近代建築の三大巨匠と言われる、ル・コルビュジェが手がけた「サヴォア邸」(PHOTO:guen-k/PIXTA)

今回は、建築における「デザインの敗北」というものについて考えてみたいと思います。

「敗北!? デザインで『負ける』ってどーゆーこと?」とお思いの方もいるかもしれません。具体例を挙げてみましょう。

デザインの敗北という言葉が知られるきっかけになったのは、某コンビニチェーンに置かれているコーヒーマシンだと思います。

有名なデザイナーがデザインしたものですが、ボタン操作がわかりにくかったのか、店員さんが手書きの案内文をデカデカと貼り、元のデザインが見えなくなってしまった…このような現象のことです。この画像はSNSでバズっていたので、見たことがある人も多いのではないでしょうか(ご存じない方は検索してみてください)。

つまり、「デザインというものは、見た目を優先するばかりで使い勝手を悪くしているのではないか?」このような批判が、「デザインの敗北」という言葉の意味でしょう。

デザイナーとは何者なのか?

デザイナーと聞くと、多くの方は「見た目を整えてカッコよくし、付加価値をつける人」というようなイメージを持っているかもしれません。確かに間違ってはいないのでしょうが、ちょっと言葉が足りないのかな、とも思います。

では、デザイナーとは一体何なのでしょうか? 手始めに広辞苑で「デザイン」を調べてみると、このように書かれています。

1.下絵。素描。図案。
2.意匠計画。製品の材質・機能および美的造形性などの諸要素と、技術・生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画。「建築―」「衣服を―する」

(岩波書店『広辞苑』)

さらにウィキペディアにはこのように書かれています。

デザイン(英語: design、中: 設計)は目的設定・計画策定・仕様表現からなる一連のプロセスである。すなわち人・ユーザー・社会にとって価値ある目的を見出し、それを達成できるモノゴトを計画し、他者が理解できる仕様として表現する、この一連の行為をデザインという。

これらも踏まえて私なりにまとめさせてもらうと、デザインとは、「問題や要求を解決するために、さまざまな媒介(メディア)を使って表現する行為」なのではないかと思います。

グラフィックデザイナーであれば主に平面で、服飾デザイナーであれば服で、建築家であれば空間で、何らかの問題や要求を解決していくのがデザインである、というわけです。

色や形などの表面的なフォルムを追求する「美的造形性」という側面も否定はしませんが、本質的には、使いづらいことやわかりにくいこと、新しいものをさまざまな方法で解決していこう、という考え方がデザインの本質なのです。

私たち建築家は、「仕上げ材のクロスや床材の色を決めてかっこよくしている人、装飾をしている人」だと思われがちですが、本来はそうではありません。

建築基準法などの法規はもちろん、構造や設備などをうまくまとめつつ、合理的で機能的、さらに美的に建築を作り上げ、新たな住まい方などを提案する―。これこそが、建築家の本来あるべき姿だと思うのです。

デザイナーズ住宅は住みづらい?

さて、ここで表題に戻り、建築における「デザインの敗北」について考えてみましょう。

よく「デザイナーズ住宅は、見た目はいいけど住みづらい」などと言われます。人によって違うと思いますが、私がこれまでに見聞きした限りでは、デザイナーズ住宅への不満は具体的には以下のようなものに分類されると思います。


1.「ガラス張り」で落ち着かない
2.「断熱性能」が低い
3.「個室」が少なくて使いづらい
4.すぐ汚れるし「掃除」がしづらい
5.「価格」が高い


建築設計でご飯を食べている私としては、これらについてきちんと説明(反論!?)したいと思います。

…と、その前に「建築家」とか「デザイナーズ住宅」という言葉の定義を確認しておきましょう。

まず、「建築家」ですが、似た言葉として「建築士」「建築デザイナー」などの肩書きがあります。基本的には「建築士」は有資格者、つまり国家資格である一級建築士などの資格を有した者だけが名乗れるものです。

しかし「建築家」とか「建築デザイナー」は誰でも名乗ることが可能です。つまり、「デザイナーズ住宅」は結局のところ、どういった人が設計したのかよくわからないのです。特に資格がなくても「建築デザイナー」や「建築家」を名乗ることはできるためです。

