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私は家賃保証会社の元・管理(回収)担当者。十数年間働いて今年(2024年)、辞めた。

これを書いているのは2024年5月。地域によってものすごく差があるのだけど、外国人留学生が住んでいた部屋の残置物撤去が特に増える月である。

来日・入学後すぐに学校に通わなくなる人もそれなりにいる。そういう人まで「留学生」と括るのはもしかしたら違うのかもしれない。時期に関係なく失踪する人もいる。が、やはり「留学生」の延滞客で1番多いのは卒業シーズンの3月末あたりで部屋を放置して消えてしまうパターンだ。

3月末(場合によれば2月末)から家賃の延滞が発生し、連絡は取れず、日本にいるのかも不明。延滞は解消しないまま5月に入り、室内を確認する。どうやら誰もいないらしいことを確認し、家財道具を撤去。部屋の明渡が完了する――。そんなタイムスケジュールになることがとても多い。

昨年、2023年5月にもたくさんの部屋の撤去作業を行った。これを読んでいる方の中には、外国人留学生が多いエリアの物件をお持ちの家主さんもいるのかもしれない。

今回は、そんな特徴のあるエリアで起こった話だ。

専門学校でのある「講義」

X専門学校は、政令指定都市であるA市に現在も存在している。後に私がこのA市のエリアを担当することになるのだが、2016年、前任である私の同僚が、その学校で「講義」を行った。世にも珍しい、外国人専門学生向けの「家賃延滞はしないでね講座」だ。

A市で生まれ育ったその同僚にとって、X専門学校は馴染みのある学校だった。彼の友人・知人の何人もがこの学校を卒業している。もっとも、「講義」をした2016年時点で、彼は40歳を過ぎていた。だから、彼の友人・知人がそこで学んでいたのはさらに20年ほど遡った時期なのだけど。

その当時、X専門学校はすでに生徒の8割以上を外国人、それもいわゆる発展途上国の出身者が占めていた。外国人しか在籍していない学科も存在した。

X専門学校の教師は、月の数日はアジアに出張していた。生徒を集めるためだ。

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同僚の話によると、X専門学校に在籍する、アジア圏からの留学生たちの多くに問題があった。あまりにも多数の家賃延滞が発生していたのだ。

彼らのうちのそれなりの数が学校に来ず、学費も未払いで除籍、または失踪していた。学校に通っていたとしても、入居直後からの延滞発生が目立ち過ぎていた。

来日する前に保証委託契約を締結することもあった。その場合は、母国の電話番号が申込書に書かれている。そんな番号が管理(回収)の役に立つことはほぼないのだが。

仮に日本の電話番号が書いてあっても、延滞発生時──入居から1カ月半程度だ──にはすでに使用されていなかったり、まったく違う外国人が電話に出たりするなどザラだ。

こんなの、審査を通す方もどうかしていると思うが、それでも契約するのが家賃保証会社(の一部。全てではない)でもある。

決して裕福とは言えない外国人が相手だ。延滞多発はある程度、やむを得ない。それは保証会社側もわかっていて、その上で審査を通している。

だが、そもそもの家賃の支払方法やサイクルを、彼ら外国人が理解できていない点は問題だった。

これは家賃保証会社の営業面での問題でもあるし、賃貸借契約締結後、後は野となれ山となれ、延滞が発生しても家賃保証会社がなんとかするさ、と言わんばかりの不動産会社にも責任はある。少なくとも管理(回収)担当者の責任ではない。

しかしそれでも、回収数字の悪化はすべて管理(回収)担当者の力量不足と断じられてしまう。意味不明なロジックだ。だが、この仕事はそういうものらしい。少なくとも私が消費者金融と家賃保証会社で20数年経験した限りでは、そうだ。

外国人留学生の家賃延滞問題、その根本的な解決法は、1つを除いて存在しない。その1つとは「保証契約を受けないこと」だ。しかし、末端の管理(回収)担当者にその選択肢はない。

冒頭の同僚に話を戻す。だから彼は、専門学校の職員に管理(回収)へ協力をしてもらいやすくしたいと考えた。

そのために学校職員に話を付けて実施したのが、たぶん日本のどこの専門学校でも行っていない(と思う)、家賃保証会社の現役管理(回収)担当者による「家賃延滞はしないでね講座」だった。

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教室には20数人の生徒が集められていた。現在進行形で延滞中の者、延滞を解消したばかりの者。国籍はベトナムが1番多かった。スリランカ人やネパール人もいた。中国人も。

強調しておくが、私に外国人への差別感情は一切ない。特に東南アジア・南アジアの人々に関しては、日本人より好きなくらいである。

話を戻そう。

契約してから半年以上、延滞が発生していない人間は「講義」の対象から除外していた。反面、契約してすぐの人間にも声はかけてもらっている。が、全員を集めることはできなかった。何せ学校に来ていない人間も多い。学校ですら連絡が取れないのだ。

かような経緯があり、その数年後にA市担当となった私は、その専門学校関連の延滞客の件ではかなり楽をさせてもらった。職員と話しやすいからだ。

ゴミだらけの通路、真っ黒になった水回り

エレベーターのない5階建てのマンション。屋根のない青く塗られた鉄製の階段。段の隙間は空いていて、登る間にも水滴が私の傘を叩いた。

3階の踊り場に置かれたゴミ袋を避けてさらに登る。傘を叩く水滴には、そのゴミ袋から漏れ出た液体も混じっていた。

なんで踊り場にゴミ袋を放置する?

