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東京には数多くの神社や寺院が存在します。これらの神社や寺院の立地から、周辺地域の水害リスクを読み取れる可能性があることをご存知でしょうか。

東京都心の地形を10年にわたり研究している東京スリバチ学会の皆川典久さんは、「神社・寺院の立地に着目すると、周辺地域の歴史や、水害リスクを含めた特徴が見えてくる」と語ります。

神社・寺院と地形にはどのような関係があるのでしょうか。具体的な例をもとに解説いただきました。

神社が緊急避難場所になる理由とは?

東京には、坂と坂が向かい合うスリバチ状の窪地がたくさんあります(スリバチ地形)。例えば渋谷は、渋谷駅を底として宮益坂(みやますざか)と道玄坂が向かい合っています。台東区の谷中は、不忍通りを挟んで団子坂と三崎坂(さんさきざか)が向かい合っています。

東京が位置する武蔵野台地は、火山灰が降り積もってできた「関東ローム層」という赤土で覆われています。この赤土は水を含むと崩れやすいので、急な坂、すなわちスリバチ地形ができやすいのです。スリバチ地形の底には、自然の湧き水などの水源が存在しています。

神社や寺院の立地は、こうした東京ならではの凸凹地形と深く関係しています。まずは神社について見てみましょう。

神社を参拝する際には、長い階段を上ることが多いですよね。これはその神社が、急な坂と台地の際(キワ)に存在しているからなのです。

例えば「出世の階段」で知られる港区の愛宕神社。急な石段を上った頂に神社が祀られています。

愛宕神社の「出世の階段」とよばれる急な石段(提供:東京スリバチ学会)

さらに、江戸三大祭りで知られる神田明神(神田祭)、千代田区の日枝神社(山王祭)、そして富岡八幡宮(深川祭)では、富岡八幡宮を除いた2つの神社が台地の際(キワ)に位置しています。これらの神社を、都心の凸凹地形図のうえに配置してみると、台地の際(キワ)のあたりに立地しているものが多いことが見て取れます。

カシミール3Dを使って作成した都心の凸凹地形図に、代表的な神社を配置したもの。著名な神社は台地の端にある (提供:東京スリバチ学会)

東京に限らず全国各地で、こうした台地の際(キワ)に祀られた神社が見受けられます。これは、神社が古来、町あるいは村の鎮守として、わかりやすく、目に止まりやすい場所に建立されることが多かったからだと考えられます。

また、一見平坦な土地においても、周囲より若干標高の高い「微高地」に祀られた例も多々あります。

2012年の東日本大震災のときにも、こうした神社の立地に注目が集まりました。東日本大震災では、津波によって多くの尊い命が失われましたが、海から遡上した津波が、神社の手前で止まったといった事例が多数報告されました。

例えば、仙台平野にある「浪分神社(なみわけじんじゃ)」という古い神社です。この神社は海岸から直線で約5.5キロの位置にあるのですが、震災前は、海から離れているのになぜ「浪分」という海にちなんだ名前なのか、不思議に思われていました。

しかし東日本大震災の際、津波は神社の手前約2キロで止まりました。周辺よりも若干高い微高地に立地していたためです。震災前には理解されていなかった名前の由来が、震災を機に理解されることになりました。

仙台平野の凸凹地形図。濃い青色の部分は標高が低いが、波分神社は薄い水色で、周囲と比べると微高地に位置している (提供:東京スリバチ学会)

現実的に考えても、神社というのは緊急避難場所になり得ます。台地は概ね地盤が良好ですし、洪水や高潮・津波など水害のリスクも少ない。そしていつでも、誰に対してでも隔てなく公開されています。そうした意味で、高台にある神社は住民にとっても重要なシンボルになるはずです。

一方、こうした特徴に当てはまらない神社もあります。これまでにご紹介したケースとは真逆で、スリバチ地形の底、すなわち水源の近くに建立されているケースです。例えば弁財天や水神社、厳島神社として親しまれているものが該当します。

東京だと、井の頭池にある井の頭弁財天が代表例でしょう。弁財天とは、仏教の守護神のひとつで、ヒンドウー教の女神であるサラスヴァティーが仏教に取り込まれた呼び名です。日本では神仏習合によって神道にも取り込まれています。

井の頭弁財天の様子 (PHOTO : momo / PIXTA)

サラスヴァティーは水の女神ですが、次第に芸術や学問などの知を司る女神として信仰されていきます。近世になると「七福神」の一員としても信仰されるようになり、水に関係する場所に祀られるようになりました。海上神の「市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)」と神仏習合して、島や港湾の入口などに祀られている事例もあります。

井の頭弁財天の場合は、池の真ん中に造られた島に祀られています。赤い太鼓橋を渡って参拝するのですが、江戸時代から多くの人が訪れる観光スポットとして人気でした。江戸の市中から徒歩で日帰りできる名所として、「江戸名所図会」にも描かれています。

「江戸名所図会4巻」に描かれる井の頭弁財天 (提供:東京スリバチ学会)

さらに井の頭池は、江戸市民の生活には欠かせなかった神田上水の水源でもあります。神田上水とは、井の頭池を源流とする神田川の水を利用して、江戸時代初期に建設された水道施設です。

