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私は元・家賃保証会社の管理(回収)担当者。十数年間働いて今年、辞めた。もっとも、現在まったく無関係な仕事なのかと言えば、そうでもないのだけど。

家賃保証会社の管理(回収)担当者の仕事は「(滞納した家賃を)払ってもらうか、(部屋を)出ていってもらうか」──極言すれば、それだけ。どちらかで「解決」。どちらかの結論に至らねばならない。

今回は、私が督促の現場で会った2人の女性の話をしたい。どちらも老人だ。彼女たちは延滞客ではない。1人は延滞客の妻で、もう1人は母親だ。

2人とも最終的には施設に入り、一緒に暮らしていた家族とは離れて暮らすことになった。赤の他人が軽々に評することなどできないが、彼女たちは幸せだったのだろうか?

それでは、話を始めよう。

契約者はどこへ行ったのか

Aという78歳の女性がいた。83歳の夫と、49歳の息子との3人世帯だ。

契約者はAの夫で、保証委託契約書の勤務先の欄には「年金」とだけ記入されていた。Aとその息子の勤務先の欄は空白。入居直後に1度延滞したが、それから1年は正常に支払っていた。

20**年5月半ば、Aの夫から電話が掛かってきた。「6月分の家賃(5月末が支払い日)が支払えない。6月15日支給の年金で支払いたい」と。

しかし、年金支給日を過ぎても支払いはなかった。

電話を架けるがコールすら鳴らず、すぐに留守番電話のアナウンスへと変わる。その後、その電話番号は「現在使われておりません」というアナウンスが流れるようになった。

6月下旬、Aたちが住む古い木造2階建てアパートを訪問した。その1階の1室、私は初めてAと会った。

家賃未納の事実を伝えて、いくつか質問をしたが、Aからは「わからない」という回答しか得られなかった。

「夫(契約者)が何時に帰宅するかわからない。どこに行ったのかもわからない。夫の携帯電話が使用されていないことや家賃の話もわからない」──何ひとつわからない。固定電話や彼女の携帯電話も無いようだった。 

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7月になって再度訪問すると、またAが出てきた。

緩慢な動作でドアを開いた彼女は、前回同様に何を聞いても「わからない」と答えた。家賃のことはわからない。夫と最後に会った日すら、わからない。

前回の訪問時と同じように、契約者宛ての、未納賃料の支払いを求める催告書を渡す。ひどく伸びた爪が通知を受け取った。それが何なのかもわかっていない表情で。

この時点で延滞は2カ月分になっている。

次に訪ねたのは10日後。

インターホンが鳴らない。電気は停止していた。

何度かノックをした後、ドアの金具へ小さく切ったセロハンテープを貼る。ドアの開閉を確認したいからだ。テープが剥がれたり捻じ切れたりしていれば、それがわかる。

ガチャリと音が鳴った。隣室の住人だ。黒いスウェットに潰れたサンダルを履いた中年女性が、怪訝な表情で私を見ていた。

Aたちは何時ごろ在宅なのかを尋ねると、「わからない。Aもその夫も最近は見かけない。息子は昨日コンビニで見た。よくその辺りを奇声を発しながら歩いている」とのことだった。

情報はそれだけ。だが充分でもある。困った、という結論だけれども。

夫が死んだことすら忘れてしまう妻

会社へ戻ると、私の机に住民票が置かれていた。取得を依頼していた契約者(Aの夫)の住民票だ。

延滞客と連絡が取れない場合、住民票を取得するのはセオリーではある。単身者だと転居している場合があるからだ。

もっとも、今回のように妻子と共に生活しているのであれば、転居の可能性は考えづらい。だからあまり意味は無い──と考えていたが、どうやら違ったようだ。机に肘をついて住民票を眺め、胸中で苦笑する。

「令和*年6月21日 死亡」

契約者は、私が初めてその妻であるAと会った数日前に他界していた。

あの時のAの対応は、どう考えても自分の夫が死んだものではない。もし演技なら特級の女優だ。が、おそらく、認知症なのだろう。そして隣人の話を聞くに、息子も交渉可能な人物ではなさそうだ。 

翌日、私は市役所の高齢者サポートを行う部署へ連絡した。

おそらくは認知症の患者と、精神疾患または知的障害が疑われる人物の世帯だ。誰かがサポートをしていなければ、生活が成り立たないだろう。少なくともAの夫の葬儀は、役所が何かしら関与しているはず。Aとその息子に、葬儀の手続きができたとは思えない。

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もちろん、市役所は何の回答もしてくれなかった。「個人情報なので答えられない」と。それで構わない。Aたちの生活を支援している誰かに、家賃の延滞とそれを回収したい家賃保証会社の存在が伝われば良いな、と期待しただけだ。

