5月9日に告示され、5月26日に投開票された静岡県知事選。2009年から4期15年の長期にわたり静岡県知事を務めてきた川勝平太氏が、職業差別にあたる発言をして引責辞任したことを受け、後任を決める選挙となった。
今回の静岡県知事選は、当選した鈴木氏の地盤が県西部の浜松市で、最後まで競り合った大村氏の地盤が県中部の静岡市だったことから、浜松市VS静岡市との様相を呈していた。
長らく静岡県は県都の静岡市と、ものづくりが盛んな浜松市がライバル都市として覇権を争ってきた。今回の選挙戦は、まさに静岡市と浜松市の代理戦争的な側面も内包していた。
そんな静岡市(中部)と浜松市(西部)の対立を含めつつ知事選の現場取材から見えてきた静岡県が抱える課題、そして今後の静岡県の展望を俯瞰してみたい。
静岡県知事選、接戦のワケ
5月9日に告示された静岡県知事選は、届出順に横山正文・森大介・鈴木康友・大村慎一・村上猛・濱中都己(敬称略)の6名が立候補。静岡県知事選史上において最多の立候補者数となったが、前浜松市長の鈴木康友氏が元静岡県副知事の大村慎一氏との接戦を制して当選を果たした。
当選した鈴木氏は衆議院議員を2期務めたほか、4期16年にわたり浜松市長を歴任。それだけに地盤の浜松市のみならず静岡県内全域でも政治家としての手腕と顔は知れ渡っていた。
しかし、浜松市長を長く務めた過去から静岡市を中心に「浜松市に偏重した県政になるのではないか?」という不安も広がる。
実際、地域別の得票数を見ると、鈴木氏は浜松市を中心とした県西部で大量に得票し、中部や東部では大村氏の後塵を拝した。大村氏は静岡市の出身で、静岡県副知事を務めた経歴を有するが、政治家経験はなく鈴木氏のように政治の表舞台に立ったことはない。
それゆえに知名度に劣り、事前の情勢報道では圧倒的に不利と目されていた。終わってみれば、約7万7000票差の大接戦となった。原因は何なのか?
世間騒がせた「水枯れ」問題
今回の静岡県知事選は川勝平太前知事の後任を決める選挙だが、川勝前知事といえばJR東海が2027年に開業を予定していた中央リニア新幹線を阻止した人物として知られる。
中央リニア新幹線は、東京(品川)―名古屋間の約286キロメートルを約40分で結ぶ高速鉄道で、通過する各県に1駅が設置される予定だった。しかし、静岡県は人が住んでいない南アルプスの山中をトンネルで通過するので、駅を開設する予定はない。
川勝前知事は、南アルプスを貫くトンネルが大井川の水を流出させるとしてリニア工事に待ったをかけた。
大井川の水量が減少すれば、生活用水・農業用水・工業用水が失われることになる。こうなれば流域の生活が成り立たなくなるだけではなく、静岡県全体の経済・生活にも大きな打撃となる―。
こうした川勝前知事の問題意識は、リニアに賛成・反対を問わず全県民が共有していたと筆者は考えている。そして、JR東海も大井川の水資源に対して、重要であると認識はしていた。
しかし、それ以上にJR東海はリニアを予定通りに開業させることを優先させた。リニア建設は途中から安倍晋三首相(当時)の支援も取り付け、「国策」という位置づけになる。
こうした中で、JR東海による静岡県への対応がおざなりになった。これが川勝前知事の怒りに火を点け、途中から静岡県とJR東海は没交渉となる。
川勝前知事の態度は時に大人気なかった面があることは否めない。しかし、それは県民の生命と財産を守るという意志の裏返しでもあった。それにも関わらず、ところどころ県民感情を逆撫でする発言も目立った。ゆえに最後は静岡県民からも見放されたということになる。
いずれにしても、川勝前知事が着工を認可しなかったことで、JR東海が示していた2027年に東京―名古屋間を開業という目標は大幅に狂い、これが全国的なニュースとして報道された。
JR東海が示していた2027年に東京―名古屋間を開業という目標は大幅に狂い、これが全国的なニュースとして報道された。
JR東海からリニア延期の戦犯と名指しされた川勝前知事(静岡県)だが、工事が遅れているのは静岡工区だけではない。長野県や山梨県をはじめ、ほかの工区でも遅れが発生している。
つまり、リニア開業の遅れは静岡県だけの責任ではないのだが、世論は川勝前知事(静岡県)に矛先を向けた。
川勝前知事が辞任したことで、リニア問題は前進すると思われた。実際、鈴木氏も大村氏もリニア推進を掲げて立候補している。
しかし、知事選中の2024年5月15日に岐阜県瑞浪市でリニア工事に起因する井戸やため池の水枯れが報道されると、多くの候補者たちがリニアに対するスタンスを一転させた。
鈴木氏、大村氏ともに一時はリニアに慎重な姿勢を見せ、両候補がリニアに対する意見を変えてしまったことで、静岡県知事選の争点からリニアははずれていった。
リニアに代わり、衰退進む「県東部」が争点に
筆者は鈴木・大村両候補の選挙を目の前で取材したほか、応援演説で姿を見せた国会議員などにもリニアについて質問しているが、おしなべて「大井川流域では関心は高いが、ほかの地域ではリニアは話題にならない」と口にした。
