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これまで「103万円の壁」撤廃が現役世代への大規模な減税であることと、「106万円の壁」問題では厚生年金と会社の健康保険(組合健保/協会けんぽ)の保険料の半額が国に「没収」されていることを指摘した。

今回は「130万円の壁」について、「そもそも扶養とはなにか?」という疑問から考えてみたい。そこから、日本の社会保障制度が近代の市民社会ではあり得ないような不公正な仕組みであることが見えてくるだろう。

『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』などマネー関連書籍のベストセラー作家、橘玲氏が話題の時事ネタを独自の視点で考察する。

「家父長制」を維持するための保険制度

日本の社会保障制度は複雑怪奇で、これが「壁」問題を理解する妨げになっているので、まずは年金加入者に「1号」「2号」「3号」の区分があることから説明をはじめる必要がある。

日本国内に居住する者は、国籍にかかわらず、20歳になると年金保険料を払わなければならない。国民年金加入者を「第1号被保険者」といい、原則、20歳から60歳(の誕生日の前月)までの40年間加入する。

大学在学中の保険料は納付特例制度によって猶予されるが、これだと60歳時点で満額を納めることができず、そのぶん受給額が減ってしまう。そのために追納制度があり、過去10年分まで遡って保険料を納付できる。

また国民年金保険には任意加入制度があり、60歳から65歳までの最大5年間、未納分の保険料を追加で払うことができる。

40年分の保険料を納めると、(現在の基準で)65歳から月額6万8000円(年81万6000円)の国民年金を受給できる。

20歳以上の日本国居住者が社会保険のある会社に就職すると「第2号被保険者」になって厚生年金に加入する。厚生年金の保険料は収入(標準報酬月額)によって決まり、労使が折半で支払うことになっている。

保険料は国民年金より高くなるが、その代わり「2階部分」と呼ばれる老齢厚生年金を受給でき、老後に受け取る年金は国民年金より多くなる。

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ここまではわかりやすいが、「壁」問題が生じる元凶になっているのは、「第3号被保険者」の存在だ。

これは会社員(第2号被保険者)世帯の専業主婦が、年金保険料を支払っていなくても、国民年金と同額の年金を受け取れるという制度で、1986年に国民皆年金の確立を目指して基礎年金が導入されたときに、それとセットで始まった。

それまで任意加入だった被扶養配偶者(専業主婦)が無年金になるのを防ぐために、夫が厚生年金に加入しており、妻が一定以下の所得の場合には、保険料を支払わなくても年金を受給できるようにしたのだ。

――この成立過程からわかるように、第3号被保険者制度は、「夫が働き、妻が子育てを専業にして家庭を守る」という『性役割分業(家父長制)』を維持するためのものだった。

第3号被保険者制度は、厚生年金に加入する者のなかでの再分配なので、会社員の専業主婦の年金保険料は、(3号被保険者とは無関係の)独身の会社員や、共働きで妻が「3号」から外れた会社員が肩代わりしている。

これに対しては、「年収600万円で専業主婦のいる世帯と、夫婦ともに年収300万円(世帯年収600万円)の共働き世帯を比較すれば、支払っている保険料は同じなのだから、保険料の肩代わりは起きていない」との反論があるが、これは詭弁だ。

無から有が生まれるわけはないのだから、3号被保険者の国民年金保険料は誰かが払うしかない。

年収600万円で専業主婦のいる世帯と比較すべきなのは、正しくは年収600万円の独身世帯や、夫(あるいは妻)が年収600万円の共働き世帯だ。

夫が支払う厚生年金保険料のなかに配偶者の国民年金保険料が含まれているのなら、独身世帯はその分だけ厚生年金保険料を減額されるはずだし、共働き世帯の配偶者が基礎年金に相当する保険料を納める理由もなくなる。

健康保険制度のキホン

第3号被保険者制度は年金の話だが、その矛盾をさらに拡大するのが健康保険制度だ。

国民皆保険の日本では、公的健康保険の保険料は生まれたときから死亡するまで全員が納付することになっており、国民健康保険の場合、就学年齢までは減免制度(均等割保険料の半額)があるが、小学生以上は大人と同額になる。

国民健康保険の保険料の内訳は「医療分」「支援分」「介護分」に分かれている。

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病院での治療・入院費や薬代に適用される保険料は「医療分」で、それに対して「介護分」は介護保険の財源となり、40~64歳は国民健康保険と一緒に納めるが、65歳以降は別途、介護保険料を納付する(65歳以降は要介護認定によって介護サービスを受けられるようになるからだ)。