もしも伝われば、こちらにとって有利な展開になる──かもしれないから。

その後、Aとその息子には接触できなくなった。ただ、部屋のドアは、訪れるたびに開閉の跡が見つかる。部屋は使用されている。電気を含めた各メーターも動いていた。

ある日、高齢者の暮らしをサポートする「地域包括支援センター」から連絡が入った。先日市役所に連絡したのが功を奏したようだ。

担当者の女性は、あまり詳しく話せないが……と枕詞を付けて「Aと息子は今も部屋で生活している。Aには後見人を付けたいと考えている。息子も病気」と教えてくれた。

後見人を付けようというのだから、やはりAは、判断能力が欠如しているようだ。そして、「Aたちは施設に入ることを嫌がっており、今は現状維持しかできない」と彼女は続けた。

彼女に頼んでAと面談しようかと考えたが、無駄だと判断した。明確に「現状維持」が選択されているのだ。部屋を明渡す結論になるわけがない。

そして、電気・ガス・水道代はともかく、滞納した家賃分のカネをAたちの口座から引き出して支払うことはできないとも言われた。まさに「現状維持」だ。

「もっとAたちの置かれている状況が悪化すれば、きっと彼女たちにとって良い方向へ変わると思う。明渡訴訟を進めてほしい」と最後に彼女は言った。

断行(いわゆる強制執行)まで進めば、Aたちは住むところを失い、どこかしらの施設に入らざるを得ない。今の部屋で暮らすことはできないのだから。そうなってほしいと彼女は言っているのだ。

なかなかに達観したセリフだと思った。

翌日、地域包括支援センターの女性から名前を教えてもらった、市役所の担当職員の男性と話ができた。現状維持しかできない。それだけ。女性と同じ内容だが、何の感情も入ってない声だった。

私はこれまでに何度も、高齢者支援の担当部署や地域包括支援センターと関わったことがある。支援対象である高齢者の状態によるのかもしれないが、やたらと積極的で親身なサポートを行う地域もあれば、そうでないところもあった。

その差は地域によるのか担当者の性格なのか、そして彼らが一体何をどこまでできるのか、私は今もよくわかっていない。

息子も精神科病院へ

明渡訴訟の申立ては、20日ほど前にすでに行っている。

ただ、問題なく手続きが進むとは限らない。Aに事理弁識能力が無いと裁判所から判断された場合、特別代理人の選任を申立てなければならないかもしれない。

詳しくは法律の本でも読んでほしいが、通常の訴訟よりも時間が必要になる。これは私にとって大問題だ。その間も家賃は発生し続けるから。

そういう懸念は確かにあった。Aたちの状況がわかる前にも考慮はしていた。その上で、裁判所から指摘されない限りは通常通りの訴訟手続きを進める方針にしていた。問題が発生したらその時考えようと。

実際、申立てをした段階ではAやその息子の状態は不明瞭であったのだ。

裁判が進む間も、頻度はかなり減らしたが訪問は続けた。部屋が使用され続けているのか、把握したかったからだ。

また電話で市役所とかに聞けばよいのでは? と思うかもしれないが、家賃保証会社の管理(回収)担当者という部外者に、そんなにペラペラ何でも話してくれるものではないのだ。

部屋の使用状況を確認していた時、隣室のドアが開いた。以前も会った中年女性だ。「Aの息子が道端で大声をあげていた」とのこと。賑やかな町内だなと苦笑する。

その後、Aたちが居住する部屋を明渡せという判決が確定した。

だがもし、明渡の催告──執行官が部屋に入って「◯月◯日に強制執行します」という告知を貼るセレモニーだ──の時に、Aの息子が部屋で錯乱とかしていたら、どうなるんだ? 執行が停止されたり、するものなのだろうか?

考えても仕方ない。その時はその時だ。

市役所の担当者へ、判決が確定したことを連絡する。彼は「Aはもう部屋には住んでいない」と答えた。どこにいるのかは教えてもらえなかったが、Aが住んでいないのならば──状況が変わった。

そうはいっても、家財道具を撤去して終了、というわけにもいかない。誰からも何の了承も得られていない。Aが部屋に戻って来るかもしれない。そもそも息子はまだ部屋にいるはずだ。

強制執行の申立ての手続きを進めたころ、スマホが鳴った。

名前を聞いただけで「ああ、精神科病院ですね」と理解できる施設名。その男性職員は「Aの息子の衣類等を取りたいから鍵を貸してほしい」と言った。数日前からAの息子は施設に入っていると。その職員は部屋に来たことがなく、Aの息子も鍵は持っていないという。

だったら最後に部屋を出たのは誰で、鍵はどこなんだ? Aの息子と一緒に部屋を出たのは誰なんだ? 1人で出たのか? どういうルートで施設に入った?

