不動産投資でFIREを達成した投資家の軌跡をたどるこの企画。今回は、空き家コンサルタントとしても活躍する、不動産投資家の吉原泰典さんに話を聞いた。
吉原さんは新卒でJTC・日本電信電話株式会社(現・NTT西日本)に入社、勤続29年で同社を退社し、51歳の時にFIREを達成した。現在の不動産投資歴は17年、首都圏を中心に20棟578室を所有し、年間家賃収入は3億5000万円にのぼる。
吉原さんがJTCに在籍していた当時、周囲は本業一筋という人が多かったと話す。その中で、吉原さんはなぜ不動産投資を始めるに至ったのか。
そして、大手企業のサラリーマンという安定した地位を捨て、不動産投資家として独立するまで、どのような心境の変化があったのか。当時の心境を赤裸々に語ってもらった。
不動産投資で「ストック収入」を
―吉原さんが不動産投資を始めたきっかけを教えてください
サラリーマンとして働く中で「働くことの意義」や「収入の安定性」に疑問を抱いたことです。
転機は、企業年金制度が変更され、社員が自主運用できる幅が広がったことでした。周囲で株式などに投資する人が増え、私も老後の資金作りについて考えた時、不動産投資が安定性が高いのではないかと考えたのです。これが、40代前半くらいの時期でした。
当時、一般的に「年金支給額は月額14万円」と言われていました。それを1つの基準に、不動産投資で同じ収入を得るなら…とシミュレーションをすると、利回り10%・1億5000万〜2億円規模の物件という目安の条件が算出されたので、これを目標としていました。
―投資によって資産を築こうと思った理由は何だったのでしょうか?
サラリーマンの収入は、体力や時間を提供して得られる「フロー収入」です。病気や怪我で働けなくなれば、収入が途絶えてしまいます。
そこで、将来の安心を得るには、フロー収入ではなく「ストック収入」を増やすことが重要だと私は考えました。つまり、資産を持ち、その資産から生まれる収益を得ることが必要だと考えたのです。
その時に、不動産こそがストック収入を生む手段として最適ではないかという結論に至りました。以前から不動産投資は気になっていて、情報収集だけはしていたのですが、具体的なきっかけがあったことで本腰を入れて取り組む決断ができました。
―不動産投資をしたいと思っていても、なかなか実際の行動に移せない方もいると思います。吉原さんが一歩を踏み出せたのはなぜですか?
ストレスや不安を感じない「コンフォートゾーン」から出ないと、成功は難しいと思ったからです。
会社員であれば、同僚と同じことをしていれば安心ですが、そうした環境にいては、別のキャッシュフローを生むことはできません。やはり、自分1人で行動しないと新しい収入を作り出せない、と気付いたことが大きかったですね。
海外物件からスタート、投資手法の変化も
―最初に購入した物件について教えてください
初めに私が買ったのは、マカオとフィリピンの区分です。建築の計画段階・完成前の段階で物件を購入する、いわゆるプレビルド物件でした。
リーマンショックの影響で航空運賃が安かったため、週末に現地へ行って視察をしていました。完成後、家賃が入ってくる前に売却をし、キャピタルゲインを得ることができました。
当時たまたま良い物件を紹介してもらえた、ということもありましたが、この海外での経験で投資に対する自信がつきました。
その後、売却益を元手に当時勤務していたエリアに戸建てを買いました。毎月入ってくるようになった家賃収入で、当時の部下にお酒を奢ってあげていましたね(笑)。転勤するまでの数年間、保有していました。
―吉原さんは、不動産投資でどんなことを意識していますか?
投資家にとってのボトルネックである、「良い物件を見つけること」と「融資を受けること」の2つをどうクリアするか、ということを考えています。
私の考えですが、良い物件はインターネット上に公開される前のほうが多く眠っている気がします。それをキャッチするために、不動産会社に「買える客だ」と思ってもらうことが大事だと思いますね。
こういう条件の物件が欲しい、という希望を出すことは誰でもできますが、不動産会社側はその人が本当に買えるのかという点を必ずチェックしています。「自己資金がこれくらいある」「この金融機関から◯◯万円までなら融資できると言われている」といった情報を提示して、この人は物件を買えるんだ、と確証を持ってもらう必要があります。
融資については、私の場合、大手勤務ということよりも勤続年数が長かったことが評価につながったと思います。あとは、車のローンや住宅ローンなどを一切抱えていなかったこと、勤務先の付き合いで作った地銀さんのクレジットカードを破棄したことで、信用額が増加しましたね。
―実際に物件を買い進めるようになって、心境の変化はありましたか?
