東京都豊島区のホームページを見ると、「紫雲荘活用プロジェクト」という項目がある。
いわく「地域団体『としま南長崎トキワ荘協働プロジェクト協議会』と豊島区の協働で、マンガ家のたまごを支援する『紫雲荘活用プロジェクト』を進めています」。
トキワ荘は、かつて豊島区南長崎にあり、手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などなど、伝説級の漫画家が大勢住んだアパートだ。ご存じの方も多いだろう。残念ながら当時の建物は取り壊されている。

かつてトキワ荘があった場所に建てられたモニュメント
で、そのトキワ荘の隣に建っているアパートが紫雲荘(しうんそう)だ。このアパートには、トキワ荘では手狭になった赤塚不二夫が間借りして住んでいたという歴史がある。
その歴史のある建物に、漫画家のたまごを住まわせて街ぐるみで支援しよう、というのが、さきほどのプロジェクトだ。家賃の半額を補助するなどしてくれるという。
ちなみに……わたくし村田らむは、ルポも描くのだがルポ漫画も描いている。コミックの単行本も6冊ほど出させていただいている、おこがましいが一応漫画家である。そして実は、紫雲荘出身者だったりするのである。
「散々」に描かれていた豊島区
紫雲荘プロジェクトが始まったのは2011年である。結構、歴史のあるプロジェクトになってきている。ただ、僕が東京に来たのはもっとずっと前、30年近く前になる。
僕は福岡の大学生だったのだが、卒業を契機に上京してイラストレーターになるつもりだった。いろいろすっ飛ばして、いきなりフリーランスでやっていこうと思った。もちろんお金はないから、家もなるべく安いところが良かった。
東京の物件案内本を買って調べてみると、八王子の物件が圧倒的に安かった。だが現地に足を運んでみると、これがめちゃくちゃ遠かったので断念、途中で引き返してきた。
で、どこに住もうかと考えた時に頭に浮かんだのは「漫画」だった。当時よく読んでいた、西原理恵子さんの『恨ミシュラン』や山科けいすけさんの4コマ漫
ちなみに、実際には、そこまでヤバい街だと感じたことはない。
家賃3万円、「四畳半以下」の部屋を借りて
池袋の不動産会社に行くと、若くて調子の良さそうなお兄さんが「金ないんすか~。なら一番安いとこ紹介しますよ、ちょうど出たので」と言って車を出してくれた。
車の中で話をしていると「イラストレーターになりたいんすか? ちょうど良いアパートっすよ。隣にあの『トキワ荘』が建ってたんすよ」と明るく話す。で、連れてこられたのが紫雲荘だった。
結局この紫雲荘に部屋を借りたのだが、この時は(というか退去してしばらく経つまで)、このアパートに赤塚不二夫がいたとは知らなかった。

豊島区立トキワ荘マンガミュージアム内には、「紫雲荘」についての解説も展示されている
家賃は、たしか3万円前後だったはずである。紫雲荘の1階で、赤塚不二夫が住んでいた2階部分とはつながっていない、母屋に隣接した部屋だった。四畳半より狭かった。
トイレととても小さいキッチン、狭い収納スペースがついていたが、風呂はなかった。畳は焼けているどころか、穴が空いていた。もちろんクーラーはないから夏は暑く、冬は寒く、湿度は高かった。
家賃がずっと安い福岡から引っ越してきたので、東京で3万円で住めるアパートのレベルの低さに立ちくらみがした。
現在、僕が大阪・西成に借りているシェアハウスは、紫雲荘よりも広く、トイレはないものの共用の風呂があって、もろもろ2万7000円で安い。東京の不動産は高いのである。

現在、筆者が大阪市西成区で借りているシェアハウス。家賃は2万7000円
「1日でも早くここを出たい」
さて、22歳で紫雲荘の住人になったものの、「トキワ荘の隣に住めるなんて、ぼかぁ幸せだ! 夢を叶えるために頑張るぞ!」なんて殊勝な気持ちは微塵も湧いてこなかった。
「この場所から、1日でも早く出るぞ!」というのが目標になった。もちろん仲間もおらず、毎日1人で絵を描いて、ひたすら出版社に持ち込んだ。
家賃が安い理由はすぐに分かった。駅が遠いのだ。最寄りの椎名町駅まで歩いて12~3分かかった。ただ椎名町駅を走る西武池袋線だと、目的地まで乗換えなければならない場合が多く、結局高くつくので、もっと遠い目白駅まで……というか、池袋駅まで30分くらいかけて歩いていた。いまは、近くに大江戸線が通って少し便利になっている。
大きなスーパーはなかったが、なんやかんや買い物には困らなかった。
古くからやっている定食屋もあったが、福岡と比べてしまうと、だいぶ高かったし、質も今ひとつ……と感じてあまり利用しなかった。
それでもトキワ荘の時代からあるラーメン屋「松葉」にはたまに足を運んだ。スープが黒い醤油ベースのラーメンで、たまに無性に食べたくなる味だ。今でも、銀行の都合で足を運んだりした際は食べる。
苦い思い出のコインシャワー
それから、銭湯に行くのが意外と面倒だし、お金がかかった。銭湯内には、かなり強いヒエラルキーがあった。風呂から出ると、爺さんが近づいてきて、「この銭湯は、あそこにいる人が仕切ってるから。偉そうにしてると怒鳴られるよ」とボソボソ声で忠告された。
仕切っているという爺さんは確かに強面で、周りに睨みを効かせていた。
「ヤクザとかより怖いんだから。特攻くずれだからね。特攻くずれは命知らずだから気をつけるんだよ」
特攻くずれとは、第二次世界大戦末期に体当たり攻撃をした特別攻撃隊の隊員だったということだ。
実は「俺は特攻くずれだ」という人は今までに3人会っている。青木ヶ原樹海の中で宗教をやっていた人、上野でホームレスをやっていた人、と、この人のあわせて3人だ。
本当かどうかは分からないけど、終戦から78年を迎えた今、戦争を知っている世代はほぼ亡くなってしまっている。本当でも嘘でも「特攻くずれ」と自称する人に会えたのは、貴重な体験だった。
紫雲荘の隣にはコインランドリーがあり、珍しくコインシャワーもあった。コインシャワーは100円で済ませられるので重宝した。お湯代をケチっているため、体を洗った後にコインを入れて流すようにしていた。
だが、たまに壊れてお湯が出なくなった。真冬に水しか出なくなった時は、なんとか我慢したが、家に帰ってきたあとに高熱が出た。
ある日、コインシャワーを使ったら、何かを踏んでコケた。足元を見ると、使用済みのコンドームを踏んでいた。なんとも悲しくなって利用するのを止めた。
現在の椎名町駅周辺は…
久しぶりに椎名町に来てみた。
椎名町駅から見える光景の印象はあまり変わっていない。古くからの町並みという感じだ。当時、アルバイトでビラ配りをやって、一日中立っていたのを思い出し、ちょっと鬱な気持ちになった。

