「ここから藻岩山や手稲山、札幌の街が一望できるんです。夏はバルコニーでビールを飲むのが楽しみなんですよ」

不動産投資歴27年の「極東船長」さん。5年前に自ら新築した、14階建て高層マンションの最上階に事務所を構える。現在、37棟824室を保有し、総投資額は130億円超。工事中の新築4棟を合わせた年間家賃収入は9億5000万円、税引き前CFは約3億円にのぼる。

「元漁師でメガ大家」という異色の経歴を持つ。個人投資家ながら、高層のRCマンションを次々と新築するなど事業を拡大してきた。今でこそ弟子入りを志願してくる若手投資家もいるほどだが、ここまでの道のりは平坦なものではなかったという。

いかにして現在の規模にまでたどり着いたのか。密着取材を通じ、極東船長さんの紆余曲折の歴史を紐解いていく。

19歳で漁師に、37歳で大家デビュー

1958年、北海道・根室市に生まれた。十代で家業だった漁業の世界に身を投じることになるが、「もともと漁師になるつもりはなかった」という。

「高校時代はロックバンドを組んでいて、ひたすらバンド活動ばかりやっていました。(バンドには)本気で取り組んでいたので、漁師になる、というのは考えたことがなかったですね」

ロックバンドを組んでいたころの極東船長さん(本人提供)

ところが19歳になった頃、家業の経営状況が悪化。事業を立て直すべく、漁師として船に乗る覚悟を決めた。

「(漁師は)厳しい仕事でしたよ。当時の私は体も細く、波で揺れる船の上で立っていることすらできない状態でした。大漁の時などは、3日間寝ずに働いたこともありましたよ。先輩に怒られながらも、なんとか頑張って働いて、先輩漁師さんからだんだん仕事を覚えていきました。世の中の厳しさ、働くことの大変さをようやく身をもって知ったのが、20歳ぐらいのころでした」

漁師時代の年収は、多い時でも500万円ほど。漁の成果によっては300万円程のときもあったといい、「命を賭けて働いているわりには、稼ぎは多くはなかったかもしれないですね」と振り返る。

その後、24歳で船長兼漁労長(漁船の責任者)となるなど、漁師として実績を積んでいった極東船長さん。しかし、34歳で人生最大の転機が訪れる。

「船が転覆してしまったんです。古くなった船のメンテナンスで、メインエンジンを入れ替えて馬力を大きくしたのが原因でした。無線で仲間の船に助けを求め、乗組員の命は助かったのですが、そのまま船は沈んでしまった。もう漁はできないと思いました」

極東船長さんが乗船していた船(本人提供)

事故をきっかけに漁師の道を諦めることに。船を降り、大手企業の業務委託員として働き始めた。漁師からいわゆるサラリーマンに転身したこのとき35歳。1棟目となる中古アパートを購入し、大家デビューを果たしたのはこの2年後だった。

苦労だらけの1棟目、それも今は「財産」

1995年、37歳で大家デビューした極東船長さん。漁師からサラリーマンに転身してすぐに不動産投資を始めたことになるが、そのきっかけは我が子の将来について考えたことだった。

「漁師をやめた頃、まだ小さい子どもが2人いました。そのときの給料でも食べていくことはできたのですが、子ども達が将来、大学に行きたいと言ったら…という不安がありました。当時は札幌から遠い根室に住んでいたので、進学となれば一人暮らしになります。2人分の仕送りをすると、月30万~40万円はかかる。その学費をどう稼ごうかと悩みに悩んで、行き着いたのがアパート経営でした」

ただし当時は、現在のようなサラリーマン大家向けの書籍や動画がほとんどない時代。すべてが手探りで「将来、家賃収入で食べていけるようになるかもしれない、そうなれたらいいな、という漠然とした期待だけを頼りに、とにかく行動に移していくしかありませんでした」と話す。

1棟目に購入したのは、札幌市東区にある当時築5年の一棟アパート。購入価格は4800万円、表面利回りは10%だった。「今思えば売れ残り物件だった」(極東船長さん)というこのアパート、ある日たまたま手に取った、無料冊子の広告ページに載っていた物件だった。

「不動産会社に連絡をして話が進み、融資を受けるために銀行に問い合わせをしましたが、自己資金を3割入れるように言われ、融資期間も残りの耐用年数分までが限界。結局、銀行に言われるがまま、自己資金を1500万円ほど入れ、金利4.5%、17年ローンで購入しました」

極東船長さんが1棟目に購入した一棟アパート。約17年保有した後に売却

この1棟目で「たくさんのトラブルや失敗を経験して、大家力が身についた」という。

「買ってすぐ、室内で犬を飼っていた入居者と修繕費用を巡って裁判になりました。裁判費用や原状回復費などで、結果的に2年分の家賃が飛んでしまいました。他にも夜逃げや滞納など、とにかく大変でしたよ。17年ローンで組んで14年保有しましたが、最後は購入時の半額くらいで売却しました。自己資金は回収できたけど、トータルの手残りはほとんど出なかったんじゃないかな」

苦労はあったものの、1棟目でのトラブルを乗り越えて「大家力が身についた」と話す。「土地付きのアパートなら、最終的には損はしない、という手応えが得られました。このときの経験がなかったら、現在の規模まで買い進めることはできなかったでしょう」

それから数年をかけ、中古1棟アパートを中心に買い進めていった。1棟目購入から12年後の2007年、49歳で8棟を保有、家賃年収が5300万円に達したことで、「専業大家としてやっていけそうだ」という手応えを感じ始めた。

「融資の壁」と法人化、新築RCへのシフト

順調に物件を買い進めていたが、借り入れが3億円を超えた頃、思うように融資が受けられなくなる。専業大家を見据えて前進したい時期、肝心の融資が受けられず悶々とする日々が続いた。

