これまで何度も訪問して、何の反応も無かったドアが開いた。

半開きのドアの隙間からBの顔が見えた。細面。無精ひげ。伸びた髪。本来はグレー単色なのだろうが、食べこぼしたシミで斑点模様となっているスウェット。

職員と立ち位置を変える。靴下のまま三和土に立っているBへ、私は名刺を渡した。薄く笑顔を浮かべて丁寧に挨拶。ドアを大きく開けた。背後の職員からもBが見えるように。

北陸にある母親の墓参のため、連絡ができなかったとBは言った。しばらく滞在していたから、住宅扶助(家賃)も生活扶助(生活費)も使ってしまったと。まあ、嘘だろうが。

何せ訪問するたびにドアの開閉はあり、水道メーターも動いていたのだから。しかし、それを指摘しても仕方ない。論破することに意味はない。

必要ならしなければならないが、大抵の場合はむしろ有害だ。私がやらねばならないのは、延滞客が晒している状況から「解決」に向けた話をその場で組み立てること。

部屋の契約は解除されている。退去しないなら来月には提訴する。

必要なものを持って、退去してくれ。残置物はこちらで処分しておくから。今すぐとは言わない。今月末──つまり年末までに出て行ってくれ。部屋のカギは私宛に郵送してもいいし、集合ポストに置いていってもいい。

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今は12月下旬だ。私はこれからもっと忙しくなるし、年末年始はさすがに休暇である。部屋の明渡とカギの受け取りになど行きたくない。だからこの結論に着地させる。

Bは全てに「はい」と答え、神妙な表情で「部屋を明渡す」という書面にサインをした。全く躊躇いが無い。

大抵の延滞客の場合、「来月支払う」「出て行くなどいますぐには決められない」だの言い出す。初対面なら尚更だ。それが無い。私は微かに違和感を覚えた。

書面は、今月末で部屋を明渡し、残置物は処分してもらって構わないという内容。私は時折、職員を振り返り確認をしながら話をしている。

転居費用は出せないこと。彼を転居させたNPO法人はもうサポートを拒否しており、△市内の他の支援団体も同様だったこと。

BをNPO法人等の施設に入れることは可能か? それは、先ほど職員と会ってすぐに、Bとはこれまで無関係の支援団体に、念のために電話で尋ねていた。

「そんな人は△市ではもう(サポートは)無理ですよ。よそに行くしかないんじゃないですか? そういう人には、厳しく対応すべきです」

電話に出た女性の答えはそれだけだった。

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Bの手持ちは2万円である。それを支払わせても良いのだが、円満な退去の約束を私は優先させることにした。今後も付き合いがそれなりに続く福祉事務所の職員に良い印象を与えたかった部分もある。

2万円では、私の数字にほとんど影響しないからでもあるが。

「言いにくいですが、Bさんは、△市ではもう転居費用も出ないし施設にも入れないわけです。別の県とかに行って、またNPO法人とかに頼るのが良いと思います。本当に年末になれば役所も閉まりますから、なるべく早く」

「どこに行けば良いんでしょうか?」

何も決めていないのに部屋を明渡す書面にサインしたBが、私に尋ねた。

知るかよ。寒いから暖かい所に行けばいいんじゃないの? フロリダとかモーリシャスなんてどう? 私は行ったことないけど。

「例えば地元の==県とか? 地元でもないココに居続ける理由は無いでしょう?」

「実家はもう無いですし」

ひどくハッキリした声でBが答える。知ってるよ。さっき聞いたから。じゃあどこに行きたいんだよ?