疑問符がいくつか浮かんだが、私の仕事は真相究明ではない。そんなことより、変わった状況をさらに進めなければならない。

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連絡から3日後の14時すぎ、部屋の前でAの息子と男性職員と待ち合わせた。

Aの息子は、大きな身体を青と白のチェックのシャツ、そしてジーンズで包んでいた。本人の衣服なのかはわからないが洗濯はされている。頭髪は薄い。ビニール製の、足の甲の部分に複数の穴が開いた形状のサンダルを履いていた。

私が声をかけると、微かに視線をこちらへ向けた。反応はそれだけ。剃り残した首筋のヒゲが肉の狭間で蠢いた。

催告に備えて、私は家主からすでに鍵を借りていた。ドアを解錠する。職員は私へお礼を言って、Aの息子と部屋の中へ消えた。

衣類等を運び終えたところで、職員に部屋の明渡訴訟の判決が出ていることを伝える。3年後の天気を聞いたような、いかにも興味の無さそうな声音で「Aの息子に必要なものは今日運び終えた」と職員は答えた。

それから1週間が経過したころ、知らない女性から電話が入った。

Aの息子の病院から連絡が入ったのだろうか。Aが入居する施設の職員だと名乗った。

彼女はほぼ全ての事情を知っていた。Aの夫が死んだことも、その息子のことも、部屋の明渡訴訟のことも。地域包括支援センターや市役所の担当者名まで知っていた。

「もう部屋を片付けてもいいと思いますよ。必要なものはありませんし」

彼女は何でもないことのようにそう言ったが、Aの「形式上だけでも」了承は得られるのか? 書面にサインをしてもらうだけでいい。

「それくらいは出来ると思います」

私がAにサインさせれば、悪意ある誰かに「無理矢理書かせた」と言われるかもしれない。が、書面を郵送して施設の手を経るなら問題ない。もっとも、文句を言う人間など存在しないだろうが。念のためだ。

女性職員は、延滞した家賃のことにも触れた。Aには支払えないと思うと。確かに債務は存在するが、私もAや息子の状態を理解している。

「まあ、請求しても無駄だと理解してますから……私たちもどう考えても無駄ということは普通しないので。今の世の中、無茶もできませんしね」

そう答えると、彼女の苦笑が聞こえた。

家族の歴史が詰まった家具

なぜ強制執行の申立てまで進んでいるのに、家財道具の撤去・処分を急ぐのか? と思われるかもしれない。断行まで待てばいいじゃないか、と。

さっさと部屋の明渡を完了させて賃料発生を抑えたいというのもあるが、それも含めて答えは「オカネ」だ。

断行なら──執行官と相談した上でだが──開始日時は決められてしまう。翻って、家賃保証会社と撤去業者だけで撤去作業を行うのなら時間はかなり自由に設定できる。他で撤去した案件との混載便でも問題無い。

トラックの大きさや作業員の数も断行より減らせる。作業途中でトラックを倉庫まで往復させれば台数も減らすことができる。

費用を抑えたい。抑えねばならない。そういうところも「会社」からチェックされているから。私は、木っ端会社員なのだ。会社のオーダーには応じなければならない。

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そのために、まず物量を把握する必要がある。写真を撮って撤去業者に見せ、必要なトラックの大きさや作業員の人数を見積らねばならない。

私は再びAの部屋を訪れた。

ドアを開ける。三和土には、ドアポストから溢れて散らばった請求書、チラシ、通知が山のようにあった。廊下には段ボールが積み重なっている。

間取りは2DKのはずだ。段ボールを避けながら、ダイニングへと進む。廊下も含めてゴミがそこら中に落ちている。食品の食べかす、容器、またチラシに請求書。

ダイニングには古く大きな食器棚、4人掛けのテーブルと椅子、電子レンジやラック、そして段ボールがあった。居室にも大きなタンスや衣装ケース。TVと机。そしてまた段ボール、段ボール、段ボール。

段ボールは、上辺が無造作に破り取られているものが目立つ。開けるというより、漁るといった風だ。

およそ2DKの物量ではない。戸建ての家財道具を一切合切、無理矢理に詰め込んだ印象だ。配置も滅茶苦茶である。どこで3人が寝ていたのか見当も付かない。荷物を運び込んだ引越し業者も絶句したのではないか。

たぶん、Aの夫が、妻と息子の面倒を見ていた。それが、死んだ。その時点で、この家族は、どうしようもなくなったのだと思う。

それにしても物量が異常だ。もしかしたら、Aたちは以前戸建てに住んでいて、何かしらの理由でその家を手放したのかもしれない。ただ、この物量こそがAたち家族に歴史や思い出が存在した証明なのだろう。

家族の歴史。記憶。Aと息子の脳には、今どれくらいそれが在るのだろう。私にはわからない。もしかすると、最も正確にAたちを憶えているのは、この大量の家具かもしれない。

その家具も、数日後にはゴミとしてこの世から消えた。「解決」だ。