
PHOTO:Syun/PIXTA
元日に発生した「能登半島地震」は、大きな被害をもたらしました。今でもたくさんの方が避難所生活をされていますし、インフラの復旧にはまだまだ時間がかかりそうです。
被災された方々には心からお見舞い申し上げるとともに、復興に尽力されている皆様には安全に留意しつつご活躍されることをお祈りいたします。
今回は、日本の住宅がこれまで「地震」とどのように対峙してきたのか、その歴史を紐解きながら、私たちがこれから何を意識して建物をつくり、暮らしていくべきなのかを考えてみたいと思います。
「地震大国日本」に家を建てるということ
ご存じの通り、日本は地震大国です。
「国土技術研究センター」によると、2011~2020年の間に全世界で発生したマグニチュード6.0以上の地震のうち、17.9%が日本周辺で発生しています。また、1997~2023年までの26年間で、震度6弱以上を42回記録しています(気象庁調べ)。
日本にいる限り、地震と共生・共存しなければならないことが、各種データからも明らかになっていると言えます。
過去の地震は、たくさんの教訓をもたらし、建築関係法規も移り変わってきました。
ただし、今回の震災で周知されたように、「建築基準法で示された耐震性能」=「地震で壊れない家」というわけではありません。法律ではあくまで「震度6~7の地震に対して一度は崩壊しない」程度の強度基準が提示されているにすぎません。

阪神淡路大震災で倒壊した住宅(PHOTO:カワグチツトム/PIXTA)
これはつまり、一度大きな地震を経験したあとは、見た目に大きな問題がなくとも、見えない部分で大きな損傷を受けており、次の地震では倒壊してしまう可能性がある、ということです。
では、地震後にダメージが蓄積して耐震性能が落ちていないか、調査して補修できるのでしょうか? 残念ながら、現状では極めて難しいと言わざるを得ません。
木造住宅は構造部材やその接合部が隠されていることが多く、金物やビスなどの破損を確認することができません。すべてを検査し、補強しようとすると、内壁をほぼすべて壊さなければならず、手間も費用もかなり掛かることになり、現実的ではありません。
「ハードによる対策」の限界
「能登半島地震」では、石川県輪島市が南西に最大約2メートル移動、地盤が約1.3メートル隆起した、との調査結果が出ています。このような地殻変動が起きているのですから、本当に大きな力が働いたことがよくわかります。
ここまで大規模な地震になると、建築物の構造を強くするとか、そういうハードによる対策では対処できない部分も出てきます。
例えば、地盤の隆起や移動、ひび割れが起こることは構造計算の想定外であり、耐震等級3の建築物であっても崩壊は免れません。津波も同様で、水圧などを想定しはじめたら、窓さえ設けることができなくなってしまいます。
液状化に関してはある程度の予測・対策が可能ですが、規模が小さな建築物であればコスト対効果の関係でそこまでの対策は施さないことが一般的です。
液状化で建物が損傷を受けなくても周囲の地盤が上下してしまえば埋設された水道やガスなどのインフラが破損・遮断されてしまいますので、その復旧までは住居としての機能はあまり果たさなくなります。
いつ来るのかわからない大地震のために、構造に莫大なコストをかけ、壁だらけの真っ暗な家に住まなければならないのであれば、毎日の生活が楽しくなくなってしまいます。
建築物というハード単体を強化するだけでは私達の生活を担保することはできないのです。
スクラップアンドビルド
昔から日本は地震、そして火事に悩まされてきました。一生懸命作った御殿でも、木造ですと地震と火事には勝てません。
江戸の火消しは火を消していたわけではなく、延焼を防ぐために燃えた家や隣の家を一生懸命壊していました。
地震大国日本の木造文化は、そのような儚さを必然的に内包していて「悲しんでいても仕方ない、また作ればいいよ!」と、お祭りのように火を消し、また出来上がった骨組みの屋根から餅を投げ、地域住民で肩を寄せあって上棟を祝っていた文化があったのかなと思っています。
