
PHOTO:ごんちー/PIXTA
2022年の初頭以降、日本の物価はおよそ40年ぶりの高騰をみせている。
きっかけはロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー・穀物価格の上昇、そして円安であり、必ずしも日本経済の内在的な力で生じたものではない。そのため、日銀なども「物価上昇圧力は一時的なもので、いずれ沈静化に向かう」との見方を示してきた。
とはいえ、現在の物価上昇の勢いは、何か基調としての大きな変化を感じさせるものがある。こうした物価上昇の流れはいつまで続くのか。そして、金利への影響についてどう考えればよいのか。
本稿では、日本におけるインフレとそれに伴う金融政策の見通し、不動産投資の借り入れに影響が大きい金利の動きについて考察する。
日本のインフレは本物か
インフレは持続的な物価上昇を意味するが、そのインフレは、人々が将来どのくらいの物価上昇を予想するかという「インフレ期待」によって大きな影響を受けると言われる。
近年の日本人は値上げに対する抵抗感が強く、そのためインフレ期待も低く推移した。これが、日本でインフレが起きにくかった大きな要因のひとつと考えられている。しかし、いったん大きな値上げを経験するとその抵抗感が弱まり、さらにそれが続いていくことで次第に高めのインフレ期待が定着していくようになるのだ。現在は、そうした心理的変化が起こり始めている状況と考えられる。
インフレの将来見通しにおいては「需給ギャップ」も重要だ。需給ギャップとは、需要と供給のバランスを測るもので、長年日本では、需要を供給が上回るマイナスの需給ギャップが常態化してきた。そうすると、モノが余って値下げ圧力がかかり、物価上昇率は低迷する。現時点でも、日本経済の需給ギャップはマイナスと推定されているが、その幅は着実に縮まっており、今年後半にはプラスに転じる可能性が高い。
そうした中で、賃金と物価のスパイラルが起きるかどうかにも関心が高まっている。実質的な賃金の価値を維持するためには、物価上昇に見合う賃金引き上げが必要である。一方で、賃金が上がると、企業は利益確保のために販売価格を引き上げなければならないので、物価上昇を招くことになる。その連鎖的な循環によって物価上昇は持続的なものになっていくのである。
すでに今年の春闘ではほぼ30年ぶりの賃上げ率が実現した。肝心な点は、これが1回限りのものか、それとも持続性のある動きかであり、そういう意味では来年の春闘の結果が、日本にインフレが根付くかどうかの極めて重要な分岐点になるだろう。
金融引き締めに二の足を踏むワケ
ここまで見てきたとおり、日本がインフレ体質に転換する可能性は徐々に高まってきているのは確かであろう。日銀が拙速に金融引き締めに転じたり、世界景気が大きく悪化したり、円高が急速に進んだりしない限りは、以前のように物価が張り付いたように動かないという状態には戻らないのではないかと考えられる。
日本の将来のインフレ動向を考えるうえでさらに重要な点は、事態が進んでインフレを抑制する必要がでてきたときに、「日本にはその手段が限られている」ということである。つまり、インフレが望ましいレベルを超えて進んでも、それを抑えることが難しいのだ。
一般的に、物価は緩やかなインフレ状態が最もよいとされているが、いったんインフレ体質になると、ちょっとしたことでインフレ率が上振れしやすくなり、やがて歯止めがかからなくなる恐れがある。それを防ぐための主要な方策が「金融引き締め」である。欧米が昨年から急速な利上げをしているのは、まさにそれにあたる。
ところが日本では、「インフレを抑える必要がでてきたので金融引き締めをしよう」ということに簡単にはならない。金利をいきなり引き上げると、いろいろなところに深刻な影響が生じる可能性が高いからである。
まず、金利の引き上げは国債価格の下落を招く。日銀は600兆円近い国債を保有しており、金融引き締めに動けば保有する国債で自分自身が膨大な含み損を抱えることになる。含み損をいくら抱えても、自分で通貨を発行できる日銀が潰れることはないが、日銀が発行する円の信認は低下し、一層の円安が進むことになろう。それがかえってインフレをさらに助長してしまう。
債券の価格低下は、地銀などにも深刻な影響を与える。地銀はもともと収益基盤が弱く、そこに債券の含み損が加わると、深刻な経営危機に陥るところも出てくるだろう。
金融機関だけではない。長年の低金利環境に慣れてきた日本経済には、低金利でなければ経営が成り立たない、いわゆる「ゾンビ企業」が一定程度に存在する。ゾンビ企業が淘汰されることで新陳代謝が進み、経済の効率性が上がるという議論もあるが、一気にそれが起きると、失業率が増えて消費が低迷し、デフレ圧力がまたぶり返してしまう恐れがある。