規模の大きな物件を買い始めてからは「本当にこれが回っていくのかな」という不安はありましたね。都内で半空の物件を買ったときは、初回の引き落としで銀行口座に3万円しか残らなく、かなり焦ったことを覚えています。
運良く、リフォームをして入居者募集をしたら満室になったので難を逃れたのですが、あの時に失敗していたら不動産投資自体辞めていたと思います。
また、不動産投資を始めた当時は、戸建てをキャッシュで買っていく手法が良いのではないかと考えていたのですが、先輩大家さんからの助言もあって「レバレッジをきかせたほうが良い」という考え方に変わっていきました。
2000万円貯めるのは30年かかるけれど、2000万円借りるのは半日でできるように、融資を受けて投資をするメリットを意識するようになりましたね。
3000万円を危うく失いかけた
―どのように物件を買い進めていったのでしょうか?
次につながる物件を探していました。具体的にいうと、積算が出る物件で、信用毀損を起こさないことを重視していました。
そのうえで、当時の年収の倍のCFを作り、それを3年運用できればFIREできるのではないかと思い、この数字も目安にはしてました。
戦略の手前にはなりますが、一番大事なのは資金繰りですね。税金も含めて諸経費をきちんと計算に入れて考えていかないと、次を買うことはできません。
さらに、融資を受けるにしても、自己資金分はしっかりプールできているか、ノートに書いてコントロールしていました。当時は40代後半、勤続年数もそこそこ長く、若いころからの預貯金もありましたから、意識をしていたわけではありませんが、順当に貯まっていたとは思います。
こうした形で、年に数棟のペースで規模拡大をしていきました。大事にしていたのは、信頼できる不動産業者さんにいかに覚えてもらえるか。関係性を作れば、2回目以降につながることもありますし、その方がいい物件を持ってきてくださることも多いです。
不動産業者さんから連絡が来たら、「秒で」返答します。NOだろうとYESだろうと、すぐに返事するのがエチケットだと思っています。また、もし「買う」と決めたら途中で変えることなく、きちんと買うことも重要だと思います。
―物件数や収入が増える中で、周囲はどのような反応を示しましたか?
ごく親しい友人には話しましたが、会社の人には伝えませんでした。また、家族には話しました。「残高3万円」事件の時は「やっぱり騙されたじゃん」と言っていましたね(笑)。
「あなたがやりたいならやればいいけど、そんなおいしい話はないんだから、早くやめて毎日ちゃんと会社に行きなさい」と、ごく当たり前のことも言われていました。
しかし、不動産投資が軌道に乗り、収入も安定してくると、家族も次第に納得してくれるようになりました。
―物件の購入で、失敗したことはありますか?
多摩地区でバルク物件を購入したときは大変でした。3棟をまとめて購入したのですが、いくつかの物件に抵当権が設定されており、その解除に非常に苦労しました。
再生すれば20%以上の利回りが見込めたので、魅力的な案件でしたが、抵当権解除が難しいと事前に聞いていたにもかかわらず、決済の際に満額の3000万円を支払ってしまったんです。
案の定、抵当権の解除が進まず、半年以上も動けずに年越しまでしてしまい、本当に不安な日々が続きました。
「3000万円を溶かしたのか」「詐欺ではないか」と思いましたが、相手も誠実に対応してくれ、最終的に3棟のうち2棟は無事に抵当権を外せたので再生を進めることができました。1棟だけは解除できなかったので1000万円を返金してもらいました。2つはいま再生してまわっています。
今であれば、3000万円は支払わないです。外れてから持ってきてくれ、と言うかもしれません。
年収の2倍の収入を3年キープし、FIREを意識
―FIREが見えてきたのはいつ頃ですか?
年収の2倍を3年間維持できるようになったとき、「これなら会社を辞めてもやっていけるかな」という実感が湧いてきました。それが50歳前後の頃です。フロー収入からストック収入へ切り替えたことが大きな転機となりました。
その頃には会社との関係を見直し始め、次のステップに進むべきタイミングだと感じていました。
―年間の家賃収入はどのくらいでしたか?
年間の家賃収入は、多分2億ちょっとくらいだったと思います。ただ、返済や諸経費を差し引くと、手元に残る金額はそれほど多くはありませんでしたね。とはいえ、それくらいの収入が安定して入ってくることで、会社を辞めるという選択を現実的に考えられるようになりました。
「やりがいのある仕事」「社会に貢献できる仕事」「求められる仕事」「次世代に何かメッセージのある、自分にしかできない仕事」。これをやっていきたいと思っていました。結果的に、それが不動産投資でしたが、いつまでもチャレンジしたいとは思っていました。
51歳で退職、周囲からの反応は…
―退職前、どのようなことに不安を感じましたか?
