「人生につまずいてしまった人が逆転を狙える、最後の拠り所ではないか?」―。
不動産鑑定士という職業について、このような議論が最近ネットで話題になったようです。
彼らが抱く不動産鑑定士のイメージは「コミュニケーション能力がない人でも開業して生き延びられる」「営業活動をしなくても勝手に仕事が舞い込んでくる」といったものらしいです。
長年にわたり不動産鑑定士の実務に携わってきた筆者の立場からすると、こういった世間のイメージと実際の不動産鑑定士の業務に乖離が感じられ、あたかも不動産鑑定士の仕事が「楽」であるかのような物言いは心外です。
今回は、世間からみるとベールに包まれた部分も多い不動産鑑定士という職業について、筆者の見解を述べてみたいと思います。
不動産鑑定は「コミュ障」でもできる仕事か?
不動産鑑定士という職業は、他者とのコミュニケーションが苦手な人、いわゆる「コミュ障」の人に向いている仕事かと聞かれたら、筆者は「そうではない」と答えます。
そもそも、どんな仕事も「人に求められて」こそ成立するものであって、多かれ少なかれ人との意思疎通は必要です。「人付き合いが下手」であっても「人と付き合わずにできる」というのは「その仕事に従事する人に対して失礼」というものです。
不動産鑑定業について申し上げると、決して人付き合いが不要という職業ではありません。むしろ積極的な人付き合いが必要と言ってもよいでしょう。
よく言われる、「公示地価調査などの公的な案件であれば、黙っていても…」というのは妄想でしかありません。そもそも、公的な案件は「その不動産鑑定士1人だけで出来る仕事」ではないのです。
まず、公的な鑑定評価の最もスタンダードな業務というべき公示価格の鑑定評価について説明しておきます。
公示価格の鑑定評価を行う鑑定評価員になるには、一定の実績が必要です。何の実績もない不動産鑑定士を、国土交通省が評価員に委嘱することはありません。
その一定の実績を上げるためには当然、不動産鑑定事務所に所属して一定の実績を上げないといけないでしょう。その過程において、お客様との対応もあれば、他の不動産鑑定士に意見を聞いたり、場合によっては教えを乞うたりすることもあるでしょう。
地価公示制度を運用するための組織として、「分科会」というものがあります。全国に100以上の分科会が存在し、ベテランの不動産鑑定士が多く所属しています。
分科会にもよりますが、少ない分科会でも10人弱、多い分科会であれば20人以上もおられ、その方たちとの共同作業で公示価格は決定されていきます。
そこには協調性や阿吽(あうん)の呼吸が必要です。分科会にもよるでしょうが、人となりを知るためにある程度の頻度で分科会の飲み会も開催されます。
これでどうやって、「人付き合いを回避」して仕事をするというのでしょうか。筆者には、とても「人付き合いが苦手な人」が不動産鑑定士になって、公的な案件を担えるとは思えません。
もっと言いますと、公的鑑定評価だけで食べていけるかと言われると、それも微妙です。十分に民間の案件を得ないと、不動産鑑定業者としては生きていけないと思います。
「文系三大難関国家資格」の1つ
不動産鑑定士は弁護士・公認会計士と並んで文系三大難関国家資格とされています。
どういう根拠でこの3つの資格が「三大」となったのかは筆者も存じ上げませんが、ただ、それだけ取得するのが難しいとの意見が多いとの意味で、「三大難関国家資格」とされたのだと感じる部分はあります。
ちなみに、近年の不動産鑑定士試験の合格率は短答式試験が30%台、論文式試験が15%前後で推移しているようです。
何が言いたいかと言いますと、不動産鑑定士に「なること自体が大変」だという点です。よく宅地建物取引主任士(以下、「宅建士」と表現)が、宅建に合格したから不動産鑑定士になろうかな…という動きは耳にします。
それ自体は否定しません。何しろ筆者も宅建に合格した翌年に当時の不動産鑑定士二次試験(現在の不動産鑑定士試験に相当)に合格しましたから。ただ、さすがに宅建と比較する限りでは、不動産鑑定士試験の難易度は「桁外れ」です。
そして、現役の不動産鑑定士として思うのは、「あの試験は、不動産鑑定士として基礎の一部を試すものに過ぎなかった」との点です。しかも、不動産鑑定士試験に合格した後は実務修習があります。そこで、実務を学んで一定の課題をこなして、不動産鑑定士になるための最後の関門である修了考査を受ける流れとなります。
