
「ダムの中に作られた町がある」
というと皆さんは、湖底都市のようなSF的な世界を想像するか、ダム建設のために沈められた村で、ともすれば霊が生活しているようなホラー的な世界を想像するかもしれない。
実際にそういう町がある。
ただし、ダムはたしかにダムなのだが、砂防ダムだ。土砂を貯留したり、流出を防止するダムなので、貯水機能はない。
真ん中に渓流は流れているし、土砂や流木などを堰堤(えんてい)に引っかけて止めるための施設なので、もちろん家を建てるのには向いていない。向いていない所に、無理やり作られた集落だ。この時点でなんだかワクワクしてくる人は、俺の仲間だ。
その集落があるのは、京都市北区衣笠開キ町。戦後に朝鮮系の人たちによって、ダムの中に集落が作られた。

「砂防指定地」を示す看板
京都府宇治市のウトロ地区も同じような状況で建てられた集落だったが、こちらは現在はすでに全域で家屋が取り壊されている。
「工作物撤去」を指示する文書も
実際に現場に向かってみる。近くにある最大の観光地は金閣寺(鹿苑寺)だ。さらに近くには、佛教大学紫野キャンパスがある。
「ダムの中の集落」なんて言うと、すごい田舎を想像してしまうかもしれないが、観光地であり学園都市であり、人通りはそれなりに多い。
ただ、電車は通っていないので、公共交通機関でのアクセスはバスなので、訪れるのはそれなりに大変だ。
佛教大学を左に曲がると、細く流れる天神川が見えてくる。この川を北へ北へと登っていくとダムの壁が見えてきた。土砂や流木を食い止めるための堰堤だ。
あまり大きくなく、水を通すために開けられた穴がまるで顔みたいに見えてかわいらしい。そして、この堰堤の向こう側に村がある。

顔のように見えるダムの壁
俺は何度もこの場所に来たことがあるのだが、初めて来た時はなかなかダムの中に入ることができなかった。どこから入って良いのか分からなかったのだ。グルグル歩いていると高い位置から村を見下ろすことができた。
狭い場所にギッチリと建物が建っている。想像よりもしっかりした建物が多かったが、つっかえ棒みたいなので無理やり建てられている施設も目についた。

高台から見下ろしたところ
最初に取材したのは、2012年に大きな水害があった後だった。大きな水害がたびたび起きて、その度に水害にあっていたから、これはそろそろ危ないのではないか? という話になってきていた。
なぜ、それまで立ち退きの話にならなかったと言えば、韓国や北朝鮮の人たちとの複雑な事情が背景にあるのだろう。
しかし「大水で災害が発生してしまう」というならば、仕方がない。
2016年に取材をした時には、「河川管理上、支障があるので、所有者は、平成28年3月25日(金)までに、以下へ連絡の上、工作物を撤去し、現状に回復してください」とペタペタと張り紙が貼られていた。しかし、実際には立ち退いている様子はなかった。

工作物撤去を指示する貼り紙(2016年撮影)
すでに取り壊されたであろう建物跡にはバリケードで囲われていた。
そして「ここに建設されていた廃屋は、荒廃が進み増水時に下流へ流出し、災害の原因となるおそれがあるなど、河川管理上、支障があったため、京都府が、平成28年2月10日に工作物を撤去しました」とやはり張り紙が貼られていた。
つまり「廃屋だったから、取り壊した」というわけである。

取り壊しを報告する貼り紙(2016年撮影)
まちの雰囲気は…
とにかく、なんにせよ小高い場所から集落は見えた。しかし入り方が分からない。「どうやって入ったらいいんだ」と頭を抱えた。
何度もグルグルと歩き、何気ない細い路地を進んでいくと、直接ダムの中に入ることができるのに気づいた。
「こんなルート分かるか!」とプンプンしながら進んだが、その先に広がる光景を見て怒りはすぐに収まった。手製の階段の上から見下ろす集落は想像以上に異世界感があった。
そのエリアには、決してボロボロではないがどこかDIY感のある建物が並んでいる。階段は急。かなり年季が入っている建物も多く、廃墟にしか見えないものもある。あまり使われていないような、公衆トイレもあった。