支援分は後期高齢者医療制度の支援金として2008年に創設されたもので、医療分と合わせてゼロ歳から74歳まで支払う(75歳以降は後期高齢者医療制度に移行し、その保険料を払う)。

厚生年金の加入年齢は最長で70歳までで、60歳以上で退職した会社員は厚生年金から抜け、国民年金保険料を納める必要もない。

一方、健康保険の支払いは『終身』なので、会社の健康保険から抜けると同時に国民健康保険に加入し、その保険料を納めなければならない。

国民健康保険の保険料の算定方法は自治体によって異なるが、東京23区の一例では、均等割(定額分)は1人あたり医療分が年4万9100円、支援分と介護分が年1万6500円。

小学生以上の子どもの保険料は医療分と支援分の均等割の合計年6万5600円で、未就学児はこの半額の年3万2800円だ。

収入がある場合は、均等割に加えて、所得金額に対して医療分8.69%、支援分2.8%、介護分(40歳以上)2.36%の合計13.85%の所得割が課せられる。保険料の上限は年106万円だ(医療分65万円、支援分24万円、介護分17万円)。

世帯全員が保険料を納めなくてはならない国民健康保険の負担はきわめて重いが、多くのひとにこの実感がないのは、会社の健康保険に加入しているからだ。

組合健保や協会けんぽは、専業主婦や子どもなどの被扶養者に無料で健康保険を提供している。すなわち、3号被保険者(会社員の専業主婦)は、年金保険料だけでなく国民健康保険料を納める必要もない。

年収が130万円を超えると配偶者は扶養から外れるため、会社の社会保険に加入していない場合は、国民年金と国民健康保険への加入義務が生じる。それを避けるために就業調整するのが「130万円の壁」だ。

ここからわかるように、第3号被保険者制度の問題は年金だけでなく、健康保険と合わせて考えなくてはならない。

会社員と自営業者を比較してみたら…

近代的な市民社会は、人種や身分、性別や性的指向などの属性にかかわらず、すべての国民(市民)を無差別(平等)に扱わなければならない。

この原則には誰もが同意するだろうが、そうなると次のようなケースはどのように正当化できるだろうか(以下、計算の詳細を示すが、煩瑣に思われるなら読み飛ばしてほしい)。

年収600万円の会社員の夫に専業主婦の妻と子ども2人がいるケースでは、年109万8000円の厚生年金と、69万4800円の健康保険の合わせて約180万円を支払うことで、本人の年金・健康保険以外に、妻の国民年金受給権と、妻と子どもの健康保険証を得ることができる(東京の協会けんぽに加入した場合の保険料額表による)。

その半分は会社負担なので、給与から天引きされるのは年89万6400円だ。

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それに対して同じ世帯構成の自営業者は、自分と妻の(定額の)国民年金保険料年20万3760円(月額1万6980円)に加え、本人と家族の国民健康保険の保険料を払わなくてはならない。この保険料を決める際の「所得」は、収入から基礎控除のみを差し引いた金額になる。

国民健康保険料の算定基準に扶養控除や社会保険料控除などが適用されなくなったのは2010年代からで、これによって(同じ保険料率でも)支払うことになる保険料は大幅に引き上げられた。

年収600万円の会社員の場合、給与所得控除は174万円、基礎控除は48万円なので、この会社員が仮に国民健康保険に加入したとすると、保険料を算出する基準となる所得は378万円になる。

そこで、所得380万円の自営業者に専業主婦と2人の子どもがいる世帯を考えてみよう。

自営業者世帯の負担は極端に重い

所得380万円(会社員の年収600万円に相当)の自営業者の夫に専業主婦の妻と2人の子どもがいる世帯では、国民健康保険の均等割は妻(40歳以上)が年8万2100円、子ども(小学生以上)が1人あたり6万5600円なので、3人分で21万3300円。

これに夫の国民健康保険料60万8400円(所得割52万6300円+均等割8万2100円)が加わるから、世帯全員の健康保険料は82万1700円。さらに妻の国民年金保険料(20万3760円)を加えれば、(世帯主の国民年金保険料を除く)負担は年102万5460円になる。

それに対して同じ所得レベルの会社員の場合、(世帯主の厚生年金保険料を除く)保険料(自己負担)は34万7400円で、同じ受益(健康保険と妻の国民年金)に対して自営業者の負担は3倍にもなる。

――世帯主の国民年金保険料と厚生年金保険料を除くのは、いずれの場合も年率1%程度で運用されて年金として受給できるという条件が同じだからだ(会社員は国民年金に加入する自営業者より高額の厚生年金保険料を納めているが、自己負担分だけを考えれば、この差額は年金受給額で相殺される)。

