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東京都葛飾区の南北を結ぶJR東日本の貨物線「新金線」。この路線に旅客列車を走らせる構想がある。

実現すれば、区内の南北方向移動が便利になるだけでなく、沿線地域の活性化も見込まれる。期待を寄せる地域住民も多いだろう。

長年検討されてきた新金線旅客化だが、いまだに開業年度の目処は立っていない。計画を阻むのは、ただ1カ所の「踏切」だ。筆者は国と葛飾区とで「政治的解決」が必要だと考えている。

そもそも新金線はなぜ旅客化することになったのか。なかなか工事着手とならない背景にはどんな事情があるのか。改めて経緯をまとめてみた。

貨物支線を旅客列車が走る?

「新金線」は、新小岩駅と金町駅を結ぶ、総武本線の貨物支線だ。そのルーツは総武本線の起点が両国駅だったころに遡る。

当時、総武本線の貨物列車も両国駅が終点だった。貨物はここで隅田川の船や荷車などに積み替えられていた。1923年に関東大震災が起きると、復興用資材の需要も重なって貨物の取扱量が増加。両国駅の積み替えは手間がかかるし、大量輸送に向かなかった。

そこで1926年、先に都心に通じていた常磐線へ迂回させるため、約7.1キロの新金線が建設された。

葛飾区(赤線)の鉄道路線(地理院地図を筆者加工)

開業から約100年、長らく貨物線として活躍してきた新金線だが、現在、貨物列車の運行は継続しつつ、旅客列車の走行も可能にするべく検討が進んでいる。葛飾区が公表する資料を見ると、LRT(次世代型路面電車)の導入も検討されているようだ。

旅客化が実現した場合、運行本数は84往復、朝夕ラッシュ時は10分間隔、その他の時間帯は15分間隔を想定している。

運行区間(新小岩~金町間)に開業する駅の数は7駅案と10駅案の2つとなっており、所要時間は約11~17分となる。現在の計画では、上り下りの列車が同じ線路を共用すること(単線)を想定しているため、10駅案は行き違い回数が増えて、所要時間が長くなるのだ。

運賃体系はJR東日本の地方交通線の水準を用いるとし、初乗り3キロまで147円、全区間7.1キロで210円を予定している。

運行ダイヤの検討など、計画がだんだん具体性を帯びてきているものの、いまだ開業年度の目途が立っていない。工事着手となるには、まだ時間がかかりそうだ。

南北方向の鉄道網が不足

新金線の旅客化はどのような経緯から持ち上がったのだろうか。

かつて葛飾区は、水運や地下水に恵まれた工業地域だった。ところが、関東大震災や第2次世界対戦を経て、宅地と町工場を大きく増やした。震災や戦争の被害が比較的小さく、多くの人が移り住んできたからだ。

その後、工場の宅地化が進み、工場の近くに働き手が住むという環境から、都心に通う人が住むベッドタウンに変わった。新金線沿線にも高層マンションが次々に建設されている。

都心へ通勤する人が増えると、鉄道を利用したい人も増えていく。京成電鉄だけでなく、国鉄(現・JR)もだ。しかし、京成電鉄金町線沿線以外に、区の南北端の国鉄駅にたどり着く鉄道路線はない。

戦災被害が少なかったこともあって区画整理が行われず、細い道が網の目のように広がっている。大型路線バスが通行できる道路も少ない。新金線沿線の宅地は特に大通りが少なかった。

京成金町線・柴又駅付近(PHOTO:northsan / PIXTA)

そこで、住民たちから「既存の新金線に旅客列車を運行してほしい」という要望が高まった。

もっとも古い記録では1953年の国会質疑で触れられている。当時は国鉄だったから、鉄道の施策も国会の承認が必要だった。地元選出の衆議院議員が「旅客化すべき」と要望を示すと、当時の吉田茂首相は「現在の国鉄予算では整備費用を出せない」と却下した。

当時は貨物列車の往来が多く、旅客列車を走らせるためには複線化する必要があった。ちなみに、この国会の議長は堤康次郎だ。現在の西武鉄道の基礎を作り、公職復帰したばかりだった。

1970年代になると貨物列車は激減する。1973年のオイルショックで貨物取扱量が減り、1975年には国鉄のストライキで8日間貨物列車が運休するなど、荷主の信頼を失い、輸送手段はトラック輸送に移っていった。

さらに、1973年までの高度経済成長で通勤電車が大混雑したため、国鉄は都心の旅客列車を増やした。貨物列車の都心通過を防ぐため、1978年に武蔵野線を開通させて、貨物列車を迂回させた。結果的に新金線の貨物列車は激減した。