そこからは法人化に向けて本格的に始動。個人保有物件の売却を進めていく。2010年には法人を設立した。52歳のときだった。

法人化してからは、新築の一棟RCにシフトしていった。土地探しから完成まで、必ず自ら関わっているのは「純粋に、そのすべての工程が楽しいから」だという。「企画から竣工、入居が付くまでにたくさんの人が関わる事業です。その工程を見るのがとにかく楽しい。そこにお金までついてくるわけですから、私にとっては趣味と実益を兼ねた仕事みたいなものですよね」

2012年には、初となる10階建ての高層RCマンションを新築。これまで合計7棟の高層RCマンションが竣工済み(うち3棟は売却済み)で、現在、さらに2棟が建設中だ。事業費は9棟合わせて59億円を超える。

極東船長さん自ら集大成だと語る物件「MODENA SIAN」。地上10階建ての81世帯で、1LDK~3LDK、2DKの間取りが混在する

部屋の仕様にもこだわる。断熱性能を高めるためにウレタンの断熱材を厚めに施工、ペアガラスの二重サッシを標準装備とし、昼間は自然光だけでもあったかい、快適な部屋を目指している。

断熱性能の高い二重サッシを標準装備としている

「単身者の場合、自宅は寝るだけの場所だという方も多いです。だからこそ、自宅では快適に過ごしてほしい。コストの調整は難しくなりますが、大家としてそういう住まいを提供していきたいんです」

また取材中にはこんな一幕も。エントランスに土埃が溜まっているのを見つけると、スマートフォンを取り出して撮影。管理会社に連絡を取り始めた。

問題を見つけたら、すぐに管理会社に連絡。ここでは植え込みの土が舞ってしまわないよう、ブロックを敷くことを検討していた

「すぐ横に植え込みがあるから、入居者さんがそこを通ったときに土が舞うんでしょう。管理会社さんも毎日来るわけじゃないからなかなか気付けませんよね。気付いたときにこうやって連絡して、改善していくようにしています」

若い投資家の存在が刺激に

これまでに130億円投資し、9億円弱の家賃収入を得るまでの規模となった。次なる目標は、30階を超えるビルを建てることだという。

「いままでやっていない、できていないことにチャレンジしたい、そういう気持ちがモチベーションですね。それと、若い投資家たちの頑張る姿が大きな刺激になっています。彼らからエネルギーをもらってますよ」

そんな極東船長さんの弟子とも言うべき投資家が、「もぎじゅん」さんと「ゆん」さんだ。普段からLINEでやりとりをし、物件情報などを共有、極東船長さんにアドバイスを求めるなど密にコミュニケーションを取っているという。現在、3人で不動産投資を学ぶためのコミュニティを立ち上げる準備をしているそうだ。

極東船長さんを師匠と慕うゆんさん(左)、もぎじゅんさん(中央)

「2人とも本当に不動産が好きなんですよね。LINEでの会話でも、1つ答えるとさらに質問が飛んできて、もう質問の嵐という感じ(笑)。不動産を極めたいという思いが伝わってきますよね。そういう若い投資家を応援できる、自分の経験が生きるという実感が得られるのは、やっぱり楽しいですよ」

成功の条件は「時間」

これまで長い年月をかけ、着実に資産を増やしてきた極東船長さん。不動産投資での成功に必要なのは、何よりも「時間」をかけることだと説く。

「例えば今30歳だったとしましょう。まず、種銭づくりに10年ですよね。10年あれば、500万~1000万円はつくれそうじゃないですか。そしたら10年後、40歳になったときに手元の1000万で借り入れをして、3000万円ぐらいのアパートを買う。15~20年のローンを組み、キャッシュフローが出る物件を買って、なおかつ種銭づくりも継続する。そうすると、5年後ぐらいにもう1棟買えるようになるでしょう。その2棟からの収入を使って、また種銭が貯まったら買っていく。単純ですがこれをちゃんと行動に移せば、誰でも1億円ぐらいは作れると私は思います」

また、成功している投資家はみな「ある時期にブーストをかけている」のだという。「たとえば夫婦で共働きをして、2年間は片方の収入を全額貯金する、さらに時間をつくってアルバイトする─。いま成功している投資家さんは、こういう風にどこかで無理をしてでも、どうにかして稼ぐ時期というのを経験していると思います」

種銭がなければ、何もできない。築古戸建の現金買いでも、借り入れをして中古アパートでも何でもいい、とにかく自分に合った方法を見つけて、行動することが重要だと極東船長さんは説く。

「幸い、いまはいろいろな方法で十分な勉強ができる。本でもブログでもYouTubeでもいい。だれか手本となる人を見つけてそこに食らいついて、ノウハウを学び取りながら、自分に合った方法を見つけてほしいですね」

かつては、いわゆる「多法人スキーム」などを使って短期間で脱サラをした投資家も存在した。しかし、「そういう時期はもうとっくに終わっている」と話す。

「大切なのは、不動産に数十年の時間をかける覚悟を持ち、ゆっくりと資産を積み重ねていくことです。時間をつくれない人には、資産はつくれないですよね」

1棟目購入から27年、今年で65歳を迎える。そんな中、賃貸業以外の目標もあるという。

「僕の中ではね、あと10年ぐらいは頑張って、賃貸業を続けていきたいという気持ちがあります。そして最終的には財団法人のようなものをつくって、スポーツとか音楽とか、そういう活動をする人たちの手助けがしたい。そんな夢を持っています。お金の使い道っていうのは、最終的にはそういうところですよね」

 

(楽待新聞編集部)

協力:株式会社ハーモニ