その名残か、日本では今でもスクラップ(廃棄)とビルド(再建)が繰り返され、住宅の建て替え期間は30年程度と、新築神話が健在です。

PHOTO:annko/PIXTA
省エネルギーがより求められるこれからの時代は、このような「スクラップアンドビルド」から脱却し、建物を末永く使い続けるための知恵が蓄積されるべきでしょう。それはまさにその通りだと思います。
ただし、その目指す方向が「とにかく頑丈な建物に置き換えていけばよい」という考え方だけでよいのか、というと、疑問が残ります。
もし、頑丈であることだけが重要視されれば、古い家は一掃され、分厚い壁に覆われた要塞のような家が、気候などの地域特性関係なく立ち並ぶ画一的な街ばかりとなってしまいます。建築費もあがり、日常よりも非日常のための家となってしまうでしょう。
そうなると、家を持つことが難しく、家を持ちたいという夢もなんだか寂しいものとなってしまいます。そもそも、「地震にも津波にも耐えて、その後も住み続けられる家」というものが実現できるかどうかも分かりません。
柱や梁を組み立ててつくる、日本の「在来木造建築」の良いところは、比較的簡単に補修・修繕できるところだと思います。
ハードである建築物を、大地震でびくともしない構造にするよりは、多少建物に被害がでても、死者が出ないことを大前提としながら、修繕可能なつくりにして、時代に合わせながら修繕してまた使い続ける――。そんな文化へと変化していくべきなのかもしれません。
「災害関連死」を減らす
もう1つ、知っておきたい視点として、近年では地震による直接死よりも、災害関連死の対策が重要である、という考え方があります。
1995年の「阪神・淡路大震災」では、地震による直接死(窒息・圧死・外傷性ショック)が80%程度と最多でした。
一方、2016年の「熊本地震」では地震の直接死は18%程度であり、残りの82%程は震災関連死(災害による負傷の悪化や、避難生活の負担による疾病等で亡くなること)となっています。
今回の「能登半島地震」ではまだこのような分析はできていませんが、時代が進むごとに建築物倒壊等による死者は減っており、これまで重ねられてきた法改正などには一定の効果はあると感じます。
新陳代謝が進み、古い建物が解体・新築、もしくは耐震補強されていけばこの地震による直接死はますます減ることが想定されます。しかし問題は震災関連死なのです。よって、日本が取り組まなければならないのは地震発生後の対策の積み上げなのです。
「東日本大震災」での私
私が災害関連死への対策が必要だと強く感じたきっかけは、東日本大震災です。
2011年3月11日14時46分頃、私は工事現場にて現場監理にでていました。過去に経験したことがない揺れに驚愕し、近くの安全そうなRC建物に避難し、大きな魚を釣り上げたようにしなる電柱を見ていました。
揺れがおさまり、色んな情報を認識する前にすべての交通機関が停止し、携帯電話が使えなくなったのは皆さんもご経験のとおりです。
とりあえず事務所に戻ろうにも交通手段がないので、現場監督にお願いして車で近くまで乗せていってもらうことにしました。
その車の中でラジオを付けつつ出発したのはいいのですが、当然同じことを考えている人で道路は車でごった返し、まもなく道路は渋滞し、牛歩となりました。
諦めの境地でラジオから入る情報に青ざめつつ、渋滞にハマっているとすり抜けしようとしたバイクが車と接触した人がいて、周囲のみなさんが携帯電話で救急車を呼ぼうとしていたのです。

PHOTO:よねやん/PIXTA
しかし、携帯は回線がパンクしているのか使えませんし、仮に消防署と繋がっても救急車がこの交通渋滞の中で現場に到着、病院への搬送はかなりの時間がかかることが予想できました。
実際軽傷そうではありましたが、仮に重傷でしたら震源地から遠く離れた東京で、不必要な関連死が眼の前で起こってもおかしくない状況だったのです。
つまり、地震対応に慣れていなければ、地震での直接被害以外のところでたくさんの被害者がでることを痛感したわけです。
