物件の清掃に勤しむ長田さん

「私が祖父から物件を継いだ時、毎月の手出しが20万円あるような状態でした。メインバンクの担当者からは『資産貧乏』と揶揄されたこともあったんです」

父と祖父が相次いで亡くなったことで、まったく想定外だったにもかかわらず「二代目大家」となってしまった―。

そう話すのは、山梨県で不動産賃貸業を営む長田穣さん(44)だ。2007年に赤字経営の物件を引き継いだ長田さんは、四苦八苦しながら一時は満室経営を実現。ところが、わずか数年で競合の乱立などでまたもや赤字に転落してしまったという。

そこで長田さんは賃貸経営戦略を抜本的に見直し。数年かけて、再び満室に返り咲くことができたと語る。

長田さんが経験してきた二代目大家の苦労、そして、築き上げた賃貸経営戦略とはどのようなものなのか。長田さんの経験を前後編でお伝えする。前編では、相続した物件を立て直すまでにフォーカスを当てる。

予期せぬ「赤字物件」の相続

長田さんは山梨県内に4棟34室を所有し、約1500万円の家賃収入を得ている。全て祖父から相続した物件。現在、入居率は100%だ。

長田さんの所有物件の1つ

長田さんの祖父がアパート経営を始めたのは、1993年のこと。相続税対策として、所有していた土地にアパート3棟を新築。次いで、1998年にもさらに1棟建てた。

「アパート経営を始めた当初は、賃貸アパートの供給が少なく、空室が発生してもすぐに客付けができていたりと、結構儲かっていたようです」

この頃、長田さん自身は祖父の行っていた賃貸経営に「全く関心がなかった」と語る。

「実は祖父や父と関係が良い方でもなかったので…。『早く家を出たい』『親のすねをかじるような生活はしたくない』と考えていました。物件や家を相続するなんて全く想定していませんでした」

ところが2006年12月、父親が病気で亡くなり、息子の突然の死にショックを受けていた祖父も、わずか23日後に病死してしまう。それまで考えもしなかった相続が、長男の長田さんの肩に重くのしかかった。

「土地や家屋、物件の名義は全て祖父でした。遺言書がなかったため、遺産分割協議を行い、家族・親族とも話し合った結果、最終的に、私が全て物件を相続することになったんです」

当時、長田さんは20代で、地元企業に勤める普通のサラリーマンだった。それまで全く関心がなかった賃貸経営。儲かっていた様子も見ており、「不労所得」というイメージすら持っていた。ところが。

「ふたを開けてみたら、債務超過状態、全くの赤字経営なんです。そんな物件を相続することになって、自暴自棄になりました…」

毎月30万円の赤字、「資産貧乏」と揶揄され

長田さんが物件を相続した当時、入居率は70%程度しかなく、毎月の家賃収入は合わせて60万~70万円程度。これに対して、銀行返済が毎月計約90万円だった。単純計算で、毎月2、30万円の赤字だ。

「物件を建てた当初は儲かっていたようですが、2000年代に入ると競合のアパートも乱立し始め、徐々に経営が苦しくなっていったみたいです。しかし、それまでに得ていた収入は祖母が散財してしまっていて、全く残っていない。絶望を感じました」

当然、銀行返済のほかにも税金の支払いやその他の支出がある。

融資返済のリスケジュール(返済期間の延長)を金融機関にお願いし、美容部員として働いていた母からも援助を受け、どうにか返済の滞納だけは回避し続けるような状態だった。金融機関の担当者からは、「長田さんみたいな状態を、『資産貧乏』って言うんですよ」と揶揄された。

「今でこそ、賃貸経営の責任は全てオーナーにあるのだとわかっていますが、当時は本当に無知だったこともあり、入居が決まらない時には、全て仲介会社や管理会社のせいにしてしまっていました。『何で決まらないんだよ!』と罵声を浴びせてしまったこともあります」

この担当者には、後日謝罪して許してもらい、今でも付き合いを続けている。

だが、入居が決まらず、家賃収入が上がらず、経営が苦しい―。そんな生活が続き、精神的にも限界が来ていたと当時を振り返る長田さん。

売却も考えたが、残債よりも低い査定しかされず、自宅も担保に入っていたため、経営を続けるしかなかった。

そんな長田さんの転機となったのは、建物の無料点検を受けたことだった。

修繕費捻出のために行った清掃が転機に

「2010年ごろだったと思いますが、建物の無料点検を受けたんです。すると3棟の物件の外壁にクラックが入っていることが判明して、すぐに修繕しなくてはならなくなりました。計約600万円です。資金は相当厳しいですが、直すしかありませんでした」

少しでも資金を作るために、切り詰められるところを切り詰めていった。そのうちの1つが物件の定期清掃。これまで月1回、約4万円を払って外部に委託し、物件を清掃してもらっていたが、この契約を解除した。

