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「壁」問題に注目が集まっているが、「103万円の壁」「106万円の壁」「130万円の壁」などがあって、なんのことかよくわからないひとも多いだろう。

「103万円の壁」は所得税にかかわり、所得税・住民税を納めているすべての納税者に影響が及ぶ。「基礎控除の引き上げで、地方税を含めれば7~8兆円の大規模減税になる」といわれているのはそのためだ。

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それに対して「106万円の壁」「130万円の壁」はパートで働いている主婦など主に「第3号被保険者」にかかわる問題だ。

とはいえ3号被保険者は(毎年減りつづけているものの)720万人おり、この制度を廃止すると、(2号の夫と3号の妻を合わせて)およそ1500万人に影響が及ぶ(このうちパートなどで働いている3号被保険者は90万人)。

ほぼすべての会社員が社会保険に加入している以上、厚生年金や会社の健康保険(組合健保、協会けんぽ)の制度変更は他人事ではない。

そこで、日本の社会保険制度が会社員にとってどのようなものなのか、できるだけわかりやすく説明してみたい。なお、以下の記述は会社員にとってかなり不愉快なものであることをあらかじめお断りしておく。

『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』などマネー関連書籍のベストセラー作家、橘玲氏が話題の時事ネタを独自の視点で考察する。

常態化する「ステルス増税」

かつては、自営業者が加入する国民年金・国民健康保険に比べて、会社員が加入する社会保険は「会社が保険料を半分払ってくれるから得だ」というのが常識だった。

だが最近は、このような説明をほとんど見かけなくなったことに気づいているだろうか。

社会保険料の料率は(年金・健康保険を合わせて)およそ30%なので、平均的な会社員が支払う社会保険料は、20代(年収350万円)で100万円、30代(年収450万円)で135万円、40代(年収510万円)で150万円、50代(年収600万円)で180万円になる。

このうち半額が給与から天引きされ、残りの半分を会社負担分として納付するが、経営者からすればこれは人件費コスト以外のなにものでもない。

あなたは給与明細を見て、多額の社会保険料を払っていることに愕然とするだろうが、現実はさらに過酷だ。あなたが払っている社会保険料は実際にはこの倍で、そのうち半分が「会社負担」という名目で「見えない化」されているのだ。

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人類史上未曽有の超高齢化によって日本の財政は逼迫しており、社会保険の負担は大幅に上がっている。20年前の2004年当時、厚生年金の保険料率は13.934%だったが、それが現在は18.3%になっている。

同じく中小企業が加入する協会けんぽの保険料率は、40歳以上が支払う介護保険料込みで(自治体の平均で)9.31%から11.6%に上がった。

これをわかりやすくいうと、年収600万円として、20年前は(ボーナスをならした)月額50万円の給与に対して140万円ほど(厚生年金83万6000円+健康保険55万8600円)の社会保険料を支払っていたのが、いまは179万6000円(厚生年金110万円+健康保険69万60000円)になっている。

自己負担分はこの半額なので、給与から天引きされる金額は、20年前の70万円に対して現在はおよそ90万円。同じ600万円の収入に対して、20年間で年20万円、月額1万7000円ちかく天引きされる社会保険料が増えているのだ。

さらにこの間、保険料率が適用される収入(標準報酬月額)も引き上げられてきた。

その結果、かつては「年金や保険料は上限があるから、年収が増えてもそれ以上取られることはない」とされていたのが、現在は厚生年金の上限が年収およそ800万円で年143万円(自己負担71.5万円)、協会けんぽが年収およそ1600万円で年166万円(自己負担83万円)になり、高所得の会社員の負担が増している(この上限額をさらに引き上げることが検討されている)。

これを会社の側から見ると、年収1600万円の社員1人に対して、労使計で300万円もの社会保険料を納めなくてはならない(社会保険料の割合が年収の30%を下回るのは、厚生年金保険料が年収800万円で上限に達するため)。

あなたが給与明細を見て、「会社はベースアップしたというけれど、手取りは逆に減っているじゃないか」と疑問に思ったら、その理由は増税ではなく、社会保険料の負担増だ。

消費税を上げるのは国会で紛糾必至で、政権がいくつもつぶれるが、社会保険料率の引き上げは厚労省の一存でできるので、この「ステルス増税」が常態化している。

国家に「没収」された社会保険料、どこへ消えた?

それでも、「たくさん年金保険料を払えば、そのぶんたくさん年金を受給できるからもとは取れる」と思い直すかもしれない。

だが残念ながら、これはなんの慰めにもならない。会社員が払う社会保険料は、年金も健康保険も、そのおよそ半分(すなわち会社負担分)が国家に「没収」されているのだ。

厚生年金の場合、この「没収」は毎年送られてくる「ねんきん定期便」にはっきり記載されている。

ねんきん定期便には、「これまでの保険料納付額(累計額)」の欄があるが、ちゃんと見ると、そこには「(被保険者分)」とある。

だがあなたは、会社負担分の年金保険料も支払っている。それにもかかわらず、ねんきん定期便の「納付額」からは、これまで納めてきた年金保険料の半分(会社負担分)がまるごと消えてしまっている。

