
PHOTO:スイマー / PIXTA
裁判と聞くと、非日常的な世界を想像する人も多いかもしれない。しかし、裁判は平日毎日のように行われており、決して珍しいものではない。また、その内容は私たちにとってごく身近な話であることも多い。
この連載では、年間1000件の裁判を傍聴する「普通」さんに、不動産や賃貸業に関わる裁判で見聞きしたことを記してもらう。すべて実際に起きた事件・紛争だ。
トラブルの原因や裁判で争った点など、ぜひ自分事に置き換えて考えてみてほしい。
◇
「管理会社に修繕の依頼をしているのに、全然対応してくれない」
居住者と管理会社のこのようなコミュニケーションのすれ違いは、日本全国で日常的に起きているのだろう。トラブルの芽は早期に摘み取れればいいが、残念ながら思わぬトラブルに発展してしまうこともある。
2024年6月に大阪地方裁判所で行われた刑事裁判は、まさにそのようなことを思わせるものであった(2024年6月初公判、同年7月判決)。
この裁判の被告人(事件を起こしたと疑われている人物)は、自身が居住する部屋の修繕の対応で管理人に不満を持った結果として、自身の部屋でティッシュに火をつけ、その炎を柱に燃え移らせる「非現住建造物等放火事件」(犯人以外がいなければ「非現住」となる)を起こした。
幸いにも火はすぐ消され、怪我人などはいなかったが、消防車も出動し、1歩間違えれば大惨事となる可能性もあった。
裁判では、「放火といった大事件を起こそうと意思決定せざるを得ないほど、管理人の対応は杜撰であった」と、被告人側の主張が展開されるかと思われた。
しかし、裁判が進むにつれて明らかになっていったのは、むしろ管理人の日常の苦労を感じさせるような、被告人の身勝手とも言える考えであった。
ちなみに、裁判の中で「管理人」という言葉が使われていたが、大規模マンションに常駐するような管理人とは異なるように思われた。被告人が管理会社の担当者と混同しているのかもしれないが、真偽を確かめようがないため、裁判中に聞いたことそのままで記載する。
自殺する目的で火をつけた
被告人は、舞台となったマンションに住む60代後半の男性。裁判での話し口調や態度は、傍聴席からは若干ふてくされているような印象を受けた。
裁判ではまず、検察官が犯罪事実の立証を行う。それによると被告人は、婚姻歴はなく、生活保護を受給しながら単身で、事件となるマンションに6年ほど前から居住していた。
捜査機関の取調べ証拠によると、被告人はマンションの管理人に対し、日々の対応について不満を抱いていたという。
事件の3カ月ほど前には、被告人宅の鴨居(かもい=障子や襖など、引き戸の上枠にあたる、溝が掘られた部分)が壊れたため、管理人に修理を依頼したが、対応がなされないことにストレスを溜めていた。
また、それまで無料だったマンション内の駐輪場が、有料になったのもストレスの原因であったという。

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その溜めこんだストレスを発散する場もなく、また相談する相手もいなく、将来を悲観し、自殺をする目的で火をつけたとのことだ(どう考えても論理が飛躍しているが)。
火を付けたのは、「お前のせいでこんな風になった(被告人供述より)」と、管理人に示す目的もあったという。
しかし、実際に天井まで上がった火を見て恐怖を感じ、被告人自ら洗面器で汲んだ水をかけるなどして消火活動を行った。
事件当時、被告人と同じフロアには10世帯、マンション全体では約30世帯が居住していた。消防隊がかけつけたときには火は消えていたという。
火災により、その部屋は修繕が必要となり、一定期間入居者を入れられなくなる。捜査機関の取調べに対し、管理人側は、その影響の大きさから被告人への厳重処罰を望んでいた。
さらに管理人は、被告人のことを「よく偉そうに文句を言う人」などと語っており、それまで設備故障の修繕だけでなく、台所の蛍光灯の交換も求められていたという。
鴨居の修繕については、すでに修理の手配はしており、駐輪場の有料化についても近隣に建つ高齢者施設の関係で、駐輪場を整理する必要性から行ったものだ、と管理人側は主張した。
以上が検察官が主張する、事件の大まかな概要であった。
「管理人にムシャクシャしていた」
検察官の立証が終了すると、続いて弁護側から被告人に質問が行われた。これは、基本的には被告人に有利になるように行われるものだ。
まずは放火に至った経緯を確認する。
弁護人「どうして火をつけたのですか」
被告人「もうここに住むのも嫌になって」
弁「それだけが理由ですか」
被「管理人にムシャクシャしていたのもあって」
弁「どうしてムシャクシャしていたのですか」
被「壊れた鴨居を直接見せたのに、それを直しに来ないんです」
苛立ちの原因は、あくまで鴨居の修理の件と主張する。

