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私は元・家賃保証会社の管理(回収)担当者。十数年間働いて去年、辞めた。もっとも、現在まったく無関係な仕事なのかと言えば、そうでもないのだけど。

家賃保証会社の管理(回収)担当者の仕事は「(滞納した家賃を)払ってもらうか、(部屋を)出ていってもらうか」──極言すれば、それだけ。どちらかで「解決」だ。

2024年12月26日の記事は、部屋を失うかもしれない延滞客に対するエールだった。必要な人は老若男女を問わず、公的扶助を使えばいいと思う。誰が使えて、誰がダメということもない。私だって必要になれば使う。

しかし、どうにも、釈然としない気持ちになったことがある。私は今もこの結末に納得していない。

今回はその話を書いてみたい。数年前のコロナ禍真っ只中の話だ。

いとも簡単に「救われた」男

2021年4月のある日。会社に戻るとスマホが鳴った。ディスプレイにはAの名前が表示されている。ずっと連絡の取れなかった延滞客だ。

「今まですいませんでした」

電話に出ると、男の甲高い声が聞こえた。Aは40歳。延滞は3カ月分。単身世帯。入居から一度も月3万5000円の家賃の支払いはない。何度電話をしても、訪問しても何の応答も無かった。だから、このとき声を初めて聞いた。

Aが入居時に申告した勤務先は、建築会社。日雇いの作業員で、いつのまにか来なくなったと他の従業員が電話で言っていた。よくあるパターン。

連帯保証人はいない。緊急連絡先は「友人」と書かれた同年代の男。以前に働いていた会社で知り合っただけの間柄で、付き合いは無いと彼は言った。

部屋のガスは停止。電気と水道のメーターは動いていて、玄関ドアの金具に貼ったテープはいつもねじ切ていた。ドアの開閉はある。住民票は動いていない。

入居後の最初から支払わない延滞客は、改善が全くできないケースが多い。そもそも支払う意思がなかったり、単にカネがなかったり、よくわからない事情だったり。理由はいろいろだ。

コロナの影響で仕事が無くなって支払えなかった。支払えないので申し訳なくて電話ができなかった。体調も悪かった。頼る人もいない。延々と、まるでマニュアルに書かれているような「よく聞く理由」をAは喋り続けた。私は相槌を打ちながら椅子に座り、パソコンの電源を入れた。

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Aの話がひと段落したら「部屋の契約は解除になっています。住み続けることはできません。裁判の準備もされています。退去してください。どれくらいで退去できますか?」と──言い方は相手によって多少変えるにしても、その内容を伝えなければならない。そこから先は相手の返答次第ではあるけれど。

「で、T党の議員さんに相談したんです。県議会議員の。いま一緒にいますから代わります」──T党? 政治に何の興味がなくても、知らない人はいない政党名だ。第三者が出てくるパターンか。ちょっと面倒くさい。聞こえぬように嘆息する。

「Bと申します。この度はAさんがご迷惑をおかけしたようで申し訳ありません」

落ち着いた、聞き取り易い声が耳に届いた。老人だとは思うが、力強い声質だ。

私は政治に全く詳しくない。いや、多少詳しい人でも、県議会議員の名前なんて普通は知らないだろう。話を聞きながらキーボードを叩く──「◯県 県議会 議員 B(名前)」

Aの住む△市が選挙区か。

「先生は、Aさんの状況をご存じなんですか?」

私は、政治家や士業の人間に対しては「先生」と呼ぶようにしている。そう呼んでやらないと、途端に不機嫌になる人がいるから。センセイは夢見月の乙女より繊細なのだ。

「先日、相談に来られて。事情を聞きました」

マウスを数回クリックして、B議員の顔写真と略歴をディスプレイに表示させる。見てどうなるものでもないが。

「ああ、そうですか。一応ご説明しますと」──Aに伝えるつもりだった内容を話す。延滞は3カ月分あり、部屋の契約は解除されている。訴訟も準備されている。明日退去してくれといっても難しいだろうから、多少の時間は取る。

「延滞した家賃をお支払いしても裁判になりますか?」

「明日、全額払うならなりません」

提訴できる状態ではあるが、それだけだ。もっと正直にいえば、1カ月分でも支払ってきたとして、延滞は2カ月分。明渡訴訟が(条件次第だが)絶対に無理というわけではない。

が、賃料の低いAの部屋なら会社はOKしない。明渡訴訟にも費用がかかる。滞納した家賃を支払わせる、部屋を退去させる、どちらでも「もっと交渉でがんばれ」という判断をする。

「明日は無理です。ですが昨日、貸付の手続きをしてきました。近々用意できますので、お時間をくださいませんか?」

「借りる、ですか? どこから?」

緊急小口資金という返答。そりゃそうだろうな、と思った。誰がAにカネを貸す? それよりも、まだ利用していなかったことに驚いた。とっくに利用していて、使い果たしていると思っていたからだ。

2021年当時の「緊急小口資金」では、20万円を上限に借りることができた。コロナ禍により審査も緩和され、無利子・無担保・保証人なし。返済時にも困窮したままなら返済免除措置もある。不足するなら「総合支援資金」の貸付も受けられた。

