私は元・家賃保証会社の管理(回収)担当者。十数年働いて今年、辞めた。その前は消費者金融に勤めていた。
家賃保証会社の管理(回収)担当者の仕事は「(滞納した家賃を)払ってもらうか、(部屋を)出ていってもらうか」──極言すれば、それだけ。どちらかで「解決」。言葉にすれば実に簡単なソリューションビジネスだ。
「代払い」といわれる行為がある。語感から想像できると思うが、延滞客以外から支払ってもらうことを言う。もっとも、その相手は大抵、両親である。
延滞客が男性なら母親に、女性だったら父親に交渉すると、代払いの成功率が増すという口伝がある。定石とまで強弁するつもりはない。代払いなんて行為に正確な統計があるはずも無いから──けれども何となく、正しそうだと思わないだろうか?
ところで、楽待新聞はFIRE(経済的自立と早期リタイア)の記事や動画が大変お好きである。不動産投資の新聞なのだから当然か。読者諸賢もきっと、FIREがお好きなのだろう。
だとすれば、それと全く関係のない私の連載にはご不満もあるかもしれない。しかし、私の連載に登場する大半の人々はFIRE(火の車)ではあるので、どうかご容赦いただきたい。
今回のテーマは「代払い」。それにまつわるお話を2つ、してみたい。
延滞客の「彼氏」は役に立たない?
22歳女性の延滞客。仕事は飲食店のアルバイトで、単身世帯だ。
彼女は入居後の最初の支払いから延滞した。ただし、給料日に1カ月分のみ支払ってきて──次の支払日までの数日間だけは延滞が解消する。それがこの半年間の常態だった。
2024年2月8日の記事にも書いたけれど、督促の最初は電話やSMS(SNSではない。念のため)で行う。訪問して督促するイメージが強いかもしれないが、実際はそうでもない。
全ての延滞客の部屋を訪問するのは非効率的だし、件数的に不可能だ。何とか電話やSMSで延滞客と連絡を取って、訪問対象を減らしたい。
4コール目で彼女は電話に出た。
社名を名乗る。延滞の事実を告げ、まだ支払っていないか確認する。
当然、支払っていない。聞くまでもないが、客商売の礼儀である。
老若男女を問わず、延滞客は往々にして春の乙女よりも繊細だ。脈絡なく激昂する人間も多い。だから、延滞客には礼儀を払う。その方が話がスムーズに進むから。
いつ支払えるか質問すると、彼女は答えに窮した。
「……先々月に仕事を辞めてしまって」
新たに仕事に就いてはいるが、初任給は来月だと言う。
十年一日、いろいろな延滞客から聞く「支払いが遅れる理由」の1つだ。だから、返答に思考の必要がほとんど無い。遥か昔に脳へ刻んだパターンから選ぶだけ。およそ会話とは呼べない機械作業だ。
口を開く寸前──右手の中のスマホから「あのさあ」という男の声が聞こえた。彼女と電話を代わったようだ。
「少しくらい(支払いを)待ってやれよ」
威圧的な低い声音が耳に入った。
善人を気取るわけではないけれど、飲食店の店員や、仕事で連絡してきている人間相手にタメ口で話す連中の気持ちが、私には理解できない。ただ、そういう人間がたくさん存在することは知っている。
そんな、私には理解できないタイプの男だ。
「失礼ですが、あなたは?」
「コイツの男だけど」
オトコ……男? ああ、彼氏さんね。
彼は「(彼女は)払わないとは言ってない。来月払うと言っている。だから少しくらい待ってやれ」とまくし立てた。
困っている恋人を見かねて、義憤に駆られて、電話を彼女から奪い取り「支払いを待ってやれよ」と?
結構! まことに結構! ……──うるせえよ!!!
「待ってやれよ」じゃねえよ。「コイツの男だけど」じゃねえよ! 年齢は知らないが中学生ってことはないだろう? 大の大人が、カネを出す気も無いのに横から口を挟むな。
100万円や200万円の話をしているわけでもない。これは4、5万円の話だ。アンタは本日ただいま、東日本で1番カッコ悪い男だよ。
──なんてことを胸中で毒づきながら、これからどうやって話を組み立てようかと考える。
大前提として、私は高圧的な督促はしていない。そもそも彼女とほとんど話をしていない。単なる挨拶・案内の段階だ。
そうでなくとも私は督促で強い言葉は使わない。所詮は会社員。自分のカネを失うわけでもないのに、延滞客に居丈高な態度を取る同業者を私は軽蔑している。
誤解の無いよう書いておくが、これは「彼氏だったら彼女の代わりに払え」という話ではない。契約者でもない彼に支払いは求めない。他の同業者は知らないが、私は──絶対ではないが──口にも出さない。
それに、同棲中ならともかく、単なる彼氏や彼女が代払いするケースはかなり少ない。
例えば、滞納を重ねた延滞客に来社してもらい、退去交渉することがある。20代の延滞客だと、彼氏・彼女が同行してくる場合がそれなりにある。けれどそこで、「じゃあ私が代わりに払いますね」なんて展開になったことは、ほとんど無い。
やっぱり「代払い」の主軸は両親だ。あちらから「払います」と希望してくることも多い。
じゃあ両親が代払いしたとして、子どもを助けたとして、それは良いことなのだろうか?
