僕は、20代の頃からしばしば大阪に足を運んでいた。多くは、ホームレスを取材したり、ドヤ街を取材したりする目的で、行く場所は西成(あいりん地区)が主だった。

さらに、10年近く前に「トークライブをしてください」と誘われてからは、かなりの頻度で大阪に通うようになった。そのトークライブハウスがある「味園ビル(みそのビル)」にはじめて行った時、僕の心は完全に持っていかれてしまった。

場所は大阪中央区千日前。昨今、「ウラなんば」と呼ばれる、個性的なお店が並び、老若男女に人気の場所だ。

赤と青の電飾で「味園」と輝いているのが見えた。地下には謎の池と噴水があり、その上にかけられた螺旋階段を登ると飲み屋街が現れる。まさに街が、丸ごとビルの中に入っているような雰囲気だ。それも小綺麗な雰囲気ではなく、東京で言うなら新宿のゴールデン街のようなアングラな魅力が匂っている。

「ここが楽しくないわけがない」と確信した。

アングラな雰囲気がただようビルの中

ビルの2階

約70年前に建設、「最先端」のビル

味園ビルは1956年、つまり約70年前に建設された古い建造物だ。戦後の歴史を全部背負っている。

ダンスホール、宴会場、サウナ、マッサージ店、ホテル、キャバレーとあらゆる施設を詰め込んでいたこのビル。当時としては最先端の施設だった。今や昭和レトロになった外観も、当時としてはとてもモダンであり、連日大盛況だったという。

当時の様子は今ではテレビコマーシャルでしか見ることができないが、それでも大変賑わっている様子が伝わってくる。ダンスホールでは、ブレイク前の和田アキ子やピンク・レディーが舞台に上がっていたと言われていて、時代を感じる。

80年代までは大人気だったが、90年代に入り人気は衰えていった。

ちなみに現在ではホテルは閉鎖され、キャバレー『ユニバース』は貸しホールになっている。2015年には、この味園ビルを舞台にした『味園ユニバース』という映画が公開された。当時関ジャニ∞に所属していた渋谷すばるが主演だ。

注目度が下がり、過去の古臭い施設になってしまった味園ビルだが、00年代に入って徐々にアンダーグラウンド、サブカルチャーのシーンで人気を集めていく。

赤と青の電飾がひときわ目立つ

壁に穴を開けても怒られないが…

くだんの飲み屋街は、昭和時代に放映されていた味園のCMを見ると「カラオケスナック街」と説明されていた。その「カラオケスナック街」それぞれが新たなお店を始めた。もちろん、一癖も二癖もあるお店が多い。

その街の中にトークライブハウス「なんば紅鶴」があった。この店の内装もとても変わっている。異国情緒溢れた内装で、中華な雰囲気の電飾や鶴の彫刻など、雰囲気がある。これはライブハウスのムードを盛り上げるために後付けしたわけではなく、そもそもライブハウスにあったものらしい。

なんば紅鶴の店主B・カシワギさんに話を伺うと、「ビルの初代オーナーが台湾系の人物なんですね。だから中国っぽい内装がそもそもありました。初代オーナーについてはあまり語られることはありませんが、一角の人物だったと聞いています」という。

鶴の彫刻が印象的

「台湾系なので、風水を考えて設計されている部分も多いです。例えば1階の噴水も風水ですね。壁が緑色に塗られている場所もあるんですが、それも風水で決めて塗られています」

カシワギさんによると「味園ビルは店をやる上で何をやってもあんまり怒られないんですよ。例えば壁に穴を開けたりしても」という味園ビル。だが、「でも、その緑色の部分を塗りつぶしたら、すごく怒られます。まあ知らない人から見たら変な感じしますけど、オーナー一族に言わせれば、『それで成功してるんだから文句あるか?』ってことなんですよね」。

オーナー志願者多数、「店舗の空き」を順番待ち

カシワギさんは、味園ビル内でいくつものお店を経営してきた。現在は、ライブハウス「なんば白鯨」「なんば紅鶴」「群青海月」「味園・橙猩猩」を経営している。

「なんば白鯨」「なんば紅鶴」は、お笑い芸人のライブや、文化人のトークライブを連日開催するライブハウス。

「群青海月」はカウンターのみの小さいバー。

「味園・橙猩猩」は味園ビル2階に入ってすぐにある、目立つシーシャ(水たばこ)バーだ。艶やかな電飾が輝くお店であり、やはり内装はレトロな魅力に溢れている。

独特の雰囲気が漂う店内

シーシャやお酒を楽しめる店内は広く開放感があり、初心者にはハードルの低いお店だが、実は「フライング・スパゲティー・モンスター教」の教団施設という一面もある。

フライング・スパゲティー・モンスター教は、空を飛ぶスパゲティーの化け物を崇拝するアメリカのパロディ宗教だ。サブカルチャーを好きな人にはたまらない設定である。

フードメニューは多くはないが、フライング・スパゲティー・モンスター教の教会というだけあって、スパゲティーを食べることはできる。

お店ができたのはコロナ禍の時期だったが、味園ビルを利用している層に受け入れられて、賑わっている。「70~80年代と同じほどの賑わい」とまではいかないかもしれないが、夜に味園ビルに行くと、ギラギラと照明が輝き、人があふれている。