ここで、所得380万円の自営業者世帯(専業主婦の妻と子ども2人)が支払う国民健康保険料が年82万1700円(所得の20%超)では高すぎると思うかもしれない。これはそのとおりで、ネットで「国民健康保険」と検索すると真っ先に出てくる候補は「高い」だ。

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国民健康保険の保険料がきわめて高額になるのは、その金額が会社員の健康保険の自己負担分ではなく、会社負担分と合わせた金額と同じになるように決められているからだ。

このケースでは、年収600万円の会社員が納める健康保険料は労使合わせて年69万4800円で、同じ所得水準の自営業者(本人のみ)が納める国民健康保険料は、被扶養者への健康保険がないにもかかわらず60万8400円だ。

国民健康保険では被扶養者も保険料を払わなければならないので、世帯人数が多いとその負担はきわめて過酷なものになるが、低所得世帯に対する保険料の減免はほとんど認められない。

現在の減免制度は低年金の高齢者が国民健康保険料を払えずに生活保護を申請することを防ぐためのものなので、子育てをしている現役世代の事情はまったく無視されている。

このように第3号被保険者制度は、(年金保険料を肩代わりする)独身や共働きの会社員にとって不公平なだけでなく、同じ世帯構成・所得水準の自営業者に対してさらに深刻な格差(あるいは差別)を生み出している。

だがなぜか、この事実はほとんど指摘されないので、ここで強調しておきたい。

「近代のふりをした身分制社会」に物申す

日本国では、同じ所得水準の専業主婦のいる世帯でも、世帯主が会社員か自営業者かで、毎月の公的保険料の負担が何倍もちがう。

なぜこのようなことになるかというと、「会社員の夫がいる専業主婦」という社会的属性に対して大きな優遇措置が与えられているからだ。

第3号被保険者制度を擁護する場合、「子育てをしている専業主婦に社会保険料を負担させるのは酷だ」という話になる。

だがこの理屈では、子どものいない会社員の専業主婦や、子育てが終わった会社員の専業主婦が社会保険料を免除されていることを説明できないし、子育てをしている自営業者の専業主婦が、年金や健康保険料を支払っているという事実に『擁護派』が触れることはまったくない。

扶養とは、社会的・経済的に自立できない家族を世帯内で支援することをいう。子どもは働いて収入を得ることはできないのだから、親が扶養しないと生きていけない。

年老いた親の世話を世帯内で行なっていれば、施設に預けた場合よりも公的な負担は減るだろう。だとしたら、その扶養に対して税・社会保険料を減免し、世帯の負担を軽くするのは理にかなっている。

だがこれだと、「専業主婦」という属性を国家が優遇しなければならない理由はどこにもない。扶養に対して公的支援を行なうべきなのは、世帯主が会社員であるか自営業者であるかにかかわらず、子育てをしていたり、老親や障害のある家族を世話している世帯なのだ。

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このように定義すると、「130万円の壁」をどのように解消すればいいかがわかる。

まず第3号被保険者制度を廃止するとともに、国民皆年金・皆保険の原則を徹底して、会社員の配偶者も(自営業者の配偶者と同様に)所得にかかわらず年金や健康保険の保険料を納めることを義務づける。

それと同時に、これだけ「子育て支援」の必要が叫ばれているのだから、国民健康保険に加入する自営業者に対しても会社員と同様、子どもの健康保険を無償化すべきだ。

――そもそも自営業者は、会社負担分を加えた会社員の保険料と同程度の負担をしているのだから、扶養家族の保険料を別に払わなければならないのは理不尽だ。

「優遇するのは(会社員の)専業主婦ではなく子育て世帯」とすれば、子どもがいなかったり、子育てが終わった専業主婦にまで年金・健康保険料を免除するという大きな矛盾はなくなる。

そもそも近代的な市民社会で、健康で特段の事情のない市民(専業主婦)を子ども扱いして、夫に扶養されることを当然とする制度がグロテスクなのだ。

このような不公正な制度が現在まで続いてきた理由は、保守派が「日本の伝統」だとする家父長制・性役割分業を維持する目的以外に考えられないが、この国ではリベラルを自称するメディアや知識人、さらにはフェミニストまでもがこの事実から目を背け、ずっと第3号被保険者制度を擁護してきた。

その理由は、女が自立することを男が好まなかったからであり、女もまた自立して働くより専業主婦の方が楽だと思っていたからだろう。

だがいうまでもなく、もはやこのような前近代的で差別的な制度を存続させることは許されない。

私は日本を「近代のふりをした身分制社会」だと思っているが、第二次世界大戦が終わって80年もたったのだから、そろそろまっとうな市民社会になってもいい頃だろう。

橘玲