次は、そういう話をしてみたい。
「息子と連絡が取れない」、母親からの代払い
東京都H市。入居者は、3年前から住んでいる35歳の男性C。単身世帯。入居契約時の仕事先は、登録制派遣会社の派遣社員となっていた。
入居直後より延滞が発生。毎月毎月、1カ月のうち、せいぜい1週間程度しか延滞解消している期間が無い。本当に、よくあるパータンだ。
電話・訪問に反応は無し。ベランダは雑草だらけで、シャッターは閉まっている。空き缶の詰まったゴミ袋がいくつか転がっており、砂埃や木の枝の乗った洗濯機も置かれている。洗濯物を見たことはない。
仕事先へ電話しても連絡を取ることはできない。電話応対をした社員もCを直接は知らなかった。
部屋の出入りは不定期。2~3日動きが無いことも頻繁にある。
ただ、緊急連絡先となっていたCの母親とは連絡を取ることができた。彼女は60代後半で、山陰地方の*県に住んでいる。初めて連絡を取ったのは2年以上前。私の前任者が「Cと連絡が取れないか?」と尋ねたときだ。
その時点で、彼女はCと5~6年、連絡が取れていなかった。その間に彼女の夫(Cの父親)は他界している。彼女は息子の住所すら知らなかった。Cの住所を知りたがったので、前任者が教えている。
それから彼女は何度もCに手紙を出した。返事はない。もちろん電話にも出ない。彼女はCの部屋を訪ねてもいる。結果は無駄足。ポストに手紙を投函できただけだった。
入居から1年半に近付くころ、Cの支払いは更に遅れるようになり、そして、止まった。
担当が私に代わり、再びCの母親に連絡したとき、「代払い」の希望を伝えられた。こちらから「代わりに払ってください」と求めたわけではない。それでも支払いたいと、彼女は言った。
私としては、会社から求められる数字もあるし、代払いをしてもらえるなら楽ではある。
しかし、何度も代払いを受けたあと、Cの母親が申し訳なさそうな声で電話をかけてきた。
「体調が悪くてパートを辞めるから、もう代わりに支払えないと思う」
結局のところ、部屋の使用を続けている限りは家賃は発生し続ける。「完済」がない。永遠に陰の援助を続けられるのでないならば、問題解決の先送りでしかない。たぶん、誰にとっても。
母親が代払いを止めたため、Cの延滞は3カ月分を越えた。部屋の使用は続いている。明渡訴訟を提起した。
延滞客の大半がそうであるように、Cからは答弁書の提出も無ければ出廷も無し。明渡の判決は確定した。
訴訟の提起後も、Cの母親には時折、連絡をしていた。Cから連絡が入っていないか確認するためだ。彼女から電話が入ることもあった。
彼女は、またCの部屋に行きたいと、会話のたびに口にした。彼女は東京に親戚も知人もいない。人生で上京したのはCの部屋を訪ねた1度だけ。今は体調も悪い。だから再訪したいが、なかなか難しいと弱音をこぼした。
60代後半で、何の収穫も無いただ1度の上京経験しかないのだ。次も息子に会える保証は無い。もし仮に体調に問題がなかったとしても、躊躇って当然だ。
彼女はいつも「息子は実家に戻ってくれば良い」と繰り返した。
父親ももういないし、実家なら家賃もかからない。派遣の仕事なら地元にもあるはずだ、と。全くその通りだと思う。が、それを伝える術がない。
もしも私がCと接触出来たら、連絡するよう伝えてほしいと何度も頼まれた。
電気だけが生きている部屋
明渡の催告日。部屋のドアを開けて「◯月◯日に断行(いわゆる強制執行)します」という告知を貼るセレモニーの日だ。
部屋を訪問するのは、執行官、立会人、執行補助者、そして私。
執行官は裁判所の職員で、文字通り明渡の執行をする人だ。立会人は、手続きが公正に行われているか、立ち会う。
執行補助者は、残置物の搬出や保管を行う業者だ。催告の時は「作業員が何人で、どれくらいのトラックが必要で……」などの見積もりを行う。
そして私は、賃貸人(部屋の貸主)の代理としてその場にいる。明渡訴訟の原告は、基本的には賃貸人だ。
