今日3月16日、JR各社がダイヤ改正を実施した。なかでも、北陸新幹線が石川県の金沢駅から福井県の敦賀駅まで延伸したことには大きな注目が集まっている。
今回の改正でもう1つ、世間の話題を集めた鉄道路線がある。それが、東京都と千葉県を結ぶ京葉線の「通勤快速」が全廃されたことだ。これにより、東京―蘇我間の所要時間は20分ほど増えることになる。また、同時に、朝夕の「快速」の運転も廃止されることが当初発表されていた。
千葉県や千葉市などの沿線自治体は、これに猛反発。沿線自治体が鉄道ダイヤの改正に対して、露骨に反対を表明することは珍しい。
なぜ、JR東日本千葉支社は京葉線の通勤快速全廃と朝夕の快速を廃止しようと考えたのか? 沿線自治体は、なぜ反発したのか?
そこには、東京圏を取り巻く不動産・住宅・通勤事情が大いに関係していた――。
快速列車の「はじまり」は
2023年12月、JR東日本千葉支社は、翌2024年3月に実施するダイヤ改正の概要を発表した。京葉線と内房線・外房線で直通運転していた通勤快速を全廃する方針が示されたのである。
また、同時に快速もデータイムのみの運転になることが盛り込まれていた。これが大きな波紋を呼び、テレビ・新聞・ネットなど各種メディアが盛んに取り上げられることになる。
京葉線は、東京駅―蘇我駅間を結ぶ約43キロメートルの路線のほか、市川塩浜駅―西船橋駅間の約5.9キロメートルの支線、西船橋駅―南船橋駅間の約5.4キロメートルの支線がある。
通勤快速は東京駅―蘇我駅間を走る。朝の上りは蘇我駅を出発すると、次の停車駅は新木場駅となる。
駅前に幕張新都心が広がる海浜幕張駅や、2000年代後半からタワマンが増えていた新浦安駅、ディズニーリゾートの玄関駅となっている舞浜駅には停車しない。
従来、こうした主要駅のみに停車するのは「特急」や「急行」といった列車の役割だった。「快速」は特急料金や急行料金を必要とせず、運賃のみで乗車できる。なぜJRは運賃だけで乗車できる快速を走らせていたのか?
その理由は、1987年に国鉄が分割民営化してJRが発足したことと関係がある。JRの前身だった国鉄は、慢性的な赤字に陥っていた。その赤字体質を改善するために、民間企業のJRへと改組した。
大都市圏を抱えるJR東日本・東海・西日本3社は、収入を増やす取り組みとして、通勤圏の拡大に力を入れていく。通勤圏を拡大させれば鉄道需要が必然的に増大するからだ。
こうしてJR各社は通勤圏を拡大するべく、運賃のみで乗車できる快速列車を増やしていった。同じ距離を走っても、快速は各駅停車よりも所要時間が短くて済む。
つまり、快速を走らせれば、遠方からの通勤が可能になる。
しかも、JRは単なる快速ではなく新快速・特別快速・通勤快速といった具合に、さまざまな種類の快速を生み出した。
庶民の「夢」を叶えた通勤快速
これほどにまでJRが通勤圏の拡大に力を入れたのは、通勤客は安定的な需要が見込めるからだ。快速によって所要時間を短縮することで、遠距離通勤の需要も取り込むことができる。
実際、京葉線の通勤快速は蘇我駅で接続する内房線・外房線の沿線住民が利用することを想定している。
今回の通勤快速廃止に反対を表明した自治体も、内房線・外房線の自治体や経済団体だった。
京葉線は1990年に東京駅まで延伸して全通。それと同時に、朝夕に運行される通勤快速が誕生した。通勤快速は、誕生した当初から内房線・外房線とも直通するダイヤが組まれていた。
1990年当時、すでに株価のバブルは崩壊していたところであったが、まだ好景気の余韻を引きずっていた。そのため、東京近郊の不動産価格は高止まりしたままで、一般のサラリーマンが東京23区内にマイホームを構えることは非現実的だった。
このタイミングで登場した京葉線の通勤快速は、まさに内房線・外房線を東京のベッドタウン化させる大きな力を持っていた。
当時は「持ち家なら安心」というマイホーム神話も強く、不動産事業者も郊外に多くの土地を造成して、戸建を分譲・販売した。こうした要因によって、内房線・外房線で手が届く一戸建てを持ち、東京に通勤する人が多くなった。
つまり、京葉線の通勤快速は「マイホームを持ちたい」という庶民の夢を後押しする列車でもあった。
推し進められた通勤圏の拡大戦略
庶民の夢を叶える京葉線の通勤快速は、内房線・外房線の沿線自治体、およびマイホームを持ちたいと考える層に歓迎された。
京葉線を運行するJR東日本は、1995年に葛西臨海公園駅と海浜幕張駅の2駅に追越設備を新設。この追越設備によって、データイムに運行される快速の所要時間を2分、通勤快速は7分の短縮となった。
さらに、朝の時間帯に内房線・外房線から京葉線へと直通する通勤快速を1本増発した。
追越設備の新設は、翌1996年にも夜間帯に快速を2本増発するという効果を発揮した。2004年には、外房線から京葉線へと直通する快速を朝に1本増発。2006年にも快速を増発している。
快速や通勤快速を増やすことで通勤圏が拡大し、こうした状況を追い風にして内房線・外房線の自治体は移住促進の旗を振った。
JRにとっても遠方の利用者は運賃をたくさん払ってくれる上客だった。そうした遠距離通勤者たちによって運賃収入を増やしていった。
こうした通勤圏の拡大は、京葉線だけに起こった現象ではない。東京圏では東海道本線・東北本線(宇都宮線)・高崎線でも快速・通勤快速による通勤圏の拡大が図られている。
こうした経緯を見ると、JR東日本が取り組んでいた通勤圏の拡大戦略は千葉県のみならず、神奈川県や埼玉県、茨城県、果ては群馬県・栃木県・山梨県・静岡県にも及んでいた。
しかし、東海道本線・東北本線・高崎線の通勤快速は2021年3月のダイヤ改正で廃止されている。東海道本線・東北本線・高崎線の通勤快速の廃止は、沿線自治体からの強い反発もなく、世間から注目を集めることもなかった。
京葉線の通勤快速も2024年3月のダイヤ改正で全廃することになったわけだが、JR東日本千葉支社は、以前から通勤快速の運行本数を段階的に減らしていた。
通勤快速の運転本数を減らしても、特に沿線自治体から反発が出なかったことから、今回の通勤快速全廃という決断に至ったことは想像に難くない。
ではなぜ全廃?