PHOTO:MediaFOTO/PIXTA

実際、世の中の建物を設計している人がすべて有資格者かというと、そうではありません。例えばハウスメーカー(HM)では、営業担当がクライアントと直接話して、間取りや仕様などのデザインをほぼ決めてしまうことはザラです。

どちらかというと有資格者としての建築士は「建築確認申請」という、法律に沿っているかを確認するための図面を作成する人になってしまっている現状があります(この業務は有資格者でなければできません)。

実際、工務店や大手HMであっても、確認申請用の図面だけを小さな設計事務所に外注し、有資格者の建築士がデザインにはほとんど関わらないという事例は多く見られます。

誰がデザインを決めていようが、販売する営業サイドが「デザイナーズっぽい」と感じればそれはすぐに「デザイナーズ住宅」となってしまい、実際その中身をみてみると本当にピンキリです。

このような事情から、十把一絡げに「デザイナーズ住宅」と括ることはできません。本稿では、個人名などを掲げて事務所を構え、Webサイト等で作例を公開しているような人達=建築家(私もそうですが)がつくる建築について書いてみたいと思います。

1.「ガラス」が多すぎる問題

確かに、建築家の住宅はガラスの比率が高い傾向にあると思います。

外周部を壁ではなく窓にすると、外壁材をカットする手間が増えますし、その材料を捨てる廃棄コストもかかります。アルミサッシなどの金額も加算されますし、壁の面積が減る=断熱性も劣ることなってしまいます。

ハウスメーカーに就職した新人の建築士が「窓が多い方が良いだろう」と思って設計すると、上司から「こんなに窓を多くしたら金額上がるだろ! 窓は少ない方がいいんだよ!」と詰められる、という話を聞いたことがあります。

米国の著名建築家、フィリップ・ジョンソンが自邸として建てた「ガラスの家」(クリストファー・ピーターソン/ウィキメディア・コモンズ)

それでもなお、建築家がガラスにこだわるのはなぜでしょうか?

まず、壁ではなく窓にすれば外が見え、光が入ります。窓を開ければ風が入り、外との接点が生まれます。ここに、大きな価値があると、建築家は考えているのです。

四季を持ち、自然環境が豊かな日本では、(もちろん場所によりますが)室内と外部をそこまできっちりと隔離する必要がない場合もあります。「雨や雪が降り、小鳥がさえずり、草木が紅葉し落ち葉が落ちる」そんな小さな日常の機微に心を動かすことは豊かさにつながる、というふうに価値を置いているのです。

窓は必要に応じて、カーテンなどで閉じたりすることはできますが、壁にしてしまったらそこから外部からの光や風を取り入れることはできません。

大きな開口を設けて眺望を取り入れた事例(設計:TKO-M.architects 写真:多田ユウコ)

もちろん、それがいきすぎて全面ガラス張り、しかもシングルガラスで結露しまくる…などとなってしまえば、窓を塞いで壁をつくる、というような本末転倒なことになってしまい、これはまさに「デザインの敗北」といえるでしょう。

建築家が「単に目立つからガラス張りにした」となるともはや擁護すべき点はありません。きちんとなぜそうするのかを設計者とクライアントは共有し、意思疎通を図っておくべきでしょう。何ごともバランスです。ただ、ある程度の断熱性・耐震性が確保できるのであれば外との接点が多いのは私は豊かであると思っています。落ち葉が落ちる瞬間で心が動く人でありたいのです。

2.「断熱性能が低い」問題

窓が多すぎるから、断熱材が少ないからそうなのかはわかりませんが、いきすぎたデザインをする建築家の建てた家は「断熱性能が低い」ということは実際にあると思います。

図面では「ペアガラス」(2枚のガラスを重ね、内部の空気層などで断熱性能を高めた窓)にしていたのに、予算オーバーを理由に断熱性能の低い「シングルガラス」に変えたり、「断熱材の厚みを薄くして(=断熱性能を低下させて)」コストを削る、といった例は実際にあるでしょう(来年度からは法律が変わりますからこうしたことはもうできなくなりますが)