鴨居のイメージ(PHOTO:kimtoru / PIXTA)
先ほどの検察官の主張によると、管理人は修理の手配を済ませているという話であったが、その点についての被告人の認識は深掘りされなかった。
弁「駐輪場はもともとお金がかかっていたんですか」
被「いいえ。契約書にも書いていないことを急に請求してきたんです」
一般的に、何の通知もなくということは考えにくい。通知はされていたものの、被告人にとってはそれがわかりにくかったか、それとも受け入れがたかったのか、そのように主張していた。
別の質問では、「相談する人もいないし、自分で考えるしかなかった」と答えており、生活保護担当のケースワーカーにも「友だちができない」と相談していたようだが、管理人への不満など、生活についての相談はしていなかったという。
日々の不満を解消する術を見出せないままストレスを溜めこみ、管理担当者に対する恨みを募らせていたのかもしれない。
こうした被告人の話から、弁護人は、最終弁論で、「急な駐輪場の有料化などから、借主という弱い立場である被告人がストレスを抱えた」と、事件の一因を挙げていた。
傍聴席にいた私は、ここまでの話を受けて、そういった側面は否定しきれないものの、被告人自身が管理人に対し、相談者がいない鬱憤晴らし、はたまた相談相手になって欲しいという思いがあったようにも感じた。
弁護側の質問の最後に火をつけたことを謝罪し、別の家を探すと答えた被告人。しかし、明確な解決策を見出せていない中、被告人の今後に少し不安な印象を覚えた。
周りへの不満ばかり語る被告人
弁護人の次に、検察官からも質問がなされる。ここでは、過去の事象も含めて、改めてストレスの原因について確認していった。
確かに、ストレスを溜めていたにしても、それを理由にして放火に至るとはいささか突飛な印象である。検察側の質問には、より詳しく事件の原因を探る目的があったのではないか、と私は予想した。
検察官「ストレスの原因は、鴨居の修理と駐輪場の有料化の2点ですか」
被「それもだけど、換気扇の電気が入らないこともありました」
検「それはどうしたんですか」
被「管理人がコードを買ってきて直りました」
その他にも、浴室のカーテン、トイレの水漏れ、押し入れの柱などの不具合があった。しかし、いずれも管理人により修理対応されてきた。それでも、被告人の語り口には怒りの感情が込もっていた。
検「どれも直っているし、どうしてそんなに怒ることがあるんですか」
被「管理人は電話してもすぐ出ない。離れたところにいるから、その日のうちに来るかわからないんです」
検「すぐに来てくれなかったのが不満の原因だったんですか」
被「契約書に書いていない。管理人ならそのマンションに住んでいるのが当然」
「管理人ならそこに住んでいるのが当然」と、被告人独自の考えへの固執も見られた。他にも、それを象徴するようなやりとりがあった。
検「今回の事件、自身のどういった面が引き起こしたものと考えますか」
被「契約書です」
性格の内省を促している中で、契約書にすべてが網羅されていない点を語りだす被告人。その様子に裁判官が思わず、間に入る。
裁判官「そうじゃなくて、あなたが放火なんて悪いことを何故したかを聞いているんです」
被「焦りです。訳あり物件でも住まなければ生きていけないという」
一般的に、訳あり物件とは事故物件などを指すのだと思うが、被告人にとっては「管理人が常駐していない」「契約書にないことを言われる」「たびたび設備に不備が生じる」のが「訳あり物件」ということなのだろう。
裁判官が続ける。
裁「先ほどから自分のことを聞かれているのに、周りへの不満、問題点ばかり言っていることに気付いていますか」
被「……」
裁「あなたが不満を抱いていたのはわかりました。でも、普通の人は不満があっても火をつけないのはわかりますよね? それでも火をつけたのは何故か、わからないと反省なんてできませんよね」

PHOTO:takeuchi masato / PIXTA
これまで淡々と進んできた裁判のトーンと異なる強い口調に、若干気圧された様子の被告人。数秒間を置いてゆっくりと答える。
このマンションに引っ越す際、友人を作りたい思いが強かった。しかし話し相手もおらず、その孤独感や、年齢を重ねていく中での将来への悲観などから、引っ越したい思いを募らせる中での犯行であったという。
検察官からは、更生緊急保護の提案を受けており、被告人はそれを受け入れるつもりだという。保護施設や自立準備ホームなどの宿泊場所、就労の支援などを行う制度のことだ。
検「今後、集団生活でトラブルが起きたらどうしますか」
被「起きないようにします。自分が悪くなくても謝りますし、何か起きたらその場を去るようにします」
司法の判断は
最後に裁判官が質問をする。
裁「修理が必要な鴨居っていうのは、下に落ちたんですか」
被「はい、落ちました」
裁「それは、すぐ直さないといけないものなんですか」
被「テープでつけたけど、私のベッドの近くだから、また落ちてきたら危ないので」
裁「もう落ちてるんだから、修理が来るまでそのままじゃないけないの?」
ストレスの原因とされている鴨居の修理は、緊急性がなかったことが確認される。
事件時はストレスから自殺も考えていたという被告人だが、それは一時の心情で現状はそのような考えはないという。今後は友人を作って、精神的に追い込まれないようにすると誓った。
また、今後は住居を決める際は、管理人が常駐している物件を優先して選ぶことで、その点で管理人に不満を持たないようにすると供述した。
裁「はっきり言うけど、『管理人が(そのマンションに常駐して)いるはず』ってのはあなたの考えですよね」
被「はい」
裁「すぐに修理しに来てほしいのもわかりますが、一般的な考えを身につけてもらわないと、今回の件の反省が生かされないのをよくわかってくださいね」
被「はい」
◇
別日に言い渡された判決は、懲役3年(求刑同じ)、執行猶予4年であった。裁判官は、事件について、他のマンション住民にも危険を及ぼす恐れがあったと厳しく非難した。
また、事件の原因については、「管理人の対応の問題、自殺願望とも思えず、身勝手な鬱憤晴らし」と認定した。
住環境は、生活する者にとって平穏をもたらす大事な場であることは言うまでもないが、結果として他の住民の平穏を脅かしてしまった今回の事件。裁判官が認定した「身勝手な鬱憤晴らし」という言葉を被告人はどのように受け止めたのだろうか。
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