現在、味園を楽しんでいる多くの人は、若い層から中年層までのサブカル好きな人が多い。理由はもちろん、サブカルの人たちが店舗を出していたり、店に通うことが多いからだ。

男性客の方がやや多いが、女性客も多い。ちょっと1人では入りづらい雰囲気があるが、一旦なじんでしまえばとても居心地が良い空間だ。先ほどの「味園・橙猩猩」や「群青海月」は1人でふらっと入りやすいので是非入ってみてほしい。

ちなみに筆者は「銭ゲバ」「味園マンティコア」というバーにも良く顔を出す。どちらも居心地が良いバーだ。

また賑わっている味園で店をやりたいというオーナー志願の人も多く、店舗が空くのを順番で待っているそうだ。

まるで『ダ・ヴィンチ・コード』? 数多くの謎が今も眠る

「『味園・橙猩猩』は、もともとは味園ビルを作った会長が、自分が飲むために作ったお店だった場所なんです。『俺が死んだ後は誰にも貸すな』って言ってたらしいんですが、何年も経ってから借りることができました」

実はカシワギさんの前に1件店舗が入ったことがあるらしいのだが、20~30年放置したままだったため、害虫の巣になっていたらしい。当時の店主は、そのままの状態で店を始めたそうだが。

「伝え聞いた話なんですけど。そのお店で湯豆腐を出したら、ゴキブリが飛び込んできて、お湯の熱さに耐えかねて豆腐の中に潜っていったと。店の人が、『他言無用にお願いします!』とドリンクを差し出されたけど、そのドリンクの中にもゴキブリが入っていたって(笑)」

カシワギさんは業務用の清掃道具を揃えて掃除をした。

「そんな噂もあるくらい、放置期間が長かったので大変でしたけど、飲食店ですから徹底的に清掃しました。清掃していて、この店がかなりお金かけて作られたのが分かりました。クーラーやスピーカーが壁に埋め込まれてるんですよ。当時としては相当、ハイテクだったと思います。今は壊れているんですが、だからと言って取り出すこともできないんです。オンリーワンすぎて対応ができないんですね」

それはこのお店には限らず、ビル全体がそうだという。

「当時の職人を雇って作られているから、正確な見取り図もないんですよね。5~6年前に謎の小部屋から、当時の資料が出てきたんです。それで資料展を開いたこともありました。それでもまだまだ分からないことが多いですよね」

ビル内には数多くの謎が眠っているという。

例えば駐車場に隠し部屋があって高級車やルーレット台、格闘技のリングが保管されているとか。

ビルの何処かに四神獣(青龍・朱雀・白虎・玄武)の絵が隠されているなんて話もある。

まるで推理小説『ダ・ヴィンチ・コード』を彷彿とさせる、ロマンあふれる噂話も多い。とにかく面白いビルなので、取材なども殺到しそうだ。

「そういう取材話もあるのですが、オーナーサイドは全ての依頼を断るわけです。噂では、1989年のアメリカ映画『ブラックレイン』(監督リドリー・スコット)の舞台に選ばれたが、断ったという話もあります」

取材殺到も、それらを断るワケ

近年では、人気番組のロケ地として選ばれ、撮影許可を求める依頼があったそうだ。スナック街でお店を開いている店主たちは大いに盛り上がったが、オーナーサイドの意見で結局断ることになった。

「僕らはもちろんガッカリしたんですね。人気番組のロケ地になったら、お客さん絶対増えてたし。でもオーナーサイドに『その瞬間は良くなったかもしれないけど、でも結局それがその後悪い形で仇をなすかもしれない。だからこういうのは、その場の直感に従うしかない』みたいなことを、言われたんですね。ちょっと落ち着いて考えてみたらたしかにそういうこともあるなと思いました」

昼のビルはまた夜とは違った印象だ

味園ビルのスナック街には、NHKの大型ドキュメンタリー番組が入ったことがあるという。カシワギさんのお店も大きくフィーチャーされた。

「ただ僕みたいにありのまま話すような人の発言はカットされました。NHKが話して欲しいと思うことを話す人の部分だけ使われました。まあ他にも色々ストレスが溜まることがありました。向こうも番組を成立させるために動いてるから仕方がない部分はあるんでしょうけど……」

しかし、やっぱり番組の効果は絶大だった。

カシワギさんの知り合いの店には、番組を見たお客さんが殺到した。ただそれは、嬉しいことではなかった。狭い店なので、常連さんが入れなくなってしまったのだ。

「その店のオーナーは『毎日、つまらん一見のサラリーマンの相手ばっかりでたまらん』ってちょっと落ち込んでしまいましたね。そうやって店が流行ると常連が離れていって、そして流行りが終わると一見の客も来なくなるという最悪なパターンになる場合もあります」

カシワギさんは続ける。

「なんのかんの言いながら、みんなこの場所が好きですからね。一時的に人気になったり儲かったりするより、ずっとお店を続けて行くほうが嬉しいですから。『それで成功してるんだから文句あるか?』という独断的な判断も仕方がないかな、と思います」

昭和が終わってもう34年にもなる。昭和レトロの雰囲気を感じられるお店も徐々に少なくなっている。味園ビルは、素晴らしく昭和を残した施設なのでこれからもずっと独立独歩な営業を続けていただきたいと切に思う。

(村田らむ)