低金利で最も大きなメリットを受けてきたのは国の財政で、低利の国債の発行でいくらでも財政資金を捻出できたが、金利が上がれば利払い負担が増え、それを賄うためにさらに国債の増発が必要になるという悪循環に陥りかねない。
これらのことから、日本では金融引き締めを機動的に行うことが極めて困難なのである。
そして、それこそが為替市場での円安の大きな背景となっている。インフレ率が高まれば欧米は利上げに動くが、日本は簡単には動けない。だから金利差が開き、円が売られる。また、金融引き締めに動ける欧米ではインフレの上振れがいずれ抑制されると予想できるが、インフレ抑制策が限られている日本ではインフレが制御できなくなるリスクが意識される。そのことも、潜在的な円売りの材料になるのである。
短期金利と長期金利の動きを予想
さて、日本にインフレが定着したら金利はどう動くのか。先ほど触れたインフレが制御できなくなるというシナリオは、もちろん将来的には可能性のない話ではないが、そうした状況になるまでには、まだだいぶ距離があると考えられるので、まずは、より蓋然性の高い緩やかなインフレが定着した場合のことを考えよう。
日銀は現在、金融緩和路線を継続し、政策変更を急がない姿勢を示している。ゆっくりとインフレの定着度合いを確かめながら、まず最初に行うと考えられているのが、イールドカーブコントロール(YCC)政策、すなわち10年物国債の利回りに0%±0.5%の誘導目標を設定している政策の修正だ。様々な修正方法が取り沙汰されているが、たとえば誘導目標を0%±1.0%に拡大するか、誘導目標の対象をもっと短期のものに変更するといったことが考えられる。これは、今年中、早ければ今月末にも実施される可能性がある。
長期金利の指標とされる10年物国債利回りは現在0.4%台で推移している。仮にYCCの見直しが実施された場合、金利の上昇余地を試そうとする投機的な動きが出る可能性もある。ただし、YCCの見直しは必ずしも金融引き締めに直結するものではないので、そのインパクトは一時的なものになる可能性が高く、また、この段階ではマイナス金利政策は維持されるので、その影響を受ける短期金利の水準は大きくは変わらないだろう。
グラフ2は、金利スワップというデリバティブ取引のレートに織り込まれている短期市場金利の将来予想である。(こうした将来予想は、常に当たるわけではないものの、少なくとも現時点での予想としては信頼性が非常に高いとされている。)
これをみると、マイナス金利政策が解除され、短期市場金利がわずかなプラスに転じるのは来年初頭以降と予想されている。日銀が実際に利上げに踏み切ればこの短期市場金利は0.25%を明確に超えてくると考えられるが、それが起きるのは2026年以降という予想になっている。ゆるやかなインフレが定着するというシナリオ通りなら、こうした予想は極めて妥当なものといえるだろう。
こうしたことから見ると、今後、長期金利にはそれなりの上昇余地が生まれるのに対して、短期金利はしばらくの間、現状から大きく変動しない公算が高いと見られる。
長期の借り入れで変動金利のリスクは上昇
最後に、不動産購入に伴う借入金利の選択の問題に触れておこう。
基本的な考え方として、将来金利が上がると予想されるのであれば、固定金利で借りておいた方がよい。だが、固定金利の水準は長期金利をベースに決まるので、短期金利に比べて通常はそもそもの水準が高い。
一方、変動金利のベースとなる短期金利は、ここまで見てきたように、日本ではそう簡単に上がりそうにないので、固定金利での借入は、短期的には高くつく公算が高いと見ていいだろう。
ただし、5年超とか、10年超といった、もっと長いスパンで考えれば、変動金利借入のリスクは高くなっていく。
インフレ率が大きく上振れして円安に歯止めがかからなくなり、日銀が短期金利の大幅な引き上げを迫られるようになると、変動金利も跳ね上がってしまうからだ。では、そうしたリスクが高くなったときに固定金利での借入に切り替えればよいかというと、それは必ずしも容易ではない。市場は先回りして動くので、そう思えるような状況になったときには、固定金利のベースとなる長期金利は大きく跳ね上がっている可能性が高いからである。
したがって、比較的長い期間で考える場合、変動金利が将来のどこかで跳ね上がるリスクを回避しようと思えば、数年間は割に合わない状況が続くかもしれないが、長期金利が大きく上がらないうちに固定金利の借入にしておく必要がでてくるのである。
(田渕直也)
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