1990年から運行を開始した京葉線の通勤快速は、JRが目指した通勤圏の拡大に寄与した。それにも関わらず、なぜ京葉線の通勤快速を全廃させることになったのだろうか?
JR東日本千葉支社は、京葉線の通勤快速全廃と朝夕の快速廃止の理由として以下の3点を挙げている。
・通勤快速を各駅停車へと置き換えることで、列車の利用者を平準化させる
・各駅停車の運転本数を増やすことで、快速が停車しない駅の利便性を高める
・通過待ちがなくなることで、各駅停車の所要時間が短縮できる
中でも注目されたのが、1つ目に挙げられた「利用者を平準化させる」だった。もともと京葉線は貨物線用線として計画されたという歴史がある。旅客運転が始まったのは1988年で、直後の沿線には倉庫や工場が多く点在した。
住宅が少ないこともあり、京葉線だけでは通勤需要の拡大が難しい。そのため、内房線や外房線でも通勤需要を取り込む必要があった。しかし、2005年前後から、京葉線の沿線にタワマンが増え始めていく。沿線で人口増が顕著だったのは、通勤快速が停車しない新浦安駅だ。
そのほかにも、駅前に「ららぽーと」をはじめとする商業施設が立ち並ぶ南船橋駅、近年は潮見駅などにもタワマンが建設され、発展が著しい。このように、通勤快速が通過する駅の重要性が高まっていったのである。
そうなると、内房線・外房線といった遠方に電車を走らせることは非効率という判断になるのだろう。
さらに鉄道会社を悩ませるのが「タワマン」の存在だ。
規模にもよるが、タワマンは一棟が完成すると人口が500~1000人単位で増えてしまう。タワマンが2~3棟できるだけで街の人口は急増し、駅の利用者数も激変する。
タワマンは駅を加速度的に混雑させる、鉄道会社にとって厄介な存在なのだ。
例えば、各駅停車のみが停まる潮見駅(江東区)は、京葉線の中でも目立たない駅という印象だが、東京23区という立地的な特性からタワマンの機運が高まり、近年は乗降客数が伸びている。
鉄道会社も、タワマンが完成するたびにダイヤを改正して停車駅を変更するわけにはいかない。そんなことをすれば鉄道員も混乱するし、なにより利用者に多大な不便を強いることになる。
それだったら、いっそのこと通勤快速や快速をなくして、全列車を各駅停車へ切り替えた方がダイヤは簡潔になる。それは京葉線を運行するJR東日本千葉支社の負担軽減にもつながる。そんな判断も働いたことだろう。
なにより京葉線は沿線全体で、タワマンが増える傾向を示している。それらの先手を打って、JR東日本千葉支社が京葉線の通勤快速を全廃と朝夕の快速の廃止という措置を講じた――とは考え過ぎではないだろう。
実際、年を経るごとに京葉線は東京寄りの駅で利用者増が顕著になっている。
そのほか、京葉線には武蔵野線の列車が走ってくることもダイヤ上の支障になっていた。武蔵野線も2005年前後から沿線のベッドタウン化が著しく進み、東京駅へと通勤する需要は大きく増加している。
◇
京葉線の黎明期において、通勤快速は遠方の通勤需要を掘り起こすという立役者でもあったが、その役割は時代とともに希薄化していた。
そうした事情が勘案され、JR東日本千葉支社は通勤快速の全廃および朝夕の快速廃止というダイヤ改正を断行した。
しかし、予想以上に沿線自治体の反発が強かったことから、異例のダイヤ改正を見直す事態に発展。最終的に、JR東日本千葉支社は、朝2本の快速を「復活」させることになった。
京葉線の通勤快速廃止というダイヤ改正は、東京都に隣接する千葉県といえども都心回帰現象が顕著に進み、その結果として千葉駅以遠の沿線人口が減少していることを暗示する出来事となった。
(小川裕夫)
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