10駅案になるか7駅案になるか

これなら旅客列車を運行できるかもしれない。葛飾区議会は1983年に「新金貨物線の旅客化に関する意見書」を全会一致で採択した。

当初は全線複線化、水戸街道(国道6号線)の踏切は高架区間として踏切を解消、事業費約930億円となる計画だった。葛飾区単独の事業では厳しい。費用の問題が大きかったのか、ここから10年近く動きはなかった。

1990年代になって、欧州でLRT路線向けに超低床電車(LRV)が開発され、1995年には熊本市交通局が採用を決定した。

葛飾区もLRTおよびLRVの検討を開始し、「全区間複線高架」「中間に6駅」で総事業費636億円という調査報告書をまとめた。とても大きな金額のため長期構想路線とし、国や都に支援を要請する活動に留まった。

2015年に沿線住民のボランティア団体「新金線いいね! 区民の会」が結成され、沿線ウォーキング、沿線クリーン活動などのイベントで新金線旅客化を啓蒙し始めた。区に対しては実現の要望を出すだけでなく、独自の調査結果を提示。会員には鉄軌道の専門分野で働く人もいて、専門知識を持ち寄った形だ。

こうした流れもあって、葛飾区は2017年度予算から調査費用を計上、新金線旅客化計画は再始動した。

2018年度に公開された検討資料には、駅の位置について10駅案と7駅案が記載されている。この時点では、概算事業費は200億~250億円規模になると見込まれていた。

出典:葛飾区「新金貨物線旅客化の検討資料」(2018年度)

2019年度の資料では水戸街道(国道6号線)の新宿(にいじゅく)新道踏切の高架化、2020年度の資料では新宿踏切の平面交差の運用と段階的整備の検討などについて記載されている。

2021年度の資料では、事業主体・事業スキームについても触れられている。現在は第3セクターが運行主体となるスキームが有力だ。新宿新道踏切の平面交差時の運行ダイヤ、および遅延が発生した場合の影響なども検討が進んでいる。

2023年4月には、区が新金線旅客化の担当課長を任命した。旅客化実現に向けて、関係機関との協議など、さまざまな取り組みが行われているところだ。

最大の課題は「新宿新道踏切」

新金線旅客化のもっとも大きな課題は、国道6号線の「新宿新道踏切」にある。ここは交通量が多いため、旅客列車が頻繁に通過して踏切をふさいでしまうと渋滞になる。これは避けたい。

例えば、道路と線路を立体交差化して踏切を除却すれば、安全性も高まるし、交通渋滞も減る。

ただ、新宿新道踏切だけ立体交差にはできない。周辺の踏切が線路の勾配区間にかかってしまい、閉鎖または車高制限となるからだ。とはいえ、周辺の踏切をすべて立体交差にすると費用が膨らみすぎる。

さらに重要なことは、すでに国土交通省が「国道6号新宿拡幅事業」に取り組んでいることだ。現在の4車線道路を6車線とし、歩道も整備する。新宿新道踏切は線路を高架として立体交差させる予定だ。

出典:国交省「国道6号新宿拡幅

この都市計画は1946年に決定され、1966年には道路幅員を30メートルから35メートルにする計画変更があった。1970年に東側半分の金町地区が事業化され、1995年に完了。新宿地区は1983年に事業化されたが、用地買収が終わっていない。

出典:国交省「国道6号新宿拡幅

この計画を無視して新金線を高架化することはできない。葛飾区の資料にある「段階的整備案」は、新宿に仮駅を作って南側を先行開業する予定となっている。これは「国道6号新宿拡幅事業」の目途が立つまで、という意味だ。

「国道6号新宿拡幅事業」がいつ終わるか、終わる見通しが立たなければ、先行して新宿新道踏切部分に着手してもらうように、葛飾区と国土交通省間で調整が必要だ。葛飾区も用地買収に協力する必要もあるだろう。

新金線旅客化の実現に向けて

新金線旅客化に向けた次のステップは、「期成同盟会」の設立だ。町会や商工会議所、沿線企業を巻き込んで、官民一体となって実現の意思を示す。

その次は、国交省・交通政策審議会の「東京圏における今後の都市鉄道のあり方に関する小委員会」の答申に記載されること。ここで初めて、国や都に新路線計画の重要性が認知される。

最新版の答申198号は2016年にまとめられた。各鉄道プロジェクトの目標年次は2030年ごろとなっているものが多い。次の答申は2030年までにまとめられると思われる。

答申に記載されるか否かで、交渉の重みが違う。記載されれば、国交省に新宿拡幅工事との調整を要請しやすくなるはずだ。まずは答申の掲載を目指して、葛飾区がリーダーシップを発揮してほしい。

(杉山淳一)