「来月分の家賃も合わせて支払えます。~日まで待っていただけませんか?」

8日後? 緊急小口資金の申込から銀行口座へ振込されるまでの期間は自治体によって異なる。だから一概にはいえないのだが、◯県△市の場合は「早くて2週間」だったはずだ。

社会福祉協議会に電話で尋ねても、明確な日付の回答はしてもらえない。それが役所の常だし、全国どこでも申込は大幅に増加していた。

「そんなに短期間で?」

大丈夫です、と彼は答えた。社会福祉協議会にも聞いたと。

答えてくれるの? というより、答えがあるの? 申請が「昨日」なのに。

「できなかったらどうします?」

「その時は、何とか(お金を)用意します」

県議会議員ってそんなことまでしてくれるの? 違う。貸付が8日後までに実行される確信があるのだ。

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わかりました──と答え、金額と振込先を伝える。同じ内容をSMS(SNSではない。念のため)でAへ送った。

8日後に、「先ほど、振り込みました」と議員から電話がかかってきた。Aの電話番号からだ。隣にAがいるからだろう。やけに大きな声で。

私は苦笑しながら返した。

「本当にこんなに早くできるんですね」

「(貸付を)急いでくれただけですよ」

どうやったら急いでくれるの? 議員ってそんなことができるの?

Bは「Aの『住居確保給付金』の申請も済んでいる。だからこれからしばらくは家賃の心配は要らない」と続けた。

住居確保給付金とは、支給期間の上限はあるが、生活保護の住宅扶助分のみ支給されるもの、だ。返済の必要はない。自治体より直接、家主や不動産会社、場合によっては家賃保証会社へ支払われる。

Aの部屋の家賃は住居確保給付金の上限以下。共益費は0円。確かに、給付が続く限りは大丈夫だ。給付が終わった後は? どうせまた延滞が発生する。どうせ……いや、いま考えても仕方ない。

延滞分の家賃は支払われた。一旦は「解決」だ。

ひたすら謝り続ける、気弱な20歳女性

同時期のある日、◯県×市の曇った空の下。古びた外壁を無理矢理白く塗ったアパート。その一室の前に私は立っていた。

入居者は20歳の女性C。単身世帯。職業は大手飲食店のアルバイト。

彼女とは最初の訪問で会えた。黒髪を肩まで伸ばした、小柄な「女の子」という印象だった。その属性に「家賃延滞1カ月目」が加わるけれど。

「すいません」を、口癖のように繰り返していた。カネがない。払えない。理由は、それだけ。決して贅沢な物件に住んでいるわけではない。家賃は彼女の本来の手取り月収の3分の1程度だから。

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×市でそれ以下の賃料の物件となると、若い女性1人ではなかなか住みづらい環境になってしまう。1週間待つのでカネを工面してほしい。そして「住居確保給付金」の申請をするよう提案をした。延滞1カ月目の最初のコンタクトなので、この程度で着地する。

Cとはそれから、連絡が取れなくなった。契約書に記載された緊急連絡先(連帯保証人はいない)にも私は連絡していた。緊急連絡先の女性は、児童養護施設の施設長。Cのことはうろ覚えだった──「ああ、前に施設にいた子だと思うけど、連絡なんてしてないね」

電話には出ないCへ、現状を再認識させるための厳しめの内容のSMSも何度も送信していた。

このまま時間のみ経過すれば、部屋の契約は解除される。明渡訴訟も視野に入る。そういう文面。何の反応も無いまま、家賃1カ月分の金額の振込があった。

その後も連絡は取れないまま、翌々月に入ると、彼女から「住居確保給付金の申請を門前払いされた」という電話がかかってきた。か細い声。彼女は開き直るタイプではない。10分程度会って話しただけだが、それでもわかる。気弱な「女の子」だ。

理由を尋ねる。

バイトのシフトが激減して、収入が6万円程度に落ち込んでいたと聞いたから「住居確保給付金」を案内したのだ。「申請すらも受け付けられない」とは思えない。それが、申請すら断られた?

体調が悪いのか、時折せき込みながら話す彼女の言葉をまとめると、アルバイト先の飲食店からなんだかんだと数万円が入った。それを社会福祉協議会の窓口に伝えると、申請すらできなかった。

いや、彼女が「(相談窓口で)自分には無理と言われた」と言っているだけで、実際にどんなやり取りがあったかわからないのだが。

収入が多少ある場合、住居確保給付金の上限額は無理でも、いくらかは給付されるパターンもある。0か100かではない。にもかかわらず?

前述のAのことが頭に浮かんだ。小さく唇を噛んだ。

追い詰められた彼女が選択したのは

電話口の彼女は続けた。

「あと5日待ってください。1カ月分(の家賃)は払いますから」

アルバイト先の給料日は25日だったはずだ。まだ遠い。そして1カ月分だけ振り込んでも不足する。何より、5日後に何があるのか?

