前回は、私の日本法人とアメリカ法人について、書きました。

今回は、まず初めにその経営の中で、私の人生にも大きく影響を与えた方との出会いについて書きたいと思います。

ある投資家との出会い

アメリカでのビジネスセットアップに始まり、私の活動に大きく影響を与えてくれたのが、ある方との出会いでした。
彼の名前は仮に、Mさんとしましょう。

Mさんは、不動産投資に強く興味を持ち、いろいろと勉強し、チャレンジしてきたのですが、2年間も購入に至るジャッジができなかったそうです。

そんななか、不動産投資のアドバイザーを探していたMさんが、私の、このコラムに辿り着いたのでした。

今になって、Mさんに、なぜ私だったのかを尋ねると、
「コラムを読んで面白かった。いい意味で変わった人だと思った。それに、その他の投資家と比べても、松村さんのように10億円っていう規模の人はいなく、ダントツに大きかったから」と答えます。

あるとき、彼が建物を見て、
「松村さんは、この建物は大丈夫だと思いますか? 私、いつもわからないんです」と。
(私は覚えていないですが、Mさんはその後、このエピソードをよく話すのです)

そこで私は間髪入れずに、こう答えたらしいのです。
「え、そんなの見ても分かりませんよ」と。

「建物は、出来てしまったら中の鉄筋は見えないんだから、そんなの見て分かるわけがない。
考えても無駄ですよ。
それよりも、どこの建設会社が施工したのか、その会社は健在か。何年に作られたのか。耐震基準に当てはまっているのかなど、具体的なデータを読み取るしかない」
というようなことを私が答えたらしいのですね。

実は、それまでに接してきた不動産ブローカーや銀行マンは、Mさんがこのような質問をすると、誰もが曖昧な回答をしていたらしいのです。
でも、私は「建物が大丈夫かどうかは、見ても分からない」と断言した。

一級建築士でプロの松村さんが見ても分からない――。
それで初めて、Mさんは不動産投資に関するジャッジができたと言うのです。

その頃、Mさんは自分の会社を売却するべきかどうか、かなり悩んでいるようでした。
Mさんとは同世代でもある私はこう答えていました。

「事業家は素晴らしいが、企業経営のリスクは大きい。売れるときに売って、そのキャッシュを梃子に投資家として楽しむ人生もいいと思う。少なくとも、私だったらそうする」と。

その後、私のこの言葉が彼を後押ししたのかはわかりませんが、Mさんは、私が3年掛かって投資した不動産と近い規模で、利回りの魅力的な1棟の不動産購入に成功し、会社も売却しました。

一口に1棟の不動産といいますが、それだけの融資を個人につけるのは大変な事です。
銀行の融資担当者はもう半分ケンカでしたよ(笑)。

それでも融資をつけて、購入する判断をしたMさんは、本当に凄い方でした。
なぜ、凄いかと言うと、実はこの時、不動産の購入と会社の売却が同じタイミングだったのです。
不動産購入と会社の売却と言うスリル満点の日々を一緒に過ごした訳です。
正直言いまして、流石の私も眠れませんでした。

私は、どんなに良い物件であっても「買った方が良い」とは決して言いません。
その代わりに判断する為の材料を説明し、買うか買わないかのジャッジを迫ります。
大きな決断を一瞬で行わなければならない状況で判断を迫られる訳ですから、相当な精神力が無いと、この壁は越えられません。それを彼は遣って退けたのです。

そして、事業家から投資家として、人生の再スタートを切ったMさんも、私の影響か、アメリカの不動産投資に興味を持ち始めました。
私は過去のコラムにも書いていますが、「ヨーロッパとアメリカと日本にリスクを分散したい」と思っており、Mさんも「アメリカに行きたい」と言い始めた。
実は、彼もアメリカ上陸の夢を持っていたのです。

若くして上場企業のオーナーまで務めた人物ですから、経営者としての感覚も鋭く、理論的に判断するし、その判断力の高さは、ずば抜けていました。
これだと思ってからのスピードは速かったですね。
現在では既に3棟の物件をアメリカに所有されています。

そして、私のアメリカ進出も、それと並行して加速していきました。