各階の通路には洗濯機が並ぶ。通路の真ん中にもゴミ袋や電子レンジ。タンスも放置されている。まっすぐ歩くのも困難だ。

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言葉を選ばねばならないが、いわゆる「途上国」出身者が多く住む物件ではこのような状況になることが多い。もちろん賃料は安いが、普通の日本人の感覚だと住みにくいはずだ。

401号室の前に立つ。金具に貼ったテープは剥がれていない。

家賃保証会社の管理(回収)担当者(だけではないが)はしばしば、対象者の部屋のドアの蝶番にテープを貼る。ドアの開閉を確認したいからだ。剥がれていたり捻れたりしていればそれがわかる。

念のために貼っていただけで、契約者――24歳のネパール人女性Cはすでに帰国している、はずだ。

彼女は毎月延滞していたが、これまで2カ月分溜めることはなかった。しかし今回は違う。

2カ月前に1度だけ、電話で話した。スーパーの惣菜売り場で働いていたがクビになった、家賃が払えないと彼女は言った。住みたければ家賃は支払うしかない。そう、短く伝えた。

友達にカネを借りると彼女は答えたが、結局支払はなく連絡も取れなくなった。その後、SMS(SNSではない。念のため)が届いた。

「仕事がないのでネパールに帰ります」

そのメッセージが届いてから、部屋のドアの開閉がなくなった。すでに室内は確認済み。施錠はされていなかった。靴箱の上にカギが置いてあった。衣類はなかった。

バッグからカギを取り出すと同時にスマホが鳴った。

「着きました」

撤去業者のEの声だ。

「いま部屋にいます。401号室です。本日はよろしくお願いします」

ドアを開けながら、言葉を続ける。401号室の物量は当然、すでに説明している。撤去作業の終了時刻の目算を尋ねた。

今日は他の部屋も片付けねばならない。スリランカ人が住んでいた部屋だ。家賃保証会社なんてものが外国にあるのかは知らないが、お客様は多国籍だ。

差別的と言われれば「経験的に真実だから」としか返しようがないのだが、あまり所得の高くない国から来た延滞客が住んでいた部屋は、一体どうやったらこれほどに汚せるのか? というレベルであることも多い。

風呂・トイレは真っ黒。土足で生活していたのではないか? と思えるフローリング。そういう部屋を私は見飽きている。

(ちなみにある大家さんは「部屋がそういうふうになることも織り込み済みで賃貸経営しているので、それほど困らない」と言っていた。私は賃貸経営は全然わからないので素直に「すごい」と思った)

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部屋の最奥まで進み、ガラス戸を開けた。401号室にはベランダと呼べるものはない。横開きのガラス戸を開けると、窓枠下から湾曲した鉄柵が中ほどまで延びている。30センチほど向かい側には隣のマンションの壁。

うまいものでCは、鉄柵にプラスチックの棒を括り付け、簡易な物干し場を作っていた。

しかし所詮はDIY。物干し竿を固定するつっかえ棒が、隣のマンションの壁を使っている。紐をグルグル巻きにして棒と棒が固定されている。手では解けそうにない。

私はキッチン――1口コンロと小さなシンクがあるだけだが―─まで戻る。コンロ下の扉を開けると包丁が1本あった。握って、胸の高さまでなんとなく上げる。

「わ。何してるんですか?」

ドアの開く耳障りな音に続いて、Eの声が届いた。

「物干し竿を勝手に取りつけてるんで、外そうと思って」

玄関に立つEへ視線を移した。50代だが、体を動かしているからか、気持ちがそうさせるのか、かなり若く見える。髪も真っ黒だ。

Eの後ろには作業員が1人見えた。

「そんなの任せてくれればいいのに……」とE。

体をずらして彼らを通過させる。

「じゃあ、始めますね」

入居者であるCの部屋の家電は家主が設置していたもの。だから搬出する物自体は少ない。Cのものといえば、どうやって運び込んだかわからない大きなベッドとマットレス、机、細々したぬいぐるみなどの小物やたくさんのゴミ。その程度。

壁には洋服の寸法の描かれた紙が何枚も貼られていた。

机の下にはキレイなリボンや布が何枚も重ねてある。Cは洋裁を勉強する学科だったのだろうか? だとしたら、わざわざ日本にやってきて勉強せねばならないことなのか? 他に目的があったのだろうか? 私にはわからない。