椎名町駅前
椎名駅の近くには1948年(昭和23年)に起きた帝銀事件の現場がある。帝国銀行椎名町支店で起きた、毒物を用いた、銀行強盗殺人事件である。ウワサだけはよく聞いたので、どこにあったのか聞き込みをしたことがあった。だが、誰に聞いてもハッキリしなかった。当時ですでに40年以上経っていたが、それでも誰も場所を覚えていないのは不思議だった。
駅の北側に広がる商店街、「椎名町サンロード」の雰囲気もほとんど変わっていなかった。もともと古い感じだったが、今も変わらぬ良い古さがあった。

サンロード商店街
紫雲荘すぐの南長崎通りも、お店はほとんどやっていないし、建て変わってしまった家も多いのだが、雰囲気は変わっていない。
ごちゃごちゃしていて、電線がたくさん走っている、愛すべき商店街だ。
「トキワ荘推し」、ミュージアムや街づくり拠点も
紫雲荘も相変わらずの佇まいだった。

現在も建つ紫雲荘
隣のコンドームが落ちていたコインランドリー&コインシャワー店はついこないだ潰れたようだった。館内は物が取り除かれてガランとしていた。
僕が使っていた銭湯もとっくになくなっていた。まだ近所に銭湯はあるものの、紫雲荘に住んでいる人はちょっと不便そうだ。
街の雰囲気は変わっていないが、「トキワ荘推し」はより進んでいた。
トキワ荘の跡地に建つ「日本加除出版株式会社」の前にはトキワ荘を模したモニュメントが建っている。
「トキワ荘マンガステーション」では関連ある作品を読むことができる。南長崎地域のマンガ・アニメによる街づくりの拠点として建てられた施設だ。

トキワ荘マンガステーション
そして僕も住んでいた(誰にも知られることはなかったが)紫雲荘は、「紫雲荘活用プロジェクト」で、新たなる漫画家を育てている。
……などなど、実に28もの見どころがあるが、一番の施設はなんと言っても「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」だ。トキワ荘をかなりの精度で再現している。炊事場は声が聞こえてきそうなニギニギとした雰囲気になっている。各部屋は、漫画家の部屋が再現されていてとても楽しい。

トキワ荘マンガミュージアム

各漫画家の部屋も再現されている
1階部分はギャラリー。この時は人気漫画『よつばと!』の原画展が開催されていて、多くの人が訪れていた。外国人が多数訪れているのも、日本の漫画が国際的に愛されているのが伝わってきた。
プロジェクトは本当に有効か
昭和の雰囲気、漫画の歴史を味わうには、椎名町探索はとても良いと思う。
ただ、最後に少しだけ言わせてもらうなら、「地域ぐるみで漫画家を育てる」とかは、正直あんまり意味がない気もする。実際、何人かデビューを果たした人もいるようだし、金銭面に不安がある人は、プロジェクトに乗るのも1つの手だと思う。……思うのだけど、正直僕ならあまり乗りたくない。
紫雲荘に入る際に漫画のプロでない人に審査されるのも嫌だし、漫画家になるまでの期限が切られているのも嫌だ。
ただでさえ漫画家になるには、いろんな人の審査を通らなければならない。編集者の意見を渋々聞き入れなければならないこともあるし、我を通して違う出版社に行くなどの選択をすることもある。
そうやって日々苦労するのに、なんで住む所を選ぶのにそんな苦労をせにゃならんのだ? と思う。
紫雲荘が漫画を描くのにそんなに適したアパートだとは思えない。というか、適していないと元住人の僕自身は思う。
現在は、東京で漫画を描く必要は大いに減っているので、地方でそれなりにしっかりした部屋を借りて描いたほうが良いとも思う。
もし、これから漫画家になりたいと思っている人がいたら、安い物件を自分で探して、「あなたなりのトキワ荘」「あなたなりの紫雲荘」を見つけてみるのもいいんじゃないだろうか。
(村田らむ)
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