全国的に注目されるリニアだが、静岡県民の大半は無関心。そして、関心がある有権者の多くは反対しているのが実情だ。となると、静岡県知事選でリニア推進を前面に打ち出すことは票を減らしかねない。
こうした中、新たな争点となったのが冒頭で触れた静岡市(中部)と浜松市(西部)という構図だが、その一方で東部・伊豆地方は置き去りにされる懸念が強かった。
鈴木・大村両陣営は、静岡県の東部・伊豆を重点エリアにして選挙活動を展開。
鈴木氏は沼津市を地盤とする立憲民主党の渡辺周衆議院議員を先導役にして、東部・伊豆半島での支持拡大を図った。
大村候補も三島市を地盤にしている自由民主党の細野豪志衆議院議員に協力を求め、東部・伊豆をこまめに遊説で回った。政治資金の問題で逆風下にある自民党だが、いまだ地方における組織の結束力・集票力は強い。
また、西部VS中部が争点になった今回の県知事選では、東部・伊豆は距離的に近い中部の大村氏を応援する声が大きかった。自民党が全面的にバックアップした大村氏は東部・伊豆での地道な選挙活動の成果が実を結び、東部・伊豆で鈴木氏の得票を上回った。
ただし、東部・伊豆は静岡市・浜松市のような大票田となる都市がない。それゆえに大村氏が票差で大きくリードを広げることはできなかった。
一方、鈴木氏は東部・伊豆で後塵を拝したものの、新知事になったら東部・伊豆専任担当の副知事を置くという公約を掲げていた。
副知事人事は議会の承認を得なければならないため、すぐに実現できるものではない。取り急ぎ、東部・伊豆担当戦略監という専任のポストを新設するとしていた。
また、鈴木氏は東部の振興策として医大もしくは医学部の誘致を打ち出していた。しかし、医大もしくは医学部の誘致は当選直後にトーンダウンしている。
静岡市(中部)や浜松市(西部)と比べると、東部・伊豆は人口減少・少子高齢化の度合いが段違いで、産業も目立つものが少ない。そうした背景から、衰退傾向を心配する声が大きい。
新幹線通勤する「静岡都民」たち
そうした衰退の危機感を強める東部・伊豆だが、東京から近いことをウリにしてまちづくりに成功している自治体も一部にはある。その1つが熱海市だ。
企業や役職によっても通勤手当の支給額は異なるが、政府は段階的に通勤手当の非課税枠を拡大させてきた。そうした通勤環境が整えられていったことで、静岡県の熱海駅・三島駅から新幹線を利用して東京・横浜方面へと通勤する人も珍しくなくなった。
こうした「静岡都民」が増えるとともに、最近は行政が旗を振って移住者の呼び込みを強化している。
熱海市は高度経済成長期から新婚旅行・社員旅行のメッカとしてにぎわってきた。バブル期に海外旅行がブームになると一時的に観光地としての勢いを失う。それでも、団塊の世代が定年を迎える2007年前後からは再び人気を取り戻していく。
熱海人気の再興は「安・近・短」と呼ばれる旅行トレンドを反映したものだが、それらに触発されて自分の店を出したいという若者の移住も増加した。
その背景には、熱海の観光地は一時的に荒廃が進んで駅前に空き店舗が目立っていたことがある。こうした空き店舗を20代30代の若者へと貸し、新しい飲食店や雑貨店がオープン。これらの新しい店が、熱海の再生に大きく寄与していることも指摘しておきたい。
東京から近い熱海は、コロナ禍でリモートワークが推奨された時期にも注目された。コロナ禍が収束した昨今は都心回帰の動きも出ており、コロナで移住してきた層の定住化が今後の課題になるだろう。
注目集める「長泉町」
熱海のような潜在力・ブランド力がある自治体は少ない。そのため、熱海は参考にならないと受け止める人もいるだろう。
しかし、ブランド力や潜在力を持たない長泉町も伸びている・勢いのある自治体として県内外から一目置かれる存在になっている。
長泉町は沼津市の北に位置する自治体で、子育て支援を充実させることで移住者を増やした。
具体的には、「中学3年生まで医療費が無料」「町立の幼稚園や小中学校にはエアコンを完備し、快適な学習環境の創出」「小学校1、2年生を対象にした生活支援員の配置」などの支援策を打ち出している。
こうした子育て支援策にくわえ、長泉町は新幹線停車駅の三島駅から近いことをアピールし、東京圏に通勤するサラリーマン世帯を取り込む。
また、昨今は「ラブライブ!サンシャイン!!」の舞台となった沼津・伊豆に聖地巡礼者が訪れるようになり、2024年4月には「キン肉マンミュージアムin沼津」が開業するなど、東部・伊豆でアニメ・マンガをフックにした来街者の呼び込みといった施策も見られる。
沼津・伊豆におけるアニメ・マンガによる地域活性化の取り組みは、まだ始まったばかりなので物足りない印象もあるが、それだけに伸び代は大きく残っている。リニア問題ばかりがクローズアップされる静岡県だが、新知事が東部・伊豆をどのように振興するのか? といった今後の成り行きに注目が集まる。
(小川裕夫)
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