年末までには、必要な荷物を持って退去してくれ。カギは私宛に郵送か、ポストの中に置いておけばいいから。それが結論。

「はい」「わかりました」とBは答えた。書面にサインもした。あまりにスムーズ。だからこそ、違和感は強くなった。

彼は退去しない。何をするわけでもなく、何ができるわけでもなく、居続ける。矛盾する表現だが、何となくの確信。

しかし退去には同意している。であれば、今この場で私にできることはこれ以上、無い。

果たされなかった約束、その後の行方は

年が明けて1月。203号室のドアの前に立って、小さく歎息する。

アパートから道路に出て、ポケットからスマホを取り出した。電話の先は△市◎区福祉事務所。Bの担当職員に電話を取り次いでもらう。

「Bさんですが、まだ部屋使ってますね」

私は3日前にも訪問している。3日ぶりのこの日、ドアの開閉、水道メーターの変動ともにあった。カギは私へ郵送されてきていないし、ポストは空だ。

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「うそー!」

職員の大きな笑い声が聞こえた。面白がるというより、明るい苦笑といった音。

「Bさん、1月分の保護費は取りに来たんですか?」

「出て行くってお話でしたし、連絡もないからもう保護は廃止されてますよ」

それで良い。アパートを見上げる。Bに収入は無い。間違いない。いずれ本当に心底から窮まって、諦めて、出て行く。それがいつかが問題ではあるが。

なぜ収入が無いと言い切れるのか? バイトでもしているかもしれないじゃないか。Bは五体満足。知能が著しく劣後している様子もない。1度しか会ったことがないのに何故そんなことが言い切れるのか?

1度会っているからだ。

カネをどこからか借りる可能性はあるが、働くことはない。なぜかって? そういう人間だからだ。

説明になってない? そうだろう。同感だ。だがBは、そういう人間なのだ。いつから、どうして、「そう」なのかは、知らないが。

私の確信を、あなたは偏見だと思うだろうか? Bへの侮蔑だと感じるだろうか? 差別だと断じるだろうか?

あなたが思う通りなのかもしれない。偏見、侮蔑、差別。そのものなのかもしれない。私は視野狭窄に陥っているのかもしれない。それでも、あなたが普通の感性をもって私の立場でBと会えば、同様の見解に至るはずだ。

もっとも、私だってそうなってしまう可能性は大いにあり得るのだ。私は現在のところたまたま、一応は働いているだけである。

続いて、不動産会社に電話をかける。

「Bさんですけど、部屋は使用されてますね。連絡は取れないです」

「ああ、そうですか。ウチにも何の連絡もないですね」

「先月末にお送りした裁判準備の書類ですが……」

「オーナーに印鑑はもらいました、すぐ送り返します」

私は礼を伝えて電話を切った。

今朝、会社の上司と交わした会話を思い返した。Bが部屋を使用し続けていたら、どうする?

「いったんは訴訟します。でも断行(いわゆる強制執行)までにBはどこかにいなくなって、(残置物を当社で)撤去して終わりになると思います」

私が会社から求められているのは、数字。達成せねば社内で晒し者になる。罪人だ。しかし、だからといって、数字のためでも無理に部屋から追い出して問題化すれば、やはり会社は私を処罰する。

私は木っ端会社員。いつでも取り換え可能な歯車。ただ朽ちていくだけの部品。だからこそ、私の生活が破綻しかねない選択だけは、してはならない。

再び、アパートの入口に足を向ける。

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203号室を先ほどより強めにノックする。反応は無い。いま室内にBはいるのか、いないのか。 

軋む廊下を歩く。振り返り、Bの部屋のドアへ視線を投げた。

ここに居続けてどうなる? 早くどこかの支援団体や福祉事務所へ助けを乞うしかないだろう? それがアンタにできる、精一杯の新年の過ごし方だろう?

結局、Bは2月に入る前にどこかに消えてしまった。今もどこかで生活保護を受給し、生きているのだと思う。

それは悪いことでも珍しいことでもない。

冒頭で書いた。本稿は、部屋を失うかもしれない人へのエールだと。

どこがなんだと思われるかもしれない。

しかし、本稿に登場した誰も、無理矢理に、予測できないタイミングで部屋を奪われてはいない。良くも悪くも日本の法律はそういうもので、ココはそういう国である。然るべきところに支援を求める時間は与えられている。

だから、この年末に「家賃を滞納していて、部屋を失うかもしれない」と怯えている人がいたら、ありとあらゆる手段を尽くして、支援の窓口にアクセスして欲しい。

ネット媒体に掲載された本稿を読めるあなただ。手段はあるし、時間も残されているはずだ。

2023年12月に開始したこの連載も、これで10回目。記事を読んでくださった皆さまに感謝を。ありがとうございました。

良いお年をお迎えください。

(元家賃保証会社社員・0207)