久しぶりに横浜のドヤ街、寿町に向かう。
ドヤ街とは、労働者のための宿(ドヤ、簡易宿泊施設)が並ぶ街のことだ。
東京のドヤ街山谷や、大阪のドヤ街西成(釜ヶ崎)はいわば愛称だが、寿町は実際の地名だ。正確には寿町の隣にある、松影町にも簡易宿泊施設は多く建っている。両方を合わせて、寿町と呼んでいる感じだ。
多くのドヤ街は繁華街にあるが、特に寿町も例にもれず横浜の名所である、山下公園、横浜スタジアム、中華街、港の見える丘公園などのほど近くにある。
最寄り駅は石川町駅で、駅から歩いてすぐなのだが、高速道路と中村川で寸断されていてなぜか毎回道に迷ってしまう。隔離されているわけではないのに、どこか隔離されているような雰囲気がある。
横浜はオシャレな街並みが多いのだが、寿町はそうでもない。寿町の簡易宿泊施設は比較的大きなビルが多く、ズラリと並んでいる。ただ素敵なビルの街並み……という雰囲気にはなっていない。
まるでベクシンスキーが描く世界のよう……は言い過ぎかもしれないが、どうにも沈鬱なムードが漂っている。
「貧困ビジネス」の街
筆者が取材していた10年以上前は、道路のあちこちに大きく破損した自動車が停めてあった。おそらく自動車修理工場が勝手に停めていたのだと思う。列をなす事故車は街に凄惨さを付加していた。
ドヤはつまりホテルだから、宿泊サイトで予約できる場所も多いのだが、寿町のドヤはほとんど見つからない。
過去に泊まった時には、一軒一軒回って交渉したのだが、非常に冷たい対応で、野良犬のように追い払われた。やっと見つけた泊まれるドヤもかなり状態が悪く、畳に穴が空いていたし、枕には目視できるほど大量のシラミが湧いていた。
そんな布団では、横になる気になれず、じっと体育座りして時間を潰したのを覚えている。
ドヤ街全般に言えることだが、そもそも簡易宿泊施設ではなくなっている施設も多い。ホテルではなくアパートにしてしまう。
住人の多くは、生活保護を受給しているので、家賃のとりっぱぐれがない。
「ドヤ街は今や福祉の街」と言われることが多いが、悪い言い方をするならば「貧困ビジネスの街」だ。生活保護受給者でドヤをいっぱいにすれば、かなりの額が入ってくる。ホテルと違って、施設のグレードを保つ必要もあまりない。
違法ギャンブルも多かったが
当時はノミ行為(違法ギャンブル)の店が多かった。寿町のノミのお店は、恥じらうことなく堂々と営業していて、驚いた。
例えば違法ゲーム機の店は、普通に看板を出して営業していた。
お腹が空いて、適当に定食屋に入ったらズラーっとブラウン管テレビが並んでいた。公営ギャンブルの中継やオッズが映し出されていた。当然、スポーツバー的なものではなく、かけることができたようだ。
裏路地をゆくと、堂々とノミ行為をしているお店もあった。外に向けてブラウン管テレビを並べ、オッズを張り出している。
おそらく負けて全財産を失ったのであろうオジサンが青い顔でフラフラと歩いていくのをよく見た。
そういう裏ギャンブル系のお店は昔に比べると、減った。ひょっとしたら、より地下にもぐっただけなのかもしれないが。
ちなみに寿町にはボートレースの場外舟券場がある。合法的にギャンブルができるのに、なぜわざわざ裏ギャンブルをする理由はよく分からない。

ボートレースのチケットショップ
街には酔っ払いがよく歩いている。
これはドヤ街ならどこでもなのだが、フラフラとジイさんがさまよっている。ただホームレス生活をする人の数は少なかった。
山谷、西成も実は街の中にはさほどテントは張られていない。とは言え、公園の中にいくつかは張られているし、段ボールを敷いて青カン(野宿)している人もいる。
しかし寿町ではそういう人を見かけることもほとんどなかった。
そのかわり、中村川の欄干にズラッとテントが並んでいた。川のほうにせり出す形で作られたテントもあり、川に落ちてしまいそうでヒヤヒヤした。どれもビッチリと、頑丈に欄干にしがみつくように建てられていた。
彼らのテントは、しかしかなり前に徹底して排除された。現在、寿町内のどこにもテントを建てさせるスキはなく、公園なども時間制限制でキチンとに管理されている。
「センター」の思い出
寿町を3年ぶりに訪れた。
街の雰囲気は変わっていないが、少しだけキレイになっているように感じた。フラフラと歩いている人も減ったようだ。一番変わったのは、街の中心にある「センター」が新しくなったことだった。
以前は、寿町総合労働福祉会館、通称「センター」と呼ばれる大きなビルが建っていた。

過去にあった通称「センター」
夏にはフリーコンサートが開かれ、その時期だけは、若い人たちも大勢集まってきていた。その時だけは街の雰囲気も明るくなっていた。
旧センターは1974年(昭和49年)に建てられた古いビルだったため、耐震性の問題があり取り壊されてしまった。ちなみに西成のセンターも閉めてしまったが、まだ取り壊していない。
当時はビルの周りには、労働者や、老人や、ホームレスが座っていた。
筆者はホームレスの取材で寿町を訪れることが多かったから、センターの周りで話を聞くことが多かった。センター内で生活しているとおぼしき中年女性に「ちょっとお話伺ってもいいですか?」と声をかけると、
「ぎゃー! ぎゃー! ぎゃー!」と、叫ばれてしまったことがある。
慌てていると、2、30代の若い人たちに囲まれてしまった。彼らが野宿生活をしているのかどうか、聞く余裕はなかった。ただ、ホームレス相手に貧困ビジネス持ちかける人も少なくないため、しっかりした若者で自警団を結成したのかもしれない。
拳を目の前に突き出され、「なめてたら殴るぞ! コラ!」と脅かされた。筆者は話しかけただけで、何もしていなかったのだが、女性はこちらを指差して叫び続けている。怪我をするのは嫌だったので、とにかく謝り続け、相手の怒りが少し冷めた頃にそそくさとその場を後にした。
寿町は喧嘩も多く、目などに青たんを作っているホームレスなどもちょくちょく見かけた。野宿をしている人を取材をするのには、とても緊張感のある街だった。
そんな思い出のあるセンターは取り壊され、最後に来た時は、センターの空き地に芝居小屋が建っていた。
さらに新しい街へ
今回、久しぶりに訪れると新しいセンターが建っていた。名前は少し変わって「横浜市寿町健康福祉交流センター」になった。
入り口には「“ゆ”銭湯」というノボリが出ていた。二階には一般公衆浴場があって470円で利用することができる。もちろん基本的に誰でも利用できる。

横浜市寿町健康福祉交流センター
他にも、診療所、デイケア施設、作業室、調理室、多目的室、などさまざまな施設が入っている。
1階にはラウンジと図書コーナーがあり、多くの人が利用していた。以前来た時より、街をふらついている人が減ったように感じたが、センター内で休んでいるのかもしれない。
日雇い労働者はほとんどいなくなったが、それでも「アブレ手帳受付」の窓口も併設されていた。素直に、住人思いの良い施設になった、と思う。
センターは新しくなったが、センターの近くにある飲み屋などは、昭和の雰囲気だ。レトロ趣味な人が遊びにきても楽しめると思う。
ただ、喧嘩には巻き込まれないように、十分注意してほしい。
(村田らむ)
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