退職の経験がないので、恐怖しかなかったです。会社を辞めた後、税金をどうやって払えばいいのかも全くわかりませんでした。
また、会社を辞めると、健康保険が社保から国民健康保険に切り替わります。その手続きはどうするのかといった基本的なこともわかりませんでした。会社員時代はすべて会社がやってくれていたので、突然すべてを自分で管理しなければならなくなり、戸惑いました。
―会社員時代にやっておくと良いことはありますか?
財務の知識はしっかり身につけておくべきだと思います。たとえば、自分の財務状況が債務超過になっていないか、収入と支出のバランスがどうか、家賃収入のシミュレーションをして金利上昇のリスクを見込んでいるかなど、そういった財務諸表の見方を理解することです。
周囲からは「サラリーマンを辞めたら融資が受けられなくなるよ」とか「投資がうまくいかなくなるよ」と言われましたが、私の経験では、しっかりとした財務状況を保っていれば問題ありませんでした。実際、退職後も新しい取引先が増えたので、やはり財務の勉強はしておくべきだと感じます。
―退職時、周囲の反応はどうでしたか?
51歳で会社を退職しましたが、退職時、送別会もなく、誰にも祝われることはありませんでした(笑)。管理職時代は退職する先輩を盛大に送り出していましたが、自分が辞めるときは周りも戸惑っていたようです。
定年を待たずに退職することが、当時の会社ではイレギュラーなことだったので、理解されなかったのでしょう。祝ってはいけない、くらいのことを思っていたのかもしれません。
友人との時間が減り、孤独を感じたことも
―FIREをして、生活はどのように変わりましたか?
最も目に見える変化としては、ダイエットに成功したことです(笑)。現役時代と比べて30キロも体重が減ったんですよ。これはサラリーマンを続けていたら、なかなかここまで痩せられなかったと思いますね。だから、体重を落とせたことが嬉しいですし、健康的な生活を送れるようになったのは大きな成果です。
時間の自由があったので積極的に旅行に行くようにしました。国内ではなく海外を中心に、いろいろな場所を巡って、多くの新しい体験をしました。日本ではできないような経験もできたので、今となっては良い思い出です。
―FIREを達成してから戸惑ったことがあれば、教えてください
友達がいなくなりました。みんなサラリーマンなので、私と遊ぶ時間が合わなくなってしまったんです。しかも、仲の良かった友人たちは転勤で大阪や地方に行ってしまって、東京に残った私は一人ぼっちに。
職場にいた頃は常に周りに仲間がいたので、寂しさを感じることはなかったのですが、退職してからは孤独を感じたこともありました。
40代には、まだチャンスがある
―長期的に投資をしていくうえで、アドバイスはありますか?
あくまで私の体験ですが、まずはしっかり本業に打ち込むことは重要だと思います。先ほども申し上げましたが、たとえばしっかり財務諸表を読めないといけない。こうしたことは会社でも教えてくれることもありますし、実務でしっかり覚えること。しっかり自分で身に着けることが重要だと思います。
営業やマーケティングもそうですね。コミュニケーションやエリアなどから分析をするなど、本業の中で、自分で身に着けていくべきスキルだと思います。
逃げるためにFIREするのではなく、本業を突き詰めたうえでFIREするのが確実だし、道は近いと思います。
―FIREを達成した吉原さんから、読者へメッセージをお願いします
FIREを達成したとはいえ、私にとってはゴールではなく、まだゲームが続いているような感覚です。サラリーマンから不動産投資家、賃貸業のオーナーへと職業は変わりましたが、仕事は続いており、「FIRE後のゲームをプレイし続けている」という感じですね。今も勉強を続け、スキルアップを怠らないようにしています。
また、不動産は「預かり物」だと考えています。私の人生は100年ほどですが、不動産はもっと長く存在します。そのため、所有している期間は「預かり期間」に過ぎず、できるだけ綺麗な状態で次のオーナーに引き継ぐことが仕事に対する希望というか、夢でもあります。
特に40代はキャリアの転換期や家庭の責任感に悩む時期だと思いますが、不動産投資の成功が、その解決策になり得ます。なので、前向きにチャレンジしてほしいです。
40代は金融機関からも有望な融資先と見なされる世代なので、その強みを生かして交渉に臨んでください。焦らずに会社や業界の状況、人事精度など、わかる範囲のことを徹底的に調べることも重要です。
たとえば、どのポストが空いているのか、年金支給額はどうなるのかなどです。この中で、自分にとって最適な選択をしていってください。今できることを調べ、前向きに挑戦していくことが大切だと思います。
(楽待新聞編集部)
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