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私は元・家賃保証会社の管理(回収)担当者。十数年間働いて今年、辞めた。もっとも、現在まったく無関係な仕事なのかと言えば、そうでもないのだけど。
◇
管理(回収)担当者として3年も働けば、大抵はこんな確信を得る。
日本で「ありとあらゆる手段を尽くしましたが、それでもホームレスになりました」は、無い。特に、大都市やその近郊では。それくらいには、日本の福祉制度はワークしている。
強調しておくが、私は日本に「ホームレス問題」がないと言っているわけではない。ましてや貧困問題が存在しないなど思ったこともない。それはこれまでもこれからも、ほとんど解決不能な問題として在り続けるだろう。
ただそれでも、困窮者本人が望み、適切な支援団体のサポートを受けるなりして福祉の窓口にアクセスできれば──ありとあらゆる(合法的な)手段を使えば──屋根のあるところで寝られるし部屋だって探せる。
今年ももう師走。クリスマスだろうが年末が近づいていようが、いつもと変わらず「家賃を滞納していて、部屋を失うかもしれない」と怯えている人がいるはずだ。今回はそういう人へのエールとして本稿を書く。
大丈夫だ、フレンド。何とかなる。
クリスマス前、福祉事務所で
数年前の12月半ば。◯◯県△市役所内◎区福祉事務所の相談室──とでも呼ぶのだろう──私はそこで、家賃を延滞しているA(30歳女性、無職)と福祉事務所職員との面談に参加していた。
8畳ほどの部屋には、長テーブルが1つと、対になった4脚の椅子だけ。

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私の目的は、家賃未納により賃貸借契約が解除となった部屋から、Aを転居させること。しかし、Aにカネは無い。そこで福祉事務所へ同行して生活保護を申請させ、Aの転居費用を福祉事務所から支給させたい。
家賃保証会社の管理(回収)担当者の仕事は「(滞納した家賃を)払ってもらうか、(部屋を)出ていってもらうか」──極言すれば、それだけ。どちらかで「解決」。
彼女の部屋の賃料は高額ではないが……こういう延滞客をひとつひとつ「解決」しないと私の数字(成績)が悪化する。だから面倒でも、こんな手間をかけることもある。
面談を終えて通路に出た私は、後ろ手にドアを閉めた。先に部屋から出ている福祉事務所職員の背中に声をかける。
同時に振り返ったAには「職員に別の用があるだけ」と伝える。ひどく痩せた彼女は、小さく頷いて、黙って去っていった。
来週、職員がAの部屋に訪問する予定だ。その後は、生活保護の受給決定を待つだけ。
Aは単身世帯だが、5歳の息子がいて、同じ△市内の児童養護施設に預けられている、らしい。A自身がそう言っている。入居契約は1年前だが、同居人の記載は無い。だからそれが本当のことなのか、私にはわからないのだけれど。
彼女は「子供を取り戻せなくなるから」という理由で生活保護申請を渋っていた。面談の場でも、生活保護を受給すれば子供を戻してもらえないと信じていた。
生活保護受給で子供が戻ってこないなんて考え難い、と私と職員が説得した。

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私は、Aと、見たこともない彼女の息子を慮っているわけではない。単なる仕事として、Aをどこかに転居させたい。それだけだ。
Aの背中を見送っていた福祉事務所職員に再度、声をかける。50代の半ばといった彼は、白髪を後ろに撫でつけ、地味なスーツを着ていた。
「あの、言いづらいんですが、Aさん、ちょっとココが……」
私は右手の人差し指でこめかみを軽く2回叩いた。小学校低学年レベルの漢字も書けず、福祉事務所職員からの質問をなかなか理解できなかった彼女の姿を思い返しながら。
今回の福祉事務所への同行の約束を取り付けるまで、私はAと話をしたことがほとんどなかった。稀にSMS(SNSではない。念のため)で連絡が取れるくらい。
ちなみにAの緊急連絡先は、入居時に働いていた飲食店の上司である男性。退職しているからもう無関係だ。
延滞により明渡訴訟も視野に入ったため、AへSMSでその旨を送ったら「通話」が出来た。直接会って話すのはこの日が初めてだった。
福祉事務所職員と面談する前に、挨拶を兼ねて少しの時間、話をした。Aは「半年ほど前に自宅付近で車に連れ込まれ、レイプされた」と言い出した。初対面の男性で、警察関係者でもない私に、脈絡無くだ。
私は「警察に相談された方が良いのでは?」とだけ返答した。確たることは言えないが、平均的な知能指数と知的障害の狭間の、いわゆる「境界知能」といった印象だ。
福祉事務所職員が頷く。
「ワタシもそう思いました。話が噛みあいませんね」
普通に考えて、生活保護を申請したからといって子供を施設から戻せないなんて理屈にはならない。生活保護を受給している母子家庭など山ほどいる。経済的な理由だけなら、生活保護を受給している方が無職よりマシだろう。それが私と彼の、その場での見解だった。
彼は、施設に問い合わせてみると口にした。たぶん、Aが語らなかった何かがある。どう考えても不自然だからだ。Aには子供を施設に預ける意思がない。にも関わらず、子供が取り戻せない。それが、経済的理由だけとは考えづらかった。