ですので、運よく合格できたとしても、実務修習の要件を賄うためにどこかの不動産鑑定事務所に就職し、実務で揉まれることが必須と個人的には考えています。
「個人的には」と書いたのは、一応、不動産鑑定業に就職していない人向けに大学でも教える機関があるからです。ただ、筆者はそこで教鞭をとられていた不動産鑑定士の先輩も存じ上げていますが、個人的には「実務の現場で揉まれないと弱い」と思います。
実務経験のない鑑定士は「半人前」
筆者の知り合いの弁護士で、不動産鑑定士試験にも合格され、大学の実務修習に行かれた方がおられます。
その方がある日、しみじみとおっしゃっていたのですけれど、「自分は不動産鑑定の本当の実務は知らないので、不動産鑑定士として鑑定評価をすることは無理だ」とのことでした。
勿論、中には大学の実務修習を経て修了考査をクリアし、不動産鑑定士として鑑定実務の現場でご活躍されている方もおられるかもしれません。
ただ、大学の場合は、大学の課題以外では不動産鑑定に触れる機会も乏しいので、普段から不動産鑑定事務所で課題以外の物件にも対峙している不動産鑑定士試験合格者の方と比べたら、やはり弱い面は否定できないでしょう。
ということは、不動産鑑定事務所に所属する選択の方が、もし将来、本当に不動産鑑定業務で食べていこうとする不動産鑑定士試験合格者にとっては賢い選択となるわけですが、そこでは当然に「半人前」扱いです。そこでは先輩の不動産鑑定士からの厳しい指示等も当然にあるでしょう。
不動産は「生もの」、重責の心労も
ここでは、不動産鑑定の現場の最先端の細かい話はしませんが、ひとつ言えるのは、発行する不動産鑑定評価書の1つ1つが、その後の、依頼者をはじめとする不動産鑑定評価書利用者の判断およびその後の未来を大きく左右する点です。
当然、そこには大きな責任がかかります。筆者自身も、ある時、その責任に対して思わず心労になったこともありますし、逆に言うと、一度はそういう感覚を味わわないと、真の不動産鑑定士とは言えないとすら思います。
そして、不動産鑑定評価書という形で発行する以上、形が残るので、もし利害関係者に説明を求められればその説明責任も負います。
そして、不動産という「生もの」を扱う以上、ただ機械的に不動産鑑定評価書を書いているだけではダメで、五感を働かせる必要もあります。いわば責任の面でも大きなものを背負っている上に、五感を働かせて不動産を評価する必要があるわけです。
高まる不動産鑑定士の需要
筆者自身は、「留年で学生の期間が延長された時期」にではありますが、一応は大学生のときに当時の不動産鑑定士二次試験を「在学中合格」をした身です。つまり、社会人として躓く前に不動産鑑定士を志した身です。
確かに、不動産鑑定士試験とは、同様に三大難関国家資格である公認会計士試験とは異なり、在学中合格という話はあまり聞きません。けれど、筆者のように学生時代から不動産鑑定士を志す人もいるのです。そういう人もいる中で「人生につまずいた人(が目指す資格)」というのは心外です。
このような表現には、不動産鑑定士という、国土の適正に評価を通じて社会に貢献している人たちに対する敬意が感じられません。
実は、2024年の政府の「骨太の方針」には、国土の有効利用の促進の意味で、不動産鑑定業者の数を確保し、充実を図る旨が規定されました。言い換えれば、政府自体が不動産鑑定士を欲しているわけです。
筆者自身が不動産鑑定業に従事しているため、そこは割り引く必要もあるのかもしれませんが、それだけ価値の高い仕事をしているとの自負はあります。
資格だけ有してまともに不動産鑑定業務をしたことのない人を含めて「真の意味で不動産鑑定業に従事したことがない人」たちによる、一部の巷間で言われるような不動産鑑定士の扱いには疑問を呈さざるを得ません。
◇
この記事をご覧になっている方の中には、もしかして不動産鑑定士になるかどうかを考え始めている方もおられるかもしれません。
もし、そのような方がおられたとしたら、無責任な情報に惑わされず、そして高い意義のある仕事である以上、「楽ができる職業」では決してない点を十分に認識された上で、将来のご自身の方向性を決めていただければと思います。
(不動産鑑定士・冨田 建)
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