「もろ……風俗です」

誤解のないように書いておくが、私は性風俗産業に従事する人に対して悪感情や差別心は一切ない。性サービスを提供する人は絶対に必要だ。少なくとも家賃保証会社なんてものより間違いなく、必要だ。だけど……。一方では中年男性が議員に助けられているのに。

5日後、確かに1カ月分支払いがあった。

電話がかかってきた。先日よりもさらに暗い声音──「明日は休みなんですけど、あと1週間後にはもう1カ月分できると思います」

畜生。

施設を出てから一人暮らし。カネは全く足りず、多少は借金もしているのかもしれないが、それでも、安いバイト代の飲食店で今まで何とかやってきたんだろう?

「身体、大丈夫なんですか?」

回答がない。ふと、案内はしたはずなのだが……前述の制度「緊急小口資金」、そして「総合支援資金」を再度伝えた。「借金」ではあるが、サラ金だのから借りるより余程マシだ。

施設出身の彼女に対して聞くべきではなかったかもしれないが一応──頼れる親族はいるか? いるのなら、そこへ身を寄せればいい。

聞くまでも無い回答が返ってきた。だったら自分で何とかするしかない。使える制度は全て使って、自分1人で何とかするしかない。

どう考えても彼女に「もろ風俗」が向いているとは思えない。以前は、気弱な部分は隠せずとも、もう少し受け答えができていた。いまは消沈して声も朧げだ。私に風俗業界のことなど何もわからないが、それでも「向いてない」と思う。

時々しか働けてないのに(そう言っていた)このザマだ。向いてない。

電話を受けた時刻は16時。社会福祉協議会の電話受付はまだ閉じていないはずだ。すぐに電話をして、相談・申請に行く日を決めるよう促す。

できない。時間がない。これから飲食店のバイト。数時間しか働けないバイト。

彼女のいう「もろ風俗」とはデリヘルの仕事。飲食店のバイトも辞めてはいなかった。それは悪いことではないが、不規則な生活が度を越しているように思えた。

明日はどちらの仕事も休みなので、社会福祉協議会に電話をしてみると、小さな声が聞こえた。

明後日はデリヘルの仕事があるという。1週間後には1カ月分の家賃が払えると。彼女は「すいません」という言葉を呪文のように繰り返した。

いまは全くカネがない。仮に緊急小口資金を今すぐに申請できたとしてもカネが入るまでに2~3週間は必要だ。次のバイトの給料が入っても数万円らしい。全くカネがない。風俗の力が要る。畜生。畜生。

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私は「何とか生活を再建させましょう」と、小さな声で伝えた。

もしかしたら、私がここまで書いた彼女の印象は、完全に間違っているかもしれない。すぐに立派な風俗嬢になって、大いに稼いでいるのかもしれない。風俗店に比べれば全く低賃金のアルバイトをしていた過去を馬鹿らしく思い返すのかもしれない。さっさと風俗の仕事に就けば良かったと自嘲するのかもしれない。

だが私は、そうではないと思った。 彼女のことなど、ほとんど知らないけれど。

「救われる順番」が違うだろう?

その後すぐに、彼女はデリヘルで知り合った人の紹介で、違法風俗(援デリ)で働きはじめた。体調は悪いままで。コミュニケーションスキルが極端に低い彼女の選択肢としてそれが「正しい」のか、私にはわからないが。

だが結局、支払いはほぼできず、家賃の延滞は、明渡訴訟をせねばならないほどに溜まってしまった。

だから私は彼女に問いかけた。それが仕事だから。

(部屋を)出ていくか、(滞納した家賃を)払うか。イズレカヲ選ンデクダサイ。

彼女は、「最近知り合った男性」とやらの部屋に転居することを選んだ。

最後に会ったのは部屋の明渡のとき。私に部屋のカギを渡した彼女は、通路から部屋の中を見つめて、泣いていた。鼻をすする小さな音が何度も聞こえた。

その後は、知らない。

私は冒頭に書いた。必要な人は公的扶助を使えばいいと思うと。だがこうも思うのだ。順番があるだろう? と。

「お前が言える立場か?」「Cを部屋から追い出したのはお前じゃないか」と言われたら、その通り。返す言葉はない。私は間違いなく、彼女を追い詰めた歯車の1つだ。

私はCに対してアドバイス程度はした。しかしサポートはしていない。やろうと思えば住居確保給付金や他の申請に付き添うこともできたはずだ。だが彼女とは連絡が取りづらく、その発想にならなかった。

記事として読むとそうは思えないかもしれないが、Cとは意思の疎通が本当に難しかった。まず電話にはほぼ出ない。出ても、センテンスが短すぎて意味が判りづらく、「すいません」だけ、沈黙のみが返ってくることも多い。時折届くSMSは意味が読み取りづらく、こちらから送信しても返ってくるのは早くて数日後。返信されないことがほとんど。

私には他に仕事はたくさんあって、木っ端会社員なのだ。コロナだろうが何だろうが変わらず業務があり、当然に数字がある。

いや、これは私の言い訳か。何に、誰に対してかはわからないが。

そう、本当に、本当に、私が言えた立場ではない。それは自覚している。

だけど。救われる順番が、違うだろう?

それでも、そう思ったのだ。

(元家賃保証会社社員・0207)