新NISAのスタートから8カ月余り。歴史的な株価急落を記録した「令和版ブラックマンデー」により、「貯蓄から投資」に向かった個人資産が少なからずダメージを受けた。
「デフレ脱却」や「賃上げ」といった好景気を予感させる言葉が飛び交うが、日本の経済成長や将来の暮らしに対する不透明感は払しょくされないままだ。
そんな中、個人はどのように資産形成に向き合うべきか―。自ら不動産投資にも取り組む、大和証券チーフエコノミストの末廣徹氏に話を聞いた。
末廣徹(すえひろ・とおる)
大和証券チーフエコノミスト。エクイティ調査部所属。マクロ経済指標の計量分析や市場分析、将来予測に関する定量分析に強み。
投資は本当に必要か?
―まずは、私たち個人にとって「投資は本当に必要なのか?」という最もシンプルな問いから始めたいと思います
私の立場からは、もちろん答えは「イエス」ですね。その理由の1つは、労働所得だけに依存することはリスクが高いと考えているからです。
例えば、「就職氷河期」という言葉がありますが、生まれたタイミングによって状況が不利または有利になることがどうしても出てきてしまいますよね。投資にも同じことが言えて、株価が下がったころに偶然に投資を始めた人は、うまくいったりもするわけで。
投資にしても労働にしても、良い時期と悪い時期があるので、労働所得とそれ以外の運用による不動産を含めた所得のどちらも一定の収入がある状態が望ましいと思います。
「消費に回っていない」問題、背景に将来不安
―個人の投資熱が高まる一方で、その副作用で消費が抑制されていることを末廣さんは問題視されていますね
今年は新NISAの開始により、多くの人が消費を抑えて投資に回したと言われ、「NISA貧乏」という言葉も生まれました。
今みんなで投資に集中してしまうと、結果的に消費が回らないということで、日本経済自体が停滞し、その結果投資のパフォーマンスが悪化するリスクがあります。
例えば、企業が新しい商品やサービスを開発し、みんなが欲しがるようなものを作りました。しかし、その時に投資のために消費を抑制していると、結局売れずにお金が回らなくなります。
企業からすると、せっかく投資資金を増やして頑張ったのに結果が出ないから、もうやめてしまおうと考えてしまうでしょう。継続的な経済成長には、投資と消費のバランスが重要だと思います。
―実際に消費は落ち込んでいるのでしょうか?
GDPや総務省の家計調査など消費関連の各種統計をみると、日本全体としては消費が弱いことがわかります。
これは円安による物価上昇のため節約せざるを得ないという要因が大きいと思いますが、若い世代を中心に投資のために切り詰めていることも影響しているとみられます。
―現役世代は老後への不安から、今は我慢しても将来のために蓄えを残したいという人が多いように思います
人間はリスク回避的な生き物なので、それは当然の行動ですよね。ただ、将来に対して過度に不安になっている状況はよくないと思います。
年金についても多くの人が不安を感じていて、若い世代ほど「年金には期待しない」と考える傾向があると思いますが、実際にはゼロになることはほぼないでしょう。
一方で、老後の生活費がどれくらい不足しそうかを聞いても多くの人は答えられないでしょう。不確実性が大きいため、過度に不安になっている可能性があります。
将来への不安を軽減するためにも、個人としてはまず老後にどのくらいの生活資金が必要で、またどれくらい投資でリターンを得なければならないのかという着地点のイメージを明確にすることが重要です。
新NISAブームの裏で起きた「合成の誤謬」
―投資に回すお金をただ増やせばよいというわけではないのですね
個人が資産形成を考えるのは大事なことですし、「貯蓄から投資へ」という考え方も方向性としてはよいことです。ただ、新NISA制度がスタートし、一斉に投資マネーが流れ込んだことで、弊害を生んでしまった面もあると思います。
このような現象を、経済用語で「合成の誤謬」といいます。個々の人々は正しい選択をしていると思っていても、全体としては間違った結果を招くことがあるということです。
急激な円安がそのよい例です。海外株のパフォーマンスへの期待や円の価値が相対的に下がることへの不安から、多くの日本人が「S&P500」や「オルカン」などを購入して外貨資産を持とうとした結果、さらに円安が進行し、不安が増すという悪循環が生まれてしまいました。
日経平均の乱高下に関しても、群衆行動によってボラティリティが増幅された可能性が考えられます。このように、投資を行う際は一人一人の行動が全体に影響を与える可能性も考えておく必要があります。
―投資を行うことは、個人の資産形成以外にどのような効果を生むのでしょうか
リスクマネーが増えることは、日本経済全体にもポジティブな影響を与えます。新しいビジネスやスタートアップが生まれ、経済成長につながるためです。
デフレ経済下で日本の経済成長が長らく停滞した背景には、資産を現金で持っていること自体がリスクだという認識が薄れ、結果的にリスクマネーが活発に動かなかったことがあります。企業の成長性を高めるためには、まず人々が積極的に投資を行う環境を整える必要があります。
広がる「世代間格差」への懸念
―消費が抑制されるなどの「投資の副作用」について伺いましたが、アナリストとしてほかにも注視していることはありますか?