井の頭弁財天の石灯篭には、「日本橋」の文字や商家の名が記されていますが、これは神田上水を利用していた日本橋の住民たちが寄進をしたものだからです。水源に対する畏敬の念があった証です。

石灯篭に「日本橋」の文字があるのは、日本橋の商家が寄進したため (提供:東京スリバチ学会)

東京都心を流れる川の水源は、山奥ではなく武蔵野台地の台地面にあります。神田川だけでなく、石神井川も渋谷川も目黒川もみな同じです。現在、そうした河川の多くは蓋をされ(暗渠化)、水の流れを直接見ることはできませんが、川跡を上流へと辿ってみると、かつての湧水スポットらしき場所にたどり着けることがあります。

そしてそれらの場所で、いにしえから祀られた神社に出合うことがあるのです。例えば谷端川(小石川)の源流部には今でも池が残り、池畔には粟島弁財天が祀られています。また大森を流れていた鹿島川という川の流路を上流へと遡ると、祀られた水神に出会えます。こうしたスポットは、地域住民から大切にされてきた信仰対象だったのです。

谷端川(小石川)の源流部に祀られた粟島弁財天 (提供:東京スリバチ学会)

これらの神社は、台地の際(キワ)に祀られた神社とは対照的に、スリバチ状の窪地の底に祀られた神社となっており、両者はまさに地形的なネガ・ポジの関係にあると言えます。

寺院も「丘の上」か「窪地の底」にある

東京にある寺院の立地を見ると、これまでご紹介した神社の立地と同じような特徴があります。丘の上などの微高地にあるパターンと、スリバチ状の窪地の底にあるパターンです。

ただ、寺院の場合は神社とは少し違い、江戸時代の大名家との関わりが立地に影響を与えているようです。

まず、丘の上にあるパターンを見てみましょう。代表的な事例としては、寛永寺や護国寺、伝通院などが挙げられます。

東京都台東区にある寛永寺 PHOTO : dejiys / PIXTA(ピクスタ)

いずれも、江戸時代の徳川将軍家と深い関係があります。寛永寺は言わずと知れた徳川家の菩提寺ですし、護国寺は五代将軍である徳川綱吉の母、桂昌院の願いをうけ1681年(天和元年)に建立された大寺院です。

伝通院は徳川家康の生母・於大の方を弔うために1603年(慶長8年)に建立されました。そのほかにも、善国寺(神楽坂の毘沙門天)や駒込の吉祥寺、そして祐天寺など徳川幕府の庇護を受けていた寺院の多くは丘の上にあるようです。

護国寺と音羽谷周辺の凹凸地形図 (提供:東京スリバチ学会)

音羽谷門前通りから見た護国寺。護国寺に向かって坂になっている (提供:東京スリバチ学会)

徳川家の菩提寺と言えば、もう一つ増上寺が挙げられますが、こちらも微高地に位置しています。余談になりますが、この増上寺と寛永寺は、江戸城の鬼門・裏鬼門を繋いだ線の上に位置しているのです。

これは、江戸城防護のための風水的な意図が強いと思いますが、江戸を防衛するための戦略的な意図もあったのではと想像しています。

微高地という立地条件と寺院の広い境内は、防衛拠点として優れた条件だったと思います。寛永寺は北からの脅威に対する拠点、増上寺は南から東海道筋を攻め上ってくる軍勢に対する拠点となっていたのではないでしょうか。

江戸城の鬼門除けの寛永寺と裏鬼門除けの増上寺 (提供:東京スリバチ学会)

一方、窪地の底に位置するタイプの寺院についても見ていきましょう。

こうしたタイプは、緑豊かな山(丘)に囲まれて佇む、静かな境内を持っているケースが多いです。スリバチ地形だらけの東京には、こうした寺院が住宅地の中に点在していますが、これらの寺院は、徳川将軍家とは直接的な関係を持たないケースが多いようです。

例えば代表的なものとしては、泉岳寺や東禅寺などが挙げられます。泉岳寺は寛永の大火(1614年)後にこの地に移転してきたもので、長府毛利家、笠間浅野家などの大名によって再建されました。東禅寺も寛永期に移転してきた寺院で、日本最初のイギリス公使館が置かれたことで知られています。

どちらの寺院も本堂裏手には池を囲むような庭園があり、スリバチの底で湧く清水を生かしています。

赤穂浪士の墓所があることで有名な泉岳寺。本堂の裏手にスリバチ庭園がある (提供:東京スリバチ学会)

これらの寺院の立地として窪地が選ばれたのは、スリバチの湧水を守るといった信仰的な理由があったのかもしれません。あるいは崖に囲まれたスリバチならではの閉鎖性が重宝されたのかもしれません。

寺には修行の場という一面がありますが、世俗からは隔絶された谷戸の閉鎖性は、別世界を演出するのにちょうどよかったのかもしれませんね。

東京に限らず、歴史を重ねてきた町や村には古くからの寺院や神社が存在しています。その地形的な特徴を読み解くことで、意外な歴史や、水害をはじめとしたリスクを発見することができるかもしれません。

ご自身の住む町や所有物件のある町の寺院や神社を、今一度訪れてみてはいかがでしょうか。

(皆川典久)