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もっとも、私としてはAがどこかに転居してくれればそれで「解決」だ。
私は、児童養護施設に詳しいわけでもない。もっといえば、私に子供のことは関係無い。だから深くは考えない。いろいろあるんだろう。それだけ。その辺りは福祉事務所職員が、うまくやるさ。
「Aさんの保護受給と転居費用はお願いします」
私は軽く頭を下げた。
ちなみに「転居費用」とは、部屋の契約にあたって不動産会社や家賃保証会社、保険会社へ支払う費用、そして引越し業者への代金のことである。
生活保護受給者が希望すれば、住宅扶助の上限額内の部屋に転居する。上限や条件はあるが、転居費用は福祉事務所から支払われる。
ではその転居先で、延滞により部屋の契約が解除となり、退去せねばならないとしよう。その場合、福祉事務所から再度の転居費用は支給されるのか? いったん自治体や支援団体等が運営する施設に入ってからでないと支給できないのか?
福祉事務所職員に面と向かって問えば、「家賃滞納で部屋の契約が解除なら(部屋に住み続けたままでは)転居費用は出せませんよ」と答えるだろう。
しかし、そうはなっていないケースがある。私にはココが本当に謎で──私が見聞きした限りでは、時期や延滞客の状態、福祉事務所次第なのだ。
違う見方をするなら、住居を失い、仮に現地の支援団体からも見放されたとしても、他県にでも行けば屋根のあるところに寝たり、改めて生活保護を受給して部屋を探したりもできると言えるのだ。
話を戻そう。
その後、ひと月も経たずにAは転居した。転居費用も福祉事務所から支給された。私にとっては「解決」。
退去明渡後の債権回収を担当する、家賃保証会社の別部署はそうではないだろうが、私自身は彼女のそこから先を知らない。
彼女が今年(2024年)のクリスマスを息子と過ごせていたら良いな、と私は思う。けれど、私が何かしらの代償を払ってまでもそれを願うかと言えば、否。所詮、その程度の感傷だ。
延滞客は「そこ」にいるのか
同時期に対応していた、別の男性の話をしよう。
木造2階建てのアパートに住むBは、NPO法人のサポートを受け、△市に転入。生活保護を受給しており、初回の家賃から延滞。すでに部屋の契約は解除されている。福祉事務所やNPO法人もBとは連絡が取れない。
来月(1月)分からの住宅扶助は停止。保護費(生活扶助)も手渡しへと支給方法が変更される。
ただ、部屋は使用され続けていた。
12月下旬、福祉事務所の職員と相談し、一緒に訪問する約束をした。△市◎区福祉事務所はフットワークが軽い。
私の目的はもちろん、Bとの接触である。部屋にいるかもしれない。直接話をしたい。部屋から出ていってほしい。
誰もBと連絡が取れない。「心配だから」室内も確認しよう。それが今回の訪問──そして不在でもドアを開ける理由だ。
アパートの外壁は薄いグレー。塗装どころか外壁が削れ剥がれている箇所がある。建物の入口は大きなドアになっていて、開くと毎回、耳障りな音が鳴る。
昼でも暗い通路。夜でも照明が一部しか点かない。スマホのライトを灯して歩く必要があるほどだ。歩くだけで床が軋む。うるさくて住民が出てくるのでは無いか? そう心配になるほどの大きな音が響く。

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階段に向かう途中に集合ポストが設置されている。「203」と、前面に太い黒マジックで雑に書かれた銀色のポストを開ける。空。再び大きな音を響かせて、階段を昇った。
203号室のドアの金具に貼ったテープは捻じ切れていた。前回訪問したのは1週間前。つまりその間にドアの開閉はある。
ガスメーターはずっと停止していた。Bが入居してから、開栓したことがあるのかもわからないが。
1階に戻り、通路の床に埋め込まれたボックス内の水道メーターを開く。数値の変動は、部屋の使用を裏付けていた。
アパート前の道路へと戻る。Bはいま203号室内にいるのだろうか?
ちなみに、Bが契約時に持っていた携帯は、コールすらせず英語のアナウンスが流れるのみ。延滞発生直後からだ。BをサポートしたNPO法人から、「携帯電話はレンタル品ですでに使用できないはず」と先月教えてもらっている。
人が近づく気配を感じ、視線を左に向ける。男性が自転車で近付いてきていた。首から下げたストラップから、福祉事務所の職員だとわかる。30代半ばといった中肉中背の男性。挨拶も笑顔も明るい。
今回、(実際はともかく建前として)私は「福祉事務所職員の付き添い」である。だからドアを開けるにしても警察は呼ばない。
福祉事務所職員が呼びたいのならそうするが、わざわざ私から「警察を呼びましょうか?」なんて言わない。時間がかかるのは嫌だから。
福祉事務所職員と同行して室内を確認するのなら、入居者が不在だったとしても、「□□がなくなった。~~を盗まれた」などと言いがかりをつけられることもないだろう。
職員が203号室のドアを叩いた。Bの名前を呼び、名乗る。
3度繰り返して出てこなければドアを開けよう、と私は考えていた。アパートに入る前に、職員とも合意している。部屋のカギは私が不動産会社から借りてきている。
出てこない。開けるか……。

PHOTO:z-zzz / PIXTA
バッグの中のカギに指先が触れる。同時に、足音が聞こえた。
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