現在の投資環境において、私が気にしているのは「世代間格差」の拡大とそれによる「世代間対立」です。
特に不動産市場では、投資が進むほど資産価格が上がりますが、そうすると、後から入ってきた人が「買えない」と感じるようになります。
価格が少しずつ上がっていけば、どこからエントリーした人も利益を得られて健全なマーケットの成長になりますが、急激に上がると「先に買った人はずるい」という不公平感が強くなり、「もうやらない」「暴落を祈る」といった心理を生みます。
これは言い換えれば、みんなが不安に思っている価格上昇という状態で、健全とは言えません。また、急激な価格上昇は後から入ってくる人を躊躇させてしまうので、安定感にも欠けます。
例えば、日銀の利上げに関する世論調査の結果が興味深かったので紹介します。NHKや民放が実施した調査では、利上げを「評価する」と回答した人の割合が半数以上に上りました。
また、日経新聞によると、利上げを「評価する」と回答した人の割合は30代が最も多く、約7割に上ったとのことです。これはおそらく、マンション価格が高騰しすぎたために買えていない人たちの意見が反映されているのではないでしょうか。
利上げは資産価格にはあまり良い話ではありませんが、出遅れてしまったことで価格上昇に対して不満を感じている人が多いということだと思います。
就職氷河期世代を襲う「賃金カーブのフラット化」
―多くの個人にとって収入源の柱である労働所得についても伺います。最近では「賃上げ」という言葉が盛んに言われていますが、賃金上昇のトレンドは続くのでしょうか?
全体としての「賃上げ」は一度強くなればしばらくは続くと思います。
他方、「賃上げ」の影で実は「賃金カーブのフラット化」が進んでいます。「賃金カーブ」とは、勤続年数によって賃金水準がどう変化するかを示すものですが、一定の年代までは賃金が上昇するものの、それ以降は上昇ペースが緩やかになる傾向がみられます。
この要因の1つとして、「「少子化」が挙げられます。若手人材の取り合いが起こり、賃金の上昇を後押ししています。
一方で「デジタル化」の影響もありそうです。今の若い世代は、生まれた時からデジタル機器に囲まれてスマホやパソコンを使いこなし、現代の仕事に求められるスキルとマッチしやすいです。
その結果、50~60代は、相対的に企業が求めるスキルとマッチしなくなり、賃金が減少する傾向があります。
―若い世代は賃上げの恩恵を受けやすい一方で、上の世代は賃金が上がりにくい状況ということですね
ここにも世代間の違いが表れています。特に、最も割を食っているのは現在40代の「就職氷河期世代」と言えます。
この世代は若い時に就職で苦労した上、不運なことに中堅以降の年齢になってからは「賃金カーブのフラット化」に直面しているためです。この結果、入社時に予想していた将来の賃金見通しを下回っている可能性があるのです。
―初任給が上がり、転職をして年収アップを目指す人も増えていますね
ただ、若い世代も将来を楽観してばかりいられない状況です。今は良くても、「賃金カーブのフラット化」がおきているため、将来が安泰とは限らないからです。
年功序列時代のように1つの企業でカーブを上っていくキャリアパスではなく、フリーランスなども含めて、早い段階でスキルを身につけて転職するなど、多様なキャリアパスを模索する時代になりつつあります。
―日本の賃金はほかの先進国に比べて低いと言われますが、今後追いつく可能性はあるのでしょうか?
賃金が低いのは、日本の経済成長率が低いからです。経済が拡大し、世界で競争力のある企業が増えない限り、根本的な解決にはならないと思います。現在の経済政策の議論では、デフレ脱却や賃上げだけが注目されがちですが、それだけでは結局何も変わらないという状況になりかねません。
成長産業への投資に期待
―最後に、個人がどこに投資をすればよいかについて伺います
よく言われるように、個人の視点では投資信託のように幅広く分散して投資するのが基本だと思います。ただし、同時にマクロ的な視点を持ってほしいと思っています。
例えば、多くの人がTOPIX(東証株価指数)などに薄く広く投資すると、今の産業構造にそのままウエイトを置くことになるため、成長しづらい分野にもお金が流れてしまいます。
小さな企業が成長することで経済全体が活性化しますが、TOPIXだけを買っていても、成長産業にはお金が回らないことになります。
―これから成長しそうな分野を意識して投資することがポイントなのですね
日本経済全体が成長していた時代は、多くの人が日本という国の経済に誇りを持っていましたが、今はその感覚が薄れているのではないでしょうか。日本経済よりも世界経済への成長期待の方が高いのも事実です。
しかし、日本というコミュニティへの帰属意識がなくなったわけではないと思います。例えば、大谷翔平選手がホームランを打つと誇らしい気持ちになるのは、その表れと言えるでしょう。
日本人として大谷選手の活躍を喜ばしいと思うのと同じように、日本経済や特定の企業を応援するという意識を持って投資をしてみるのもよいと思います。
不動産投資はこれからもアリか?
―不動産投資については、どのようにお考えですか?
労働所得や有価証券の投資に加えて、不動産という実物資産も分散投資の一環として考えるべきだと思います。
REITなど小口化された商品もありますが、マンションや戸建てを購入して賃貸する形での投資が規模の面では大きく、広がっていく余地が大きいと思います。
これらは個人としては1つのロットが大きいため、手が出しにくいかもしれませんが、これからの時代も不動産をポートフォリオに入れることは良い選択だと思います。私自身も資産運用の一環で、不動産投資を行っています。
(楽待新聞編集部)
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