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なぜこのような詐術が行なわれているかは、ねんきん定期便にある「これまでの加入実績に応じた年金額」を見るとわかる。平均寿命までに受け取る将来の年金額は、おおよそ保険料納付額の2倍になっているはずだ。

これだけを見れば、厚生年金に入っておいてよかったと思うかもしれない。

だが自己負担と会社負担を合わせた正しい保険料納付額で計算すると、平均寿命までに受け取る年金の総額は、会社員時代に納めた保険料総額と同じになってしまう。

これは、「20歳のときに1万円を預け、それを国が運用して、45年後の65歳になっても受け取るのは1万円」ということだ。

日本のサラリーマンがいくら従順でも、この実態を突きつけられたら怒り出すだろう。だからこそ、ねんきん定期便の保険料納付額から、会社負担分を消してしまわなければならないのだ。

これは日本社会における最大のスキャンダルのひとつだが、不思議なことに政府・厚労省はもちろん、メディアや識者もこの「事実(ファクト)」にぜったい触れようとしない。

それでは、会社員が加入する健康保険はどうだろう。これについては健康保険組合連合会が傘下の1353組合の経常収支の合計を報告しているが、それによると2024年の予算は6578億円の大幅な赤字になっている。

その理由は高齢者の医療保険を支援するために健保組合が納める拠出金で、65歳以上75歳未満の「前期高齢者納付金」が1兆6003億円(前年比5.72%増)、75歳以上の「後期高齢者納付金」が2兆2769億円(同3.81%増)で、合わせて3兆8772億円もの巨額になっている。

保険料(義務的経費)に占める負担割合は43.8%で、そのうち239組合(17.66%)は高齢者拠出金の割合が50%を超えている。

これをわかりやすくいうと、会社員のあなたが30万円の保険料を支払うと、そのうち15万円以上が高齢者の医療・介護費として国に「没収」されているのだ(社員の平均年齢が若いほど拠出金の割合は高くなる)。

このようにして、「社会保険は保険料が労使折半だから得」との説明はいつのまにか消えていったのだ。

「106万円の壁」撤廃は「消費税増税」と同じ効果

パートやアルバイトを雇用する会社は、一定の基準を超えると従業員を社会保険に加入させなくてはならない。これが「106万円の壁」だが、厚労省は、2026年10月にこの収入要件を撤廃することで壁をなくそうとしている。

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さらには、「従業員数51人以上」としていた企業規模要件も27年10月に撤廃し、会社の規模や労働者の収入にかかわらず、週の所定労働時間が20時間以上のすべてのパートを社会保険に加入させることが義務づけられることになる。

だがこれだと、社会保険料の分だけ手取りが減ってしまうので、年収156万円未満の場合は、会社側が保険料の8割、あるいは9割を肩代わりできるようにするのだという。

「手取りを増やす」という政府の方針に逆行しているという批判を避けるために、会社の負担を増やして、そのぶん個人の負担を下げようとしているのだ。

「106万円の壁」撤廃には、「就業調整の必要がなくなって人手不足が緩和できる」「将来の年金受給額が国民年金よりも増え、低年金による貧困化を避けられる」というメリットがあげられる。

どちらも間違いとはいえないが(労働時間を延ばして収入が増えれば、それに応じて家計は楽になる)、厚労省にとってはそれ以外にも大きなメリットがある。

ひとつは、会社に年金・健康保険料の計算と徴収をアウトソースすることで、一人ひとりから国民年金・国民健康保険の保険料を徴収することに比べて、圧倒的に事務コストが安くなること。

もうひとつはいうまでもなく、会社が納める保険料の半分を「没収」できることだ。すなわち「国民総社会保険化」は、厚労省にとって「一石四鳥」なのだ。

だがこれは、パートに依存するスーパーやレストランチェーン、中小企業には大きな負担になる。その赤字分を商品やサービスの価格に転嫁すれば、物価はさらに上がるだろう。すなわち、社会保険の加入拡大は消費税増税と同じ効果があるのだ。

ところが国民は、消費税を数パーセント上げることには大騒ぎするものの、こうした「ステルス増税」には関心を示さない。

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それに加えて厚労省は基礎年金を「底上げ」するために、会社員が加入し財政的に余裕のある厚生年金の積立金を、自営業者などが加入し財政が逼迫する国民年金の積立金と統合しようとしている。要するに、厚生年金の積立金を「流用」して国民年金を救済するのだ。

このように日本の社会保険制度の実態はとてつもなく理不尽だが、ここまでしないと、ぎりぎりで生活している低年金の高齢者が大挙して生活保護を申請し、社会保障制度が崩壊してしまう。

健康保険も事情は同じで、貧困層が医療費を支払えず、病院で治療を受けられなくなれば社会は大きく動揺し、与党の政治家は次の選挙で落選するだろう。

超高齢社会では、社会保険制度をなんとか維持するために、国は取りやすいところから保険料を取るしかない。このようにしてサラリーマンは惜しみなく奪われ、今後、すくなくとも20年はさらに奪われつづけることになるだろう。

橘玲