私は4~5時間ぐらいかけて新宿駅で降ろしてもらい、そこに私が乗ってきた自転車で自宅に向かったときには、24時間眠らない街だった新宿の店舗はほぼシャッターを下ろして閉店しており、コンビニにはすごい人が殺到して商品がほぼなくなっており、自転車屋さんからはすべての自転車がなくなりつつあるという、信じられない風景がそこに展開していました。
この地震で建物が崩れているとか、そういった被害は一切見ていないにも関わらず、車は渋滞、徒歩で帰路につく方で歩道は埋め尽くされ、見える世界は一変していました。デマがかなり流布されましたし、異常な事態だったのは13年経過してもまだ記憶に新しいことではないでしょうか。
その後さまざまな報道より、私も皆さんと同じく「移動・連絡・買占めをしないほうがよい」と学びました。
先程の救急車のように緊急で移動しなければならない人のために「緊急輸送道路」は確保されるべきですし、緊急で連絡をしなければならない人のために携帯の回線は確保されるべきですし、緊急で必要としている人が食料を購入するべきなのです。
そんなことを知らない私達はみんなで災害対策の邪魔をして、救えた生命を阻害したかもしれません。つまり地震での被害者面していたのですが、実は災害関連死を招いた加害者の一人だったというわけなのです。
そこで私が学んだことは自身が体験したようなことを含め、地震で得た教訓を必ず次に活かさねばならないということでした。
それは建築物のようなハードの整備以外の、心構えとか、知識とか知恵とかのソフト面、今までの言い伝えや、災害で得た教訓をきちんと継承し、活かすことだと感じたのです。建築的なことに絞ると、具体的には下記のようなことです。
1.地震や火災の危険性が高い建物、逆に地震に強いのかを把握する
ご自身の住んでいる家、マンションなどがいつ建てられ、どの時期の耐震基準なのかを把握しましょう。
古い建物であれば耐震診断をしてもらい、補助金などで耐震補強ができる自治体が多いです。1981年(昭和56年)5月31日までに建築確認が降りている物件であれば、家に留まるよりも、瞬時に屋外の広い場所に避難したほうが安心です。
2.屋外にいた場合はどこに逃げる?
屋外にいる場合は上から落下物があるかもしれませんので、安全な建物に避難をお勧めします。基本的には、新しくて規模の大きな建物ほど一般的には頑丈にできています。
その中でもコンクリートでできた壁が多い、新しい建築物が一番オススメです。一階部分が駐車場などでピロティーとなっている古い建物は避けてください。また、公共建築は避難場所としても使われることが想定されているため、より厳しい耐震基準で作られています。
木造住宅密集地や通路が狭い地域は火災の発生が危惧されるので、地域内での防災訓練や連携を地域コミュニティーの中で意識することが必要でしょう。
3.地盤が良いか、悪いかを把握しておく
地盤サポートマップなどを見て、住んでいる土地や購入したい土地の地盤が良いのか悪いのかを知っておきましょう。なお、盛土のところは一般的に地盤が弱く、切土のところは強いことが多いです。
4.周辺の歴史を知っておく
住んでいる街がどのように出来上がってきたのかを調べてみましょう。古くからある場所であればそこの土地に様々な震災の記録が残っています。よって古くからある神社やお寺があるところなどは、地震でも安全であった場所に建てられることが多いので、比較的安全と言えると思います。古地図を見ながら自身の住む街の記憶を掘り起こすことも重要なのです。
5.建物内での二次被害を防ぐ
家の倒壊が防げても、揺れによる家具や家電などの下敷きや、火事を発生させてはいけません。寝る場所の吟味や家具・家電転倒防止グッズ、消化グッズはたくさん売られているので、ぜひこの機会に対策してみてください。
◇
現在、「能登半島地震」では避難所での災害関連死を防ぐための対策が様々に行われ、過去の教訓が生かされているように感じました。
直接死を防ぐためのハードの整備は各省庁による法整備でより良い方向に進むでしょうから、一般市民である私達は、同じ轍を踏まないためにも過去からの学びを踏まえて小さな実践を日々積み重ねるべきだと痛感しています。
(一級建築士・岡村裕次)
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