Cの部屋は2階建てアパートの101号室。一見して造りが古い。薄青に塗り直された外壁は色褪せて、より建物の消耗を強調している。通路には自転車が乱雑に置かれており、タバコの吸い殻や空き缶が転がっていた。
白髪の執行官がインターホンを鳴らした。反応はない。次いでドアを叩き、呼びかける。やはり反応は無い。
ドアの蝶番に貼ったテープは捻じ切れている。この5日以内にドアの開閉があったということだ。水道もガスも停まっているのに、電気だけは生きていた。
あくまで私の経験だが、延滞客の部屋のライフラインで最も停止しているのはガスだ。ガスだけが停まった部屋はよく見かける。しかし、水道まで停まっているのに電気が動いているのは珍しい。
もっとも、全てのライフラインが停止した部屋で生活している延滞客も、それなりにいるけれど。
Cはこの部屋を「生活」ではなく倉庫代わりに使っているのか? その可能性は何となく薄そうなのだが……考えても仕方ない。
執行官がドアを開けた。三和土に入った彼の足が止まった。「あ、居た」──執行官の後ろの立会人が声を漏らした。
立会人の肩越しに室内を覗き込む。廊下にはゴミ袋が積まれていて、その向こうの居室、明かりの下に男が立っている。
執行官が話しかけても黙っているだけで、玄関に来ない。執行官たちは部屋の中へと入っていった。私は数歩歩いて、アパートの壁に背を預けた。Cの情報を頭に並べて俯瞰する。
催告時に入居者が不在の場合は、前述したように「◯月◯日に断行します」という告知を貼るだけ。その際に私が入室できるかどうかは執行官次第だ。
一方、在宅なら、まず入ることはできない。それはなぜなのか。本当に厳密にはどういうルールなのか。そういえば、私は知らない。知らなくても問題がないから。
在宅時には、執行官が入居者(被告)へ「強制執行になるからいつまでに退去しなければいけないよ」という話をする。
同時に、執行補助者は物量を確認し、人によれば退去交渉もしてくれる。とはいえ、その場で「じゃあ今から退去します」となったケースを私は知らないが。
稀にだが、興奮した入居者が「退去しない、裁判なんか知らない」などと怒鳴り散らすことがある。「俺はこの家を守る」とも。賃貸物件なのに。
そういう時にもやることは基本、変わらない。執行官は淡々と同じ説明を、執行補助者は物量の確認を、手早く行う。
執行官たちも忙しい。何件も予定が詰まっていることが多い。1件にさして時間はかけたくない。休憩もしたいだろうし。
執行補助者が部屋から出てきた。私に断行日の候補日時を伝え、すぐに室内に戻っていった。
それから数分後、部屋から出てきた執行官と立会人に会釈する。いつもより予定が詰まっていると苦笑しながら、彼らはアパートから消えた。
2人を見送った後、執行補助者が部屋から出てきた。室内の状況とCの様子を尋ねる。
「転居するのは難しそうだね。話はできるよ。部屋はゴミだらけ……気持ち悪い」
彼は苦笑いしながら、舌を出した。そして片手を挙げて「ごめん、あとで連絡します」、そう言い残して去って行った。彼も次の予定があるので時間がない。
気持ち悪い? 何が? ゴミ部屋など見慣れている彼がそう言うのは、どういう状況だ?
私は小さく首を傾げて、スマホを取り出す。電話をかけた先は、Cの母親だ。
明渡の催告日には部屋のドアを開ける。もしもその時、Cが在宅していたら連絡をする、と彼女に約束していた。
明渡の催告は開始日時が決められている。関係者が集まれば5~10分前に開始する執行官もいるけれど、ほぼ予定時刻に始まる。
その時刻に電話に出られるよう、私は彼女に伝えていた。何度も何度も無理をして、支払い義務もない延滞家賃を支払っているのだ。それくらいのサービスはしよう。
何より、どうせCには転居するカネはないだろう。もし実家に戻るのなら、私にとって悪い話ではない。
Cの母親は1コールで電話に出た。
「居ましたよ。また後ほど電話します」
それだけを伝えた。
プロフィール画像を登録