外部委託の清掃がなくなったが、清掃は誰かがやるしかない。仕方なく、オーナーである長田さん自身が行うようになった。

「掃除が好きな人なんてめったにいないじゃないですか。初めは仕方なく…でした」

だが、仕方なしに始めた掃除が、どういうわけか、やるにつれてだんだん楽しくなっていったという。

「たとえば物件の共有玄関に、虫の死骸が結構落ちていたんですよ。それを片付けると、それだけなのに結構印象が変わるんです。自分の気持ちまで明るくなったように感じました」

ささいな出来事ではあったが、こうした体験を積み重ねていくうちに、掃除が好きになっていった。初めは月1回だったが、週に1回行うようになり、現在では平日の午前中はほとんど掃除に出向いている。

雪が降った日には、オーナー自ら雪かきも

「お客さんの立場からすれば、月1回の掃除じゃ絶対間に合ってないんですよね。オーナーからすれば、月1回もやっているって思う人も多いかもしれないですけど…。客付けにも絶対に影響があると思うので、僕は、掃除はできる限りしたほうがいいと思っています」

長田さんが清掃を始めるようになった当初は、物件敷地内のゴミ置き場には、ゴミ置き場がミルフィーユのように何層にも積み重なっているなど、ひどい状態が続いていたという。

「今振り返ると、こんな物件、誰も住みたいと思わないに決まっているというくらいでした」。だが、この時はそれすらわからないほど無知だったという。

結果的に、掃除をするために自ら物件の様子を見に行くようになったことで、オーナーとしての責任が長田さんの中に芽生えていった。

「もっと賃貸経営にかかわりたい」

掃除を始めたことをきっかけに、オーナーとして物件への関心が高まっていった長田さん。「もっと賃貸経営にかかわりたい」と考えるようになっていったという。

「それで、これまで管理会社に丸投げしていたリフォーム作業の打ち合わせに、僕も参加させてほしいとお願いしたんです」

とはいえ、まだまだ経営に関する知識は不十分で、打ち合わせに参加しても積極的に何かを提案したり、決断したりすることはできなかった。

すると、工事担当者が「それならオーナーさんが壁紙を選んだらいいんじゃない?」と提案してくれたのだという。その提案に乗り、原状回復リフォームの際、自ら選んだアクセントクロスを貼ってもらうことになった。

「正直に言いますが、この頃選んだのは、結構派手な、変なアクセントクロスでした…(笑)。『シンプルなやつにしたらどこの物件も同じじゃん!』と思って、個性的なのを選んだんです」

当時の物件(リフォーム後)

そんな個性的なクロスを貼った部屋だったが、募集を開始するとすぐに入居が決まった。四苦八苦のオーナー生活を続け、赤字経営と空室に悩みっぱなしだった長田さんにとって、かけがえのない成功体験の1つだった。

「これでちょっと天狗になっちゃったんですけど(笑)。ほかの部屋もアクセントクロスを取り入れて、ぱっと見の印象が良くなるようなリフォームを続けたら、早期客付けができるようになっていきました」

入居がついては退去があっての一進一退を繰り返しつつも、2014年、ようやく長田さんにとって初めての満室を実現した。

資金繰りに苦しんでいた当時、リフォームのための費用は、管理会社の買掛金扱いにしてもらっていた。「要するに『ツケ払い』です。最大で200万円程度になってしまって…。毎月、少しずつ、管理会社に家賃収入から天引きしてもらって、返済していました」という。

だが、満室を実現したことで黒字に転じ、その数カ月後には買掛金を完済。

「それまでは返済分があったので、家賃収入も80万、90万円とかでした。それが、完済の翌月から100万円を超えた。あの時の感動は今でも覚えています。最初は、何かの間違いか何かと思って電話しようかと思ったくらいです(笑)」

この頃、不動産賃貸業に本腰を入れるため、法人を設立し、代表取締役に就任した。

予想もしていなかった赤字物件を突然相続することになり、苦しみながらも満室を達成した長田さん。

これまでの苦悩や努力が報われ、ここからは順風満帆の大家生活を送れる―。そう思っていた矢先、思いもしなかった出来事が起こってしまう。満室の達成、黒字経営の実現からわずか3年ほどで、再び赤字に転落してしまうのだ。

「これまでの成功事例が1つもうまく行かなくなってしまったんです。繁忙期にもかかわらず3部屋を募集しても1部屋しか決まらず…。転勤で2部屋同時退去もあり、一気に赤字に戻ってしまいました」

この出来事にショックを受けるも、どうにか再び満室経営に戻そうと、長田さんは賃貸経営の戦略を根本的に見直すことを決意する。

果たして、どのような戦略をとることにしたのだろうか。

○取材協力
長田穣さん(HP

(後編へ続く)
(楽待新聞編集部)