このような事例はもちろん、「さすがにひどい!」 と私も思います。ただ、そのように断じる前に考えたいのは、「クライアントがそれを知っているか否かが重要である」ということです。

例えば、「断熱性能を捨ててまで実現したいことがあった」のかもしれません。極端に言えば、設計者とクライアントの間で合意形成ができていれば、それはそれでよいのかなと思います。

例えば景観が優れた別荘地などでは、ガラスが多く開放的であってもよいとも思います。

近代建築の巨匠、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエによる「ファンズワース邸」ではガラスが多用されている(キャロル・M・ハイスミス/ウィキメディア・コモンズ)

建築家の安藤忠雄さんは打放しコンクリートで建物を作り、断熱をせずに室内外をともにコンクリートにしていました。

講演会で観客が「断熱がなくて寒くないんですか?」と聞くと、安藤さんは笑って「その時はね、コートを着ればいいんだよ」と返答しています。

さすがに今はそんなことはしていないと思いますが、昔はコンクリートと鉄とガラスのみでできた建築が清いとされ、そういうこともあって表現としての美しさが重視されていたと思います。

余談ですが、安藤さんにご自宅の設計を依頼されたファッションデザイナーのコシノヒロコさんは「こりゃ寒くてすめない」と引っ越しをし、今ではギャラリーになって一般公開されているという逸話もあります。これがいいのか悪いのかわかりませんが、少なくとも依頼者の同意のもとで行われたのだと思います。

今では断熱・気密性能も数値化されているので、数値で求めている性能を示していけばよいのかもしれませんね。

3.「個室が少なくて使いづらい」問題

建築家は一般的に、細かく区切られた個室を嫌い、ひとつながりになった広い空間を好む傾向にあると思います。

地方などによく見られる伝統的な日本家屋のように、襖だらけで細かく仕切られた家に慣れていれば、ひとつながりの家でも違和感なく住みこなすかもしれません。ただ、都心のマンションなどに長くお住まいの方は、閉じられた個室がないと不安を覚えることでしょう。

しかし現在、一般的なマンションのほとんどに採用されている3LDKの間取りが、すべての人の生活に最も適している、ということは絶対にないと思うのです。

あえて個室を設けず、ひとつながりの空間とした事例(設計:TKO-M.architects 写真:多田ユウコ)

衣服や装飾品、家具などの好みが人によって違うのと同じで、その最適な住空間も異なるはずです。ただ、日本(特に都市部の集合住宅)の間取りは似たようなものが多いため、「そうした間取りしか知らない」人も多いでしょう。だから、多くの人が「一般的な3LDKが最も良い」と思い込んでしまっているのかもしれません。

そこで、提案です。ぜひ一度、建築家が設計したホテルや住宅に泊まってみてほしいのです。

ガラス張りのワンルームなどいつもと違う空間に滞在しているうちに、「こんな住み方もあったのか!」と、新しい体験に驚きつつも共感できる部分がきっとあるはずです。

そして、もっと細かいところに目を向けると、また違った発見が生まれると思います。内装の仕上げ材はもちろん、ドアの取手やスイッチ、手摺、扉まで、非常に細かいところにまで工夫され、フルオーダーで作られたものがたくさんあることに気がつくことでしょう。

マルセイユにあるル・コルビュジェ設計の「ユニテ・ダビシオン」はもともと集合住宅だが、部屋の一部が宿泊施設として開放されている(PHOTO:reinenice / PIXTA)

そうすると、ハウスメーカーの建売住宅の場合、選択できる範囲があまり多くないかも? ということにも気がつくはずです。

もしあなたが15万円の冷蔵庫を購入するのに何日も調べてから購入するのであれば、3000万する住宅はその200倍の時間をかけて吟味してもいいのではないでしょうか。

もちろん、一般的なマンションや建売の住宅を否定するわけではありません。ただ、「実はいろいろな選択肢がある」ということを、一度意識してみてほしいのです。

本来、住まいはもっと多様であってもいいのでは、と私は思います。「住みづらそう」と決めつけてしまう前に、そういうことをぜひ考えてみていただけたら嬉しいです。