エリアには独特の雰囲気がただよう
しばらく進んでいくと、手製の橋が出てきた。砂防ダムの真ん中には渓流が流れているので、それを渡るための橋だ。工事現場にあるようなパイプと鉄板で作られている。あまりに無骨で、とてもいい橋だ。

鉄板で作られた橋
橋の真ん中に来ると重みで鉄板が凹み、「ドーン!」と大きい音がなった。橋の真ん中から見渡すと、左右にたくさんの家が建っているのが分かった。
母屋はコンクリートが敷かれたその上に建っているから、一応安定している感じはするが、テラスなどはたくさんの柱で無理やり支えるようにして建っている。たしかに水が流れてきたらあっという間に、押し流されてしまいそうだ。
家の前には畑が作られたり、木が植えられたりしている。ちょうど訪れた季節が春だったから桜や梅の花が咲く牧歌的な光景になっていた。ずいぶん感動した。

サクラも満開に咲いていた
俺はこういう街が好きである。
四の五の言わず、風景が好きなのだ。歩いているだけで興奮してしまう。韓国に行っても、台湾に行っても、気づけばこういう街を歩いている。
このような町の記事を書いたり、YouTubeに動画をアップしたりしていると、興味を持つ人も多いし、評判も良い。
ただ、「近所の住人は迷惑しているのに、ほめるような記事を書くなんて……」と文句を言われることがある。
実際、砂防ダム内に住むことは「国有地の不法占拠状態だ」と言われている。
ただ、俺はこういう場所が好きなのも事実で、それは仕方がないので、許してほしい。
「立ち退いてくれとの催促はない」
2023年末、7年ぶりに現地を訪れた。前回はずいぶん迷ったが、今回はスッと村に通じる路地に入ることができた。
今回気づいたのだが、路地以外にも道路と砂防ダムのきわから、すっと集落に入ることができる場所も見つけた。そんなにたびたび来るわけではないから今更感はあるが。
やはり数年経って建物はずいぶん減っていた。前回取材して以来、大きな水害はなかったので、廃墟になって取り壊した家が何軒もあったということだろう。

高台から見る(2023年撮影)
歩いていると、4、50代の住人がいて話を聞くことができた。
「今は正確には分からないけど何十世帯かは住んでいますね。僕は子供の時からここに住んでいるんですよ。僕は(北)朝鮮と韓国のハーフなんです。祖国からこっち(日本)に来て、終戦の後に、僕の祖母祖父が住みはじめました。その頃はプレハブで、電気も水道も通ってなかったです。あえて厳しいここを選んだらしいです」
その人は、「政治家の人と話したりしても『立ち退いてくれ』って催促されることはありません」とも話した。
「無理に出ていかなくていいけれど、もし住居を手配したいなら相談してくれとは言われています。市営団地以外でも大丈夫ですと」
そもそも「水害」から始まった立ち退きの話だったが、現在はどうなっているのだろうか?
「2012年ごろは水害がありましたけど、ここ数年はとくに問題ありません。ダムなので梅雨のシーズンは水が増えます。消防局と警察の方が来て、本当に危ない時は避難する場所をすすめてくれることになってますけど、一回も実際に避難したことはないですね」
とりあえず水害が少なくなってはいるらしい。それはとりあえず良かった。
◇
確かに問題はあるかもしれないが、すでに数世代に渡って住んでいる。生まれた時から住んでいる人にとって、そこは故郷だ。
もちろん、故郷だからといって無条件にいつまでも住めると決まっているわけではない。地震や津波、火事で、故郷を追い出されてしまう、故郷が壊滅してしまう場合もある。
長い目で見たら、どんな場所でもなくなってしまう可能性はある。人と一緒で、一期一会だ。
複雑な問題も抱えてはいる場所だけれど、個人的なには、俺はこの町を歩くことができて、とても楽しかった。
(村田らむ)
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