうしても難しい。食糧自給のために農地の保全はもちろん重要だとは思いますが、官民一体となって都市計画を練り、解決策を模索していくしかないです」と話す。

工場周辺には畑が延々と広がる。住宅の新築などの開発は厳しく制限されている「市街化調整区域」だ。こうした事情もあり、事業用地や工場用地、住宅用地が不足、価格の高騰につながっている(編集部撮影)

依存物件には要注意

TSMCの工場誘致で熱気を帯びる菊陽町、大津町エリア。不動産市況は今後さらなる盛り上がりも予想されるが、賃貸オーナーには冷静な判断も求められる。工場や大学など、一部の入居者を当て込んだ物件は「依存物件」などと呼ばれ、一定のリスクをはらんでいるからだ。

茨城県や愛知県、東京都などに14棟148室を保有する、投資家の「den」さん。収益性の高さに魅力を感じ、日立グループの工場が集積する、茨城県ひたちなか市にワンルームの1棟アパートを購入した。この物件でdenさんは、「依存物件」の運営の難しさを実感したという。

「依存物件」の運営経験を持つdenさん

「コロナ下で物流網が混乱し、工場の稼働が激減したんです。その影響で、派遣で働く人たちの賃貸需要も急減しました。周辺のワンルームアパートはみな、3割程度の稼働に落ち込んでしまいました」

その後、工場の稼働状況が改善し、現在ではほぼ満室に戻すことができたdenさん。「工場の操業次第で入居者である期間工や派遣社員の数が大きく増減します。需要が減少した場合は値下げなどで対応することになりますが、重要なのは需要>供給の局面での対応です。具体的には、更新のタイミングで、家賃を積極的に値上げします。退去を待って値上げするのでは、機を逸してしまいます」

変動の大きい工場依存物件では、需要が供給を上回っているタイミングでいかに利益を大きくするかが重要だとdenさんは説明する。また、こうした細やかなコントロールは、管理会社には難しいため、オーナーが自ら指揮をとることが重要だという。

「(依存物件は)購入してあとは不動産会社にお任せ、というやり方をすると、かなりの確率で失敗するだろう」とdenさんは警告する。

巨大工場の建設に沸く熊本県菊陽町、大津町エリア。今後しばらくは建設用地の争奪戦が続き、賃貸需要も上昇していくかもしれない。

一方、賃貸経営においては、需要が供給を下回ってしまえば、たちまち計画が狂ってしまう、ということは肝に銘じておきたい。参入者が増えて供給過多となれば、利回りが低下する恐れもある。

そして物件価格が高騰している現在、物件の選定は慎重に行いたい。その投資は金額に見合っているのか、常に冷静に判断